第6話

 内情を知らない赤川は、上瀧の行いを美談に捉え、より一層と可愛がった。そして山代組幹部が集まる総会に連れて行った。赤川を呼んだのはかつての弟分の松原だった。赤川は末端の席で、上瀧は背広姿でジャージ姿の出入りの新人と一緒に雑用をやらされた。自分を幹部に紹介するために赤川も恥を忍んで出席したのだと解っていたが、どうしても悔しかった。松原もその舎弟もあからさまに赤川と上瀧を小馬鹿にしていた。茶を差し出した上瀧を一瞥すると、「さすが兄貴の所の若いもんは気が利いとる」と笑った。その頃すでにナンバー2の勢力を誇る別府組の若頭補佐となっていた藤崎が、持病のために入院していた組長に代わり出席しており、嘲笑の中心となった上瀧に気づいて、懐かしそうに「諒平くん?」と声を掛けた。

 子供の頃と変わらない笑顔を見た時、疎外感と屈辱で張りつめていた神経が弛み、思わず立場も忘れて「巽」と呼び捨てた。咄嗟に口を噤んだが、藤崎は嬉しそうに頷いて握手をしてきた。そして、赤川を叔父貴と呼び、恭しくも嫌味のない挨拶をしたことで、場の空気が一変した。「昔、諒平くんにお世話になったんです」といいながら、赤川を自分の隣の席に連れて行った。総代も藤崎が可愛いらしく咎められることはなかった。二人の後をついて歩きながら、上瀧は藤崎のいう昔を思い返していた。

 施設にいた頃は、可愛らしい顔立ちをして色白でひ弱で内向的で、同性の加虐心を煽るタイプの少年だった。しかし芯は強く、決して、泣くこともやり返すこともなかった。ひとつ例外を除いては。そのことについては今でも触れないようにしている。


「何(なん)ぼーっとしとうと?」

 藤崎の声で現実に引き戻される。昔見た泣き顔は霞んで消えた。上体を起こし、シートも元の位置に戻して、こちらを見ている。深く煙を吸い込んで藤崎に向かって吐き出した。

「――別に。そういや、今日うちに変なサツが来た」

「伊川んとこのや?」

 県警のマル暴の名前が出たが、なんとも言えなかった。

「ようわからんけど、女で、十年前に消えたホストがどうの、拉致された女子大生と女子高生がどうの……」

 そこでようやく昔店の金に手をつけ、キャバクラの女と逃げたホストのことを思い出した。たしか妹が女を迎えにきた。警察も介さずたった一人でやってきて、姉の痴態を目の当たりにしても動じた様子はなかった。

「頭のおかしい女子高生が頭のおかしいサツになって挨拶に来た」

「なんやそれ?」

「ようわからん」

「女には優しくしちゃれよ。惚れさせとけば金にも盾にも餌にもなるっちゃけん」

「それがお前の親父の教えや?」

 上瀧が皮肉っぽく笑いながら訊くと

「いや、俺が女で学んだこと」

と悪びれもせず微笑み返した。

「言うようになったやん? 色男」

「諒平くん、今、女おらんと?」

「たった四人の舎弟食わすのが精一杯の男に女なんか」

「勿体ないなあ。よか男とに」

「褒めてもろうても無い袖は振れんけんな?」

「なあ、諒平くん。ならさ、諒平くんもうちに来んね?」

「うちの四バカのこと頼んだやろ」

「それはわかっとうけど……」

「子守唄なら女に歌ってもらえ。盾が欲しいならうちのどれか使えばいい。どうせ俺と同じでどこにも行かれん連中やけん」

「鉄砲玉ならうちに沢山おるんやけどなあ……」

「そん中に鉄砲玉になりたい奴は一人もおらんやろ」

「人を殺してみたいって若いもんはゴロゴロしとるよ」

「自分も殺される自覚のない奴はしくじったときにつまらんめぇが」

 上瀧の言葉に、藤崎は溜息で頷いた。

「……諒平くんには解らんとやろうか」

「何(なん)が?」

「俺、あの総会で諒平くんを見つけた時、ちかっぱ嬉しかったっちゃん」

「俺も嬉しかったぜ。お前が出てきた後、松原がみるみる萎んでいってさ。持つべきものは権力者の友人やな?」

 煙草のフィルター部分を親指と人差し指でつまみ、根元まで吸い尽くして窓から放った。

「なら俺らで天辺行こうや」

 もうもうと立ちこめる煙を手で払いながら藤崎は言う。

「お前の金魚のフンになれってや?」

「俺がNo.2でよか」

「よかて、周りはそうは思わんし、なによりお前のオヤジが許さんやろ」

「あの年寄りはもうすぐ死ぬ」

「オヤジさんが死んでからが本番やろうが。二代目」

「やけんたい。俺は諒平くんに死なれたら困る。俺がこうして腹を割って話し合えるのは、お前しかおらん」

「お前、実は俺が狙っとうのお前やったらどうするん?」

「諒平くんに殺されるならそれでよかよ。俺は好きで跡目に居座っとうわけやない」

 藤崎は前屈みになって頭を垂れた。

「捨てられて拾われて担がれて誰かの都合で生かされとる。誰も信用出来ん。親も部下も女も。けど、なんでやろ、諒平くんだけは、信じとる」

「……お前を助けたのはただの偶然やったっちゃけどな」

「わかっとうよ。でも、やけんってその事で俺になんか要求してきたりせんかったやん」

「ガキやったしな。そげん頭も回らんかっただけたい」

「総会の後も別に諒平くんからなんか言ってきたりせんかったやん」

「お前がなんでん先にしてしまうけん、必要なかっただけばい」

「必要ない、か。……苦しか……。苦しかなぁ……。なぁんでこげんつまらん人生なんやろう……。俺一人の気持ちやら行動やらで変わるもんなんか、一っつもない」

「他人が殴られるのをみて悲しくなるような坊ちゃんが、今じゃ泣く子も黙る別府組の若頭やもんな。お前、蟻潰せたっけ?」

 上瀧がニヤッと笑うと、二の腕辺りに重い拳がぶつけられた。

「ふざくんなよ、貴様(きさん)。いつの話しようとや」

「散々弱音吐きまくっとって今更粋んなや」

「今回はこんくらいにしちゃあけん、有難く思えよ」

「なんやそれ。つーか、なんやこの霧。いっちょん晴れんやん」

 と、フロントガラスから辺りを見渡す。

「こらしばらく帰れんばい。どげんするね?」

「晴れるまで待つしかなかろうもん。これで車だしたら海ポチャやろ」

「俺ぁ、諒平くんと違ごうてまだ死にたくなかばい」

「ろくでもねぇ人生にまだしがみつくとや」

「諒平くんが……」

「なんや?」

「……いや、なんもない。あ。」

「なん?」

「さっき言いよった女、使えるっちゃないと?」

「様子見てから考える」

 上瀧は背伸びをして臀の位置をずらした。

「あー。ずっと座りっぱなしやけん、腰が痛うなってきた」

 上瀧がいうと、藤崎が鼻で笑った。

「オッサンやん」

「お前もやろ」

 互いに煙草を取り出してそれぞれ火をつける。

「もしあの女がまた来たらデートでも誘うかな」

「いい女やったん?」

「なかなか良かったな。俺に犯されてもよかげな」

「そらよかね。松原のオヤジ殺る前にパクられんごとせな」

「ホントやね。真っ最中にガサ入れとかたまらんばい」

 同時に笑い声を上げて、煙草を一本灰にする頃ようやく夜霧が薄れてきた。

「さぁーてと。クソみたいな日常に帰ろうかね」

 藤崎が車を降りて、ぐぐっと、腕を上に伸ばす。首を左右に倒し、ぐるりと回した。

「松原のオッサン、なんか動きそうか?」

 パワーウィンドウから上瀧が顔を出す。

「んー。いや、まだやね」

 藤崎は云うと、歩き出す。

「なんかあったらすぐ連絡するけん待っとって」

「おう」

 数メートル先に停まっていたワンボックスカーのヘッドランプが点灯した。わざわざ運転席から一人の男の影が出てきて、後部座席のドアを開けた。今どきボタン一つで開くとにようやるな、と上瀧は大柄な男のことを思う。藤崎の舎弟で秦といい、五年ほど前から側近として常に傍にいる。

「灯台もと暗しっつってな」

 上瀧は去っていくワンボックスカーを見送りながら呟いた。

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