第4話
うるさそうに茉梨に視線を向け、スマホを懐にしまった。
「え。私もコーヒー飲みたい」
席を立つ鷹岡にいうと、プラスチック製のカップに入った飲みかけのアイスコーヒーを押しつけられた。
「なんで私がアンタの飲みかけやら飲まないかんと!」
「次の店ついてからでいいやん。とりあえず飲んどけ」
グランデサイズのカップにはまだ十分な量が入っている。茉梨はしぶしぶストローを咥えてアイスコーヒーを啜った。炎天下の中歩いてぬるい構内をかけてきたせいで一気にほとんど飲んでしまった。
「っあー。生き返る。あ、でも汗がふきだしそう」
「暑いもんな。はよ車乗ろ」
と、鷹岡について行くと、激混みのバス停付近にベタづけされた覆面のセダンがあった。ちゃっかりラミネートされた特別許可車の紙がダッシュボードに置いてある。そのことをつっこむと鷹岡はしれっと勤務中やからしゃあない、と愚にもつかないことを言い放った。
諸岡にある回転寿司の店に入り、奥のテーブル席に向かい合って座り、流れてきた寿司を適当にとる。お茶は各自用意する。鷹岡はこういった些末な女の仕事を要求したりしない。
「で。なんで赤川組の上瀧?」
ヒラメを頬張り、咀嚼する茉梨は、嘘の報告内容をすっかり忘れていた。
「あっ……。んぐ」
やっべ。茉梨は心の中で呟き、ぐっと喉に詰まりかけた寿司を飲み込み、お冷と割ってぬるくした緑茶で流し込んだ。
「……えーっと。実はさ、昔、私の姉が付き合ってたホストに拉致られてさ。広島に迎えに行ったことがあるんよ。なんか、店のお金持ち逃げしたとかで。発見された時に姉と一緒に居たのが上瀧で、本当なら姉は殺されてたかも知れないし、私もどうなってたかわからない状態だったんだけど、どうも見逃してくれたっぽい? から、まあ、お礼参りに? ほら、私、一応警察官になったからっていう牽制も込めて?」
「バリくそ個人的な用事やんか」
「他言無用ね。鷹岡くんと私の秘密にしとって。お願い」
組織の中で唯一信頼していると言っても過言ではない鷹岡に下手な嘘はやめよう。と我ながら綺麗事だと呆れる。しかも後半の一部は嘘だ。茉梨は、呆れて目を細める鷹岡に手を合わせて頭を下げてみせる。
「ま。その話はとりあえず俺の胸に留めとこ。それより食いながらでいいけん耳貸せ。早良で起きた年寄りを狙った電話詐欺の集団がわかったらしい」
茉梨はひそめた鷹岡の声に耳をすませながら、ウニとスズキと海老アボカドの皿を自分の前に置き、ふんふんと頷いた。
「……え?」
「それがどうも松原組の息のかかった末端のヤンキー上がりの集団みたいぜ」
互いに額を寄せ合うようにしてひそひそと話す。
「んん……?」
ウニを頬張り、もごもごと口を動かしながら顔を上げた茉梨を、腹を空かせた小型犬みたいだと思う。一瞬とはいえ鼻先がくっつきそうな至近距離というのに、彼女は気にも留めていない。鷹岡は少し距離を空けて続けた。
「年末の狙撃事件の犯人もまだ分かっとらん。そのうち適当な奴が自首してくるやろうけど、本物(ホンモン)かどうか」
「ふーん……」
スズキ、アボカドを立て続けに口に運び、咀嚼し、飲み込む。
「お前、食うの早ぇね」
「寿司こそ飲み物やんね?」
「わからんでもない」
鷹岡は頷くと、はまちと真鯛と鯵をとり、食事を始めた。
茉梨はチラッと鷹岡を見る。鷹岡も茉梨を見る。パチッと電気が走るように視線が合う。もぐもぐと動く頬がリスみたいだと茉梨は思う。
180はありそうな身長に、適度に鍛えられた身体。やや面長で鼻筋が通っていて、切れ長の目をしている。端正な顔立ちだ。色素の薄い短髪に清潔感のあるスーツ。実際、鷹岡はモテる。選り取りみどりだ。けれど特定の相手がいない。いても、すぐに別れる。彼氏いない歴年齢の茉梨からすれば、キラキラしすぎて少し嫌味な奴だ。
身長163センチ、体重50キロ。常にショートカットにパンツスーツ。化粧は最低限。そこそこ鍛えているので締まっているが、胸はBカップ。臀は小ぶりで、全体的にセクシーな丸みが足りない気がする。女らしさに欠けると枕詞のように言われている。警察官になるためにステータスの振り方を間違ってしまった。女としての色気は卒業と同時に高校に置いてきたような気がする。茉梨は自分を省みて軽く落胆した。自分が鷹岡と一緒にいても女性陣は気にしない。女としての魅力が格下だからだ。クソッと胸の中で吐き捨て、イカをとって口に押し込んだ。
「んああぁっ!」
不意に、さっき上瀧とかわした会話を思い出して悶絶した。舞い上がってとんでもない事を口走ってしまった。色気もないメスゴリラのくせに何言ってんだ! とセルフツッコミが止まらない。
「どうした? 頬の内側でも噛んだや?」
「んんん……」
テーブルに額を擦りつける茉梨を怪訝に見下ろしながら、鷹岡はウニを取る。
「穴があったら入りたい……」
「俺は穴があったら挿入(い)れたい」
「合コンでも行ってろ」
「今それどころやなかろーもん。これから忙しくなるぞ」
「ねえ。私、メスゴリラ?」
ブッと音とともに米粒が飛んできた。鷹岡は手で口を押えながら震えている。
「汚な。きさまくらすぞ」
茉莉は悪態をつきながらおしぼりで顔に飛んできた米粒を拭う。
「脈絡もなくメスゴリラとか単語ぶち込まれて笑わん方が無理やぞ。くっ……」
「アンタこれから夜道に気をつけないよ?」
「いや、お前はメスゴリラやないやん。メスゴリラって単語に笑いよーと。つーか、口裂け女みたいなノリでメスゴリラって訊かれたの初めてなんやけど?」
鷹岡のツボにハマったらしく、しばらく笑って震えていた。しかし、メスゴリラではないと言ってくれたのは素直にありがたかった。少なくとも鷹岡から見てメスゴリラではないなら、同じ男である上瀧から見てもゴリラではないかもしれない、という小さな希望を無理やりながら持てたからだ。
「ハッ! 雌ザル!?」
「さっきからなんやお前? 高崎山に呼ばれたん?」
「私、猿っぽい?」
「いや? 全然。むしろ犬っぽい」
「猫がよかった!!」
「知るか」
猫の方が魔性っぽい。そしてきっと男はそういうネコ科の女の方が好きに決まってる! 茉梨は心の中でわめきながら、ヤケ気味に鯵とはまちを追加して杏仁豆腐もとった。もちろん代金は車に戻ってきちんと自分の分は出した。鷹岡はこういうのを嫌がるが、茉莉も気になる性分だ。人の奢りで思いっきり食べるのは気が引けると説明して半ば無理やり押しつけた。
車が発進し、助手席で窓の外を眺め、次はスカートを穿いていこうと考えながら、上瀧の顔を思い浮かべた。本部に戻ればこんなこと考えている場合じゃなくなる。せっかく居場所をつきとめたのに。しばらくはお預けか。茉梨は項垂れて、小さく溜息をついた。
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