第17話
上瀧と姉のセックスシーンはもちろん、こともなげに姉をいらないと言い捨てた男が衝撃的で新鮮だった。この男に自分を見てほしいと思った。追いかけて振り向かせられるなら何でもしたい、と。姉と違って女扱いされなかった敗北感はあるが、抱かれたそばから捨てられた女に哀れみと同情を感じた。姉に対して初めての感情だった。
結局、姉は家に戻らず、博多駅で別れた。いくら持ってる? と訊かれ、念の為にと持っていたお年玉の五万円だと答えると、貸してと言われて驚いた。新幹線代を支払った彼女のブランド物の財布にはみっちり札が入っていたのをみたからだ。嫌だと云うと、酷く思いつめたような、怒りに満ちた表情で睨まれた。あんな家に帰るなら殺された方がマシだと言った姉の声は今でもはっきりと耳に残っている。
一時期茉莉もラウンジでバイトを始めて両親を落胆させたが、すぐに警察官になるという目標を持ち、バイトもやめて勉強に専念したので見限られることはなかった。むしろ、身持ちを崩して行方知れずになった姉の代わりに持ちあげられるようになったが、気味が悪くて仕方がない。就職して実家を出てからはなるべく寄りつかないようにしている。警察官になった理由は、口が裂けても言えない。
何か夢を見た気がしたが、よく思い出せない。スマートフォンのアラームが無慈悲に鳴り続けている。窓の外は薄暗い。耳をすませば雨音が聞こえる。時計を見るともう六時過ぎだった。
なんとなく気合いが入らない。それでも身支度をして軽い化粧も済ませて部屋を出た。昨夜の出来事は夢か幻のように現実味が薄くなっていた。自分の妄想なのかもしれないと思いながら傘をさして歩き出した。
大通りに差しかかるところで、ショルダーバッグの中の携帯電話が震えた。相手は鷹岡だった。
「もしもし高橋です」
「あ、おつかれ。俺」
「朝イチで何なん? モーニングコール? カレシか!」
「直前逃亡したカレシは? その後なんか連絡したや?」
「しとらん。連絡先も教えてくれんかったし」
「ふーん。袖にされとるやん。ま。今日は勝手にカレシに会いに行くなよ」
「行かんて。さすがに」
「お前は信用ならんからな。カレシに迷惑かけたくないならこっそり行くなよ?」
「ちょっとさ、さっきから上瀧さんのことカレシカレシいうのやめてくれん?」
「なんでや」
「今一人で歩きようのに、ニヤニヤしてしまうやん」
「うわ朝から今日イチどうでもいい」
「うるさいな。それだけ?」
「先に釘刺しとかな、行ってからじゃ遅ェやろ」
「え? まじでそれだけ?」
「んー。まあとりあえず。あとは出社したらな」
プツ、と通話が終了した。あーあ。これ、何かあるな。携帯電話をしまい、溜息をついた。
コンビニに寄り、ドリップコーヒーとプロテインバーを購入して、イートインスペースで朝食を摂る。
鷹岡が何かとフォローしてくれるのが奇妙だった。ただ面倒見のいい情の深い男なのか、それともなにかあって自分を泳がせているのか。前者のような気もするが、後者の可能性が拭えない。茉莉(じぶん)ごと上瀧を協力者(エス)にするつもりなのか、茉莉(じぶん)を餌に上瀧を釣るつもりなのか。どうあれ接触は控えなくてはならない。ごく個人的な感情で、上瀧に会いたいと思った。まるで節制を強いると増す食欲のようだ。
不意に、両足に押し込まれた膝や、腰を抱いた腕の感触が蘇る。荒事のような口づけと舌の動きも追加され、体の奥に熱のゆらぎが発生して、丹田の辺りを中心に内側の肉がきゅんきゅんと弾むように伸縮するような不思議な感覚が起こり、妙な心地良さが波紋のように広がった。茉莉はテーブルにしがみつくように俯いて、体の中で起こった快感の余波に戸惑った。
****
煙草を根元まで灰にし、シャワーを浴びた後、念入りに歯を磨いた。理由はあったが、もはや習慣だった。身体に巻きつける簡易寝巻きを身につけ、ベッドに仰向けになり腕を組んで目を閉じる。
故・赤川誉士喜はシャブをご法度の一つにしていた。自分のシマでは扱わない。組員で扱った者は絶縁だと言っていた。佐川に継いで父親役だった赤川の言うことは、上瀧にとって絶対だった。
十年前、金融の他に上瀧が担当していたホストクラブの一番若い新人が店の金を使い込み、自分はもちろん女にもシャブを喰わせ、挙句に一日の売上を持って飛んだと経営を任せていた男に泣きつかれた。シャブを黙認していた店長と他の従業員にも腹が立ったので、その若い新人を捕まえ、同じくケツ持ちをしていたソープ店に呼び出して制裁をくだした。若いくせに内臓には二束三文の価値しかない奴だったが、外見だけは良かったので陰茎を切り落としてアナルを開発させ、悪趣味な外国人にそれなりの値段で売り飛ばした。
娘を持ってめっぽう若い女に弱くなった赤川に、「女は男で人生を左右される。女の方はお前がどげんか取り計らってやれ」と云われ、仕方なく女を連れて広島に持っていたアパートに行き、二ヶ月程かけてシャブ抜きをした。半狂乱になって糞尿を垂れ流す女の身の回りの世話を一人でやり、落ち着いた頃に、女に三十万円を渡し、身内に連絡するように云った。女は虚ろな目で微かに頷き、ぼんやり座っていたかと思うと、這うようにして上瀧に寄ってきた。乾いた唇を震わせ、掠れた声で「して」と言った。無視していたら上瀧の手を取り、自ら乳房に当て、両足の間に潜り込ませ、腰を揺らし始めた。
「したいよぉ……」と譫言のように繰り返す。唇を重ね、熱くなった吐息で甘えながら上瀧の股間をまさぐる。粘ついた体液が手に絡みつく。粘液を指で小さな芯へ擦り回しつける。女が食む唇をあけ、舌を送り込んだ。一度目が終わり、腹が減ったので舎弟の岡本に連絡して飯を買ってこさせた。女は素っ裸のまま身体をビクビク震わせて横たわっていたが、そのまま気を失うように眠ってしまった。二度目は食後になんとなく、三度目の情交の途中で妹が迎えに来た。
そういやそんなこともあったなと思いながら、再び煙草を咥えた。
物怖じしないガキだった。アレがああなるのかと妙に納得しながら茉莉のことを思い返した。復讐だろうが警察側が仕掛けたハニートラップだろうが別にどうでもいい。今までにあったことのない種類の女だった。無邪気で無頓着で無鉄砲。性急で天真爛漫で掴みどころがない。きれいな顔だちのわりに垢抜けていない。どこか泥っぽい少年のようでもあり、少女のままの潔癖さを隠し持っている。剥いて女にしてみるのも面白そうだと手をかけてみたが、思いのほか、うまくいかなかった。それも含めて面白かった。馬鹿馬鹿しくて間抜けで笑うしかない。そういうのも初めてで、存外悪くなかった。
ぼんやり宙を眺めながら、煙を燻らす。自分の過去を振り返ってもろくな事はなかった。この先も、ありふれたどこかに必ずいる屑のまま野垂れ死にするだけだ。クソみたいな人生だと呪っても、ただ虚しい。動くのも億劫だった。ヘッドボードの灰皿に煙草を押しつけて、そのまま目を閉じた。
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