第19話

「手持ち無沙汰やっただけやけん、よか。吸いたくなったら吸う」

「うん」

 ドアを閉めると、滑るように静かに車はゆっくりと発進した。

「ちょっと、二人で話せんやろうか」

 巽がはばかるようにいった。秦の気配を感じながら、上瀧は素知らぬ振りで応える。

「よかよ。ちょうど着替えたいとこやし、俺の部屋来るや? 大濠んとこ」

「秦。大濠に回せ」

「はい」

 上瀧の住むマンションに着くまで、沈黙のままだった。

「電話する」

 地下駐車場に着くと巽は秦に向かって言った。

「はい」

 と秦が頷く。

「自分は」

 とボディガードの男が慌てて指示を乞う。

「秦とここで待っとけ」

「なんかあったら俺が盾になっちゃるけん、心配すんな」

 上瀧が言うと、巽が肩を小突いてきた。

「縁起でもない冗談言うな」

「ここは知られとらん。大楠のマンションより安全ばい。それに部屋の前にコイツみたいなのがおったら他の住人が怖がる」

 と付け足すとボディガードは神妙な顔で頷いた。

 二人でエレベーターに乗り込む。巽は黙ったまま、エレベーターの階が移動するのを目だけで追っている。

「どうしたとや、巽」

「部屋に着いたら話す」

 八階で表示のランプが消えた。ドアが開く。いつもこの瞬間にある想像をする。どこかの若造が回転式拳銃(レンコン)を構えて立っている。気づいた時には身体に鉛玉をぶち込まれている。何事もなくエレベーターを降りる。次は、背後から撃ち抜かれる。そんな妄想をしながら部屋に着いた。何かあったら逃げ道はない。3LDKのファミリータイプ。着替えと酒だけはある。玄関を入ってすぐ右側の部屋にはスーツとそれ以外の普段着が数着置いてある。

 巽はリビングの革張りのソファに腰を下ろすと「はあぁぁ」と大仰に息を吐いた。時計を見るとまだ七時半だった。

「あー。疲れた。アイツらとおったら息が詰まる」

「そらあっちの台詞やろ」

「そうかもしれんけどさ。あー。行きたくない」

 といいながら、懐から煙草を取りだし、咥えて火をつける。

「親父の容態が良くないけん、叔父貴も来るげな」

 巽は煙を吐き出しながらいう。

「どの叔父貴や」

 上瀧はシンクに置いていたクリスタルの灰皿を巽の前に置いた。

「俺らが熱望の松原の叔父貴に決まっとろ」

 上瀧も巽の向かいのソファに腰を下ろし、煙草を咥えると、巽が火をつけたジッポを差し出した。上瀧は少し屈んで穂先に火をつける。

「親父さん、意識はあるとや?」

 くわえタバコでいう。視界を煙が邪魔する。

「ん……、まぁ、ある」

 巽は歯切れの悪い返事をすると少し俯いた。

「はよくたばってほしいって思うっちゃけど、アレが死んだらいよいよ俺が跡目に就かないかん」

「まだそんなこと言いようとや。いい加減腹決めんか」

 テーブルに置いていた上瀧の右手首を巽が掴んだ。

「なら、諒平くんを俺にちょうだい」

「お前には秦がおるやろ」

 掌を返して巽の手をテーブルに置く。

「なんで松原をわざわざ諒平くんが殺らないかんと」

 巽が拗ねたような口調で怒る。巽は口調も声も甘い。だからこそ人前ではあまり話さないように言われている。昔馴染みということもあり、特に上瀧の前ではその傾向が顕著だ。

「松原(あいつ)みたいな小悪党は、俺みたいなクソに殺られるのがお似合いやろ」

 松原のやらかしたヘマで赤川は自分の指を噛みちぎった。パフォーマンス的な意味も含まれていたが、そうまでして守った兄貴分を平気でコケ下ろし、肝心な時に助けもせず上から嘲笑った。今でも会う度に何かしら上瀧へ対して侮蔑の言葉を口にする。自分はまだいいとして赤川(オヤ)に対する嘲笑は腹に据えかねる。

 赤川が死んで跡目を継いだものの、自分には佐川のように野垂れ死にする未来しか見えない。生まれた意味も生きる意義もない。佐川を死なせて、赤川が死んで、上瀧は自分の死に様を考えている。どうせ死ぬなら何かの為に死のうと。それがどんなにちっぽけなものでもいい。なんの意味もない命だからこそ、最期くらい、ただ死ぬより、盾なり鉄砲玉なり何かしらの役割が欲しかった。

 今、まさに好機が訪れている。巽の所は、死にかけている別府と組の今後について揺らいでいるところだ。別府の側近である市川が松原と懇意にしているという話も耳に入っている。うかうかしていたら足元をすくわれかねない。しかし、ただ上瀧が松原を始末してしまうと巽の立場が危ない。どうにか機会を作ろうとしているが、松原と行きあう機会が極端に少ない。きっかけになりそうなことならなんでもいいのだが、巽はあまり積極的ではない。

「なんでもしてくれよった諒平くんやけど、この頼みは聞いてくれんったいね?」

「なんの事や?」

「死ぬのやめてくれん? その命いらんなら、俺にちょうだいよ」

「そうやな、無様に生き延びたら運転手にでも使こうてくれ」

「ひとまずその言葉だけもろうとく」

 巽の眼光は冷たく尖る。守る気のない口約束と諦めの了承を交わし、紫煙を燻らす。あんな夢を見たせいで巽に対して甘くなっている。これ以上下手なことは言うまいと沈黙を選んだ。腐れ縁が首を絞めてくる。

「あの女は生きる意味にならんと?」

 巽の問いに答えず、おもむろに煙を吐き出す。

 あの女と云われ、茉莉のことを思い浮かべる。闇の中の遠い一筋の光を見ているのに似ている。存在としてあまりにか細くたよりない。深い闇の前に簡単に消えてしまう。あの女と自分では住む世界が違う。感傷的な想いさえ馬鹿馬鹿しい。十年も想っていたという女に水心が起きてしまったのだろう。答える代わりに鼻で笑うしかなかった。


 堅苦しい格好はしなくていいというので、濃紺のカラーシャツと錫色のスラックスに着替え、洗面所で髪型を整え歯を磨き、リビングに戻る。

 巽が水をくれというのでグラスに水を注いで渡すと、シガーケースに忍ばせたなにかの錠剤を口にした。

「なんやそれ」

「安定剤。先月くらいから処方してもらいよる。他の奴らには見せられん」

 水を飲み干すと、深く息をついた。

「情けなかろ?」

「情けないことあるか。お前はようやりよる」

 巽が鼻で笑う。一瞬、悲痛に歪んだ顔が見えたのは、気づかない振りをした。

「親父、盆まで持つやろうかなぁ……」

 巽の呟きに、腕時計に目を落とす。文字盤の脇の小さな窓には4とある。あと十日ももたないのかと愕然とした。

「まだ。わからんけど」

 そう続けると眉間を親指と人差し指でグリグリと押す。憔悴しているのがみてとれる。

「諒平くん、考え直してくれん?」

 両手で顔を覆い、絞り出すように続けた。

「おれ、もう無理や……。もう、嫌だ……」

「巽、」

 呼びかけ、肩を叩く。

「巽、って」

 襟と肩の間辺りを掴み、自分の方に引っ張る。巽は俯いたまま肩を強張らせ、僅かな抵抗をみせる。

「弱気になるな。ここまでお前やってきたっちゃろうが」

「全部……、全部ぶん投げて棄てていく奴が適当なこと言うな!!」

 顔を上げて噛みつくように怒鳴る。

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