第9話

 鷹岡の声が尖る。食いつきがピラニアみたいだと茉莉は思った。鷹岡は車通りの少ない路地に入り、停車した。ギアをパーキングにいれる。じっくり話し合うつもりか。茉莉は少しうんざりしながらも、鷹岡には話しておいてもいいかと思った。

「秘密」

 ワケありげに笑って見せると、鷹岡はわかりやすく顔をしかめた。

「お前、まさか、上瀧に惚れたとか言わんやろうな?」

「言ったらいかんけん、言わん」

「……高橋。お前なんで警察官になったとや?」

「可愛がられるだけのか弱い女になりとうなかったけん」

「ハァ?」

 鷹岡の声が少し高くなった。

「女って理由で舐められるのが嫌やったん。あんたにはわからんやろうけど」

「俺はそげなこたぁ聞いとらん。お前なん言いようとや? 上瀧に惚れとうとか?」

 鷹岡は茉莉の方を向き、今にも覆いかぶさりそうな剣幕だ。

「別に知られたくないけん、聞かんでくれん?」

「お前、たかが男に入れあげて警察(かいしゃ)裏切るとや?」

 鷹岡に詰め寄られ、別にまだ何もしていないのに、容疑者にでもなったようだ。

「別に警察(かいしゃ)に義理はないけど? それに裏切るって何? そんな大仰なことできんよ。私みたいなぺーぺーが何ができるん? 恋しい男のために内部の情報流すとか? 大した情報噛ましてもらえんとに、できるわけなかろ」

「お前アホか!! ヤクザに惚れた女が警察官!? そんな奴信用できるかボケ!!」

「やったら、鷹岡くん、私の事四六時中見張っとく?」

「……舐めとうとや、お前」

「組織を裏切るつもりなら最初から鷹岡くんに話さんよ」

 ぐっと下から覗き込むように近づく。嘘はついてないと眼に込めたつもりだ。鷹岡が唇をきつく結んだ。

「GPSでも盗聴でもなんでもよかよ。私は別に何かするつもりはないと。ただ、決着をつけたいだけなん」

「決着?」

「初恋の呪縛を解消したい」

「なんかそれ。お前地に足つけて生きいよ」

 鷹岡は運転席のシートに背中をつけ、心底呆れたと言わんばかりの溜息をついた。

「あーもー。信用できんな。お前」

「別にしてもらわんでよかよ。ただ、私は鷹岡くんやけん、話したけどね」

「俺に呪いかけんな」

「ふーん。呪われるくらい私の言霊が効くんや?」

 鷹岡は答えない。

「まあ鷹岡くんには話したけん、気になるなら上司に密告(チク)って処分してくれてもいいよ」

「これからお前の仕事で使う鞄やら電話やらパソコン俺がチェックする。プライベートのスマホも。俺に話したってことはそういうことしていいってことやな?」

「えっ! まだ上瀧さんと連絡先交換もしてないのに!」

「知るかバカ! お前が上瀧を自分のSにするくらいの技量がありゃ別やけどなぁ。なかろ?」

 鷹岡の言葉に茉莉は、上瀧が自分の情報屋になるか考えてみたが、全く想像すらできない。

「ないかも。いや、ない」

 鷹岡は頭を抱えて溜息吐いた。そして少し間を空けて顔を上げた。

「よし! 俺は知らん。上瀧とか中学の数学の担任の名前やし! 俺は知らん!」

 そして、茉莉を横目で見る。

「組織はとりあえず置いといて、お前が俺を裏切るなら俺はお前を切り捨てる。俺に話したってことは、お前が俺を警察(かいしゃ)の中では信用しとるってことやろ。俺もお前のこと信用するけん、俺を裏切るなよ。わかったや?」

「わかった。けど、上瀧さんと私がどうこうなる可能性は極めて低いよ?」

「相手はヤクザぞ。自分に惚れとう女が使いもんになるってわかったら、どんな手ぇ使ってでもモノにするに決まっとろうが。警察(こっち)の動きやら情報やら引き出す伝になる」

「やーけーんー。私がそんな頭持っとうわけなかろ!」

「お前のバカさ加減は未知数やからな」

 鷹岡は諦めたのか軽い調子でいうと、再び車を発進させた。

「今夜の飲み会、絶対付き合えよ。あと、お前はこれより俺の監視下に置くけん、そのつもりでおれよ」

「へいへい」

 茉莉は口先だけの返事をすると、両手を胸の前で組んで背もたれに上体を預けた。

「佐々木女史を見習ってもう少し色気出せば?」

「元が違う」

「自分で言うほど悪くねーけどな」

「何? いきなり」

「お前が上瀧を色仕掛けで落とせたら面白かろうねと思って」

 鷹岡の不敵な笑みを、茉莉は横目で見る。

「上瀧は表向きはうだつのあがらん弱小組の組長やけど、奴には別府組の若頭がついとう。同じ児童養護施設の出で信頼も厚い。何かある度によう二人で会(お)うとうらしい」

「なんでそんなこと知っとうと?」

「お前、中洲に姉ちゃんおるんやなかったっけ? こんなん、赤川組の若いもんが酔っ払ったらようする話ぜ」

「へえ。鷹岡くんも中洲に行くったいね」

「そらそうよ」

 鷹岡は当然だと笑う。姉とは疎遠になっている。あの時のことも、その後一度も口にしていない。あの時、姉もまともな精神状態とはいえなかったはずだ。でなければいくら根性悪の彼女でも、自分の痴態を妹に晒したりしなかっただろう。それとも、やはり、茉莉(いもうと)を狼狽えさせたかったのだろうか。あの時確かに女と女の摩擦が生じた覚えがある。あれ以来ずっと女としての才能が人より劣っているような気がして、時々息苦しくなる。後で佐々木と合流したらよくよく彼女を観察してみようと思った。



 早良区の詐欺の被害者、内田光枝の事件は予想外に後味の悪い結果だった。

 よくある詐欺に引っかかったうえに、暴力団関係の街金から借金をした祖母をきつく叱責し、自殺させるまで追い詰め、遺書と首吊り台とあの盥を用意させ、すんでのところで怖気づいた彼女の足下の踏台を蹴り倒し、足首を引っ張ったのは、孫の内田雅己二十一歳だった。開き直った彼は、事情聴取の際、迷惑をかけられたのだから、自分は正しいことをした。と尊大な様子で語ったという。

 結局、佐々木との飲み会が実現したのは、誘いから二週間後のことだった。うまいこと仕事を切り上げ、鷹岡とバスで薬院駅まで行き、大通りから一本入った路地裏にある創作多国籍料理の店に入り、案内された席で鷹岡と茉莉は失敗したと思った。花織嬢は一人で鷹岡を待っていた。三人とも絶句し、一瞬時が止まった。

「……あれ。角田巡査長は……」

 鷹岡の声が珍しく弱い。茉莉は鷹岡の足を踏みつけてやりたい衝動を堪える。

「あっ……、か、角田なら、よ、用事があるって……」

「え〜? なーんだ。角田さんおらんなら私きた意味ないやん! つまらーん!」

 こんないい女に恥かかすなよ! と恨みを込めて鷹岡の二の腕を殴った。いきなり殴られたことに驚いた鷹岡が、目を見開いて茉莉を睨む。

「佐々木さん、すみません。私、角田さんと一回飲んでみたくてついてきちゃったんです。角田さんめっちゃ飲めるって聞いたもんで見てみたいってずっと思ってたんですよね」

 もちろん嘘だが、澱みなく口が回った。佐々木は困惑を拭いきれない様子ながらぎこちない笑顔を作った。

「そ? なら、連絡してみる? 合流しよっか?」

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