第8話

 佐々木花織といえば知らない者はいない。茉莉と同い年なのに大卒で警視監の姪で試験を次々パスし、五人の部下を引き連れ、刑事の花形捜査一課で活躍している。背中の真ん中ほどの黒いロングヘアを一つに束ね、アイラインだけで引き立つアーモンド型の瞳に、通った鼻筋。形と血色のいい唇、顔は小さく首は長い。手足も長く、ウエストは細くて胸はどちらかというと豊かで、おしりも適度にむっちりしていて、本来なら色気のないパンツスーツ姿でさえ魅力的だ。容姿端麗、眉目秀麗、どっちでもいい。とりあえず褒め称えるところしかない。ネコ科の美人。茉莉はくぅと唸り、ギュッと目を閉じた。

「第一発見者は?」

 佐々木が鷹岡に目配せる。茉莉から見ればそんな何気ない仕草も、綺麗な流し目に映ってドキッとする。

「あ、こっち」

 とぞんざいな口調で茉莉を指さした。

「どうも。組織犯罪対策課の高橋です」

 軽く会釈したが、佐々木はじっと茉莉を見ている。身長も少し彼女の方が高い。よく見るとアイラインだけじゃなくて睫毛エクステもやっているようだ。イヤミではなく、忙しいはずなのに抜かりないなぁと感心する。きっと呼吸と同じくらいスキンケアと自己管理が当たり前なんだろうなぁと、自分を省みて落ち込む。女としても警察官としても格が違いすぎる。

「私が着いた時にはすでにこの状態でした。そとから声をかけたのですが応答がなく、あのように玄関も開きっぱなしでした」

「そう……。他に変わった様子は?」

「いえ、特に……。すぐに鷹岡警部補が到着して、私は連絡するように言われましたので」

 ふう。と小さな溜息が聞こえた。

「ご苦労さま。あなた顔が青いわ。後は鷹岡くんと話をするから先に戻ってて」

 と優しく肩を摩られた。女性らしい柔らかな手つき。

 え。何この人女神なん? と茉莉は心の中で思いながら、佐々木を見上げたが眩しすぎてすぐ俯いた。

「なら高橋、車で待っとけ」

 と鷹岡がキーを投げて寄こした。

「お前だけ先に帰れると思うなよ」

 と念を押す鷹岡の隣で佐々木がクスクス笑う。

「ヤダ、鷹岡くん。大丈夫よ、すぐ解放するから」

 喋り方もそつなく方言もない。が、色っぽい。しかも美男美女で、そこだけドラマの撮影でも行われているのではないかと思ったくらいだ。茉莉の傍には角田。彼は三十後半くらいだったか、中肉中背、顔はフツメン。と茉莉は密かに思う。華やかさとは無縁の自分と並んでさらにその凡庸さが際立っていることだろう。いや、そんなこと考えてる場合じゃない。気を取り直して立ち去ろうとした瞬間、隣からギリッと小さく歯ぎしりが聞こえてゾッとした。発生源は間違いなく角田。ヤベぇ。茉莉は聞いてないふりでそそくさと退場した。


 十九度に設定しクーラーをかけ、シートを倒して手の甲をアイマスクがわりにして目を閉じた。全く眠たくはない。じわじわと腐食した肉が溶け、液体化した死(もの)が侵食してくるようなおぞましさがずっと身体の周りにある。他人の死がまとわりついているせいで、落ちつかない。粗塩をぶっかけて清酒を入れた湯船に浸かりたいと思うが、今すぐは無理だ。哀れな老婆の死をどこか穢らわしく思ってしまうのを申し訳ないと思いつつ、DNAに染み込んだ習わしのせいにした。

 遺書には、息子家族に迷惑をかけたくないという思いと、金融会社の名前、借りた金額が記され、借用書と法外な利子のついた請求書と別に、取立ての様子が記入された紙が同封されていた。これはさすがに偶然だと思うが、金融会社も松原組の構成員が経営するものだった。死人が出た今、内紛に頭を悩ませていた二課の暴力団係の伊川警部が大喜びしている所だろう。

 山代組の分裂争いが別府組と松原組の間で起こっている。次期総統の跡目を狙っている松原が、目の上のたんこぶである別府をどうにか出し抜きたがっている。(今回の発砲事件も自作自演ではないかと囁かれている。)しかし、現総統の懐刀である別府とその息子である藤崎巽の方が有利であることは明らかだ。捜査資料で見かけた藤崎巽はあらかたの男に興味が持てない茉莉でさえ、目を留めてしまったほど美形だった。ヤクザより俳優になるべきだと思ったが、もちろん上瀧に対する情念には到底到らない。筋肉に被われたなめらかそうな肌の上で極彩色の鳳凰が蠢くさまを、何度頭の中で反芻してきただろう。睨めつける鋭い眼光を思い出しただけで、胸の奥から仄暗い情欲が湧き上がり、両足の奥が疼く。あの薄い唇が、自分のシャツの下の肌に触れるのを想像して、身震いがした。

 鷹岡が戻って運転席に乗り込んできた。

「うわ寒っ! お前冷房入れすぎやろオッサン並やん」

 と、冷房の温度を二十六度まで上げた。

「あんたこそ冷え性OLかっつうの」

「しゃあしい。そんなことより、今夜お前のコンビニビールに付き合(お)うてやられん」

「いや、そんなん頼んどらんし。何いきなり」

「やけん、お前暇やろ? 俺に付き合え」

「はあ? なんでって」

「一課の佐々木女史から親睦を深めようってお誘いを承りました」

「なら私いらんやろ!」

「いるいる。向こうは間違いなくあの金魚のフンが付いて来ようが」

「私あんたのフンやないけど?」

「わかっとうって。俺がお前おらんと困るったい。あのオッサンの目見たや?」

「あぁ……、まあ、ねぇ」

「頼む。お前の飲み代俺が持つけん」

「佐々木嬢にカッコつけんでいいと?」

「いや、なんでカッコつけないかんと。あっちのが俺より待遇よかろ。知らんけど」

 鷹岡はエンジンをかけギアを入れて車を発進させる。

「たぶんわかっとろうけど、今回の件は二課の伊川班に主導権がいったけん」

「え。うちらもう捜査降りなと?」

「オレオレ詐欺は他にも山んごとあろうが」

「まあそうやけどさ」

「あとな。これ、自殺やなくて他殺んごたぁってさっきチラッと聞こえてきた」

「だって一課の高嶺の花子さんが来たぐらいやしねぇ……。これから忙しくなるっちゃないと? 花子様」

「じき鑑識も着くばい。花子様は色んな情報も必要になってくるやろうしね。その前に情報網を拡げときたいっちゃろ」

 と鷹岡は軽く肩を竦めた。なるほど。鷹岡は二課の暴力団係の伊川に気に入られている。というか二課のベテラン勢に可愛がられている。

「……お前さ。上瀧となんか繋がりあると?」

 上瀧の名が出てギクリとした。しかし、繋がりたいとは思っているが繋がりはない。なんならこないだやっと再会して初めて認識された。茉莉は首を横に振る。

「まだない」

「まだってなんや、まだって」

「ない」

 鷹岡は敵ではないが味方でもない。うっかり口を滑らせてしまった。が、しかし、万が一ということもある。なにかしらほのめかしておくのも、いいのかもしれない。

「私が勝手に追いかけようだけ」

「なんでや?」

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