第14話 母と、「」
その日は、ずっとベッドで横になり休んでいた。
ご飯の時間だけスフィアさんが来て、また食べさせてもらって。
そんなこんなでずっとゆっくりしていた。
……思い返せば、どこか焦っていたところがあったと思う。
自分が誰かわからなくなって、魔法を覚えようとしていたところだったのに、急に剣術をやり始めて。
どっちつかずで全部やろうとして、結局自分の限界を見定められずに何もできなくなって。
結局のところ、今の自分の体は剣を振るっていた時とは違うのだ。
どうあがいても、入れ替わる前の人間にはなれはしない。
戻る手段を探すにしても、元の体に戻れるまでは相当な時間がかかるだろう。
いや、そもそも。
俺は、元の体に戻りたいのか?
アルティという少女に体を返してあげたいのか?
人に嫌われ続けたアルファスという男に。
魔法も使えもしない、ただの孤独な剣士に。
戻りたいのか?
俺は――私は。
どうすれば、いいんだ?
ふと、思い出す。俺の体は今どうなっているのだろうかと。
普通に考えればアルティという少女が体に入っているのだと思うが……
普通の人間が、あの呪いある体に入って、人から後ろ指をさされて。
そしたら――どうなるんだ?
俺の体は今……どうなっているんだ?
意図的に考えていなかったのか、考える余裕がなかったのか、その重大なことに今更気づく。
遅すぎる。
俺はもっと早く現状を把握するために動くべきではなかったのか?
俺を殺した奴は今どこにいる? そして入れ替わったアルティは?
突然現れた殺人冒険者の正体は? 俺と入れ替わったアルティがその正体なのか?
俺の体で? なぜ?
急に焦りが脳を駆け巡り、体を起こそうとする。
「はいすとーっぷ!」
「はいっ!?」
その瞬間、スフィアさんが勢いよく扉を部屋に入ってくる。
「ず、ずっと監視してたんですか?」
「いや、起きようとしたら気づくようにする魔法くらいかけておいたよ。これでもお姉ちゃんなのでね」
それは監視というのでは。
「いやでもそれじゃ……トイレとかにも行けないんじゃ……」
「そこはちゃんと付き添ってあげるから。大体その辺まで管理しないとまずい事やったって気づいてる?」
「うう……」
「それでトイレ行く?」
「いや、あのその……」
……今日まだ行ってなかったな。
言われてみると、すこし、むずむずするような気がする。うう。
恥ずかしいけど……行くか。
「じゃあ、お願いします……」
「はいはい、おまかせあれ!」
***
トイレまでスフィアさんに付き添ってもらった。
盛大に恥ずかしい。と、いうのも、用を足すのにもいろいろと違和感があるからだ……。
やり方が、違うというか、なんというか。
詳細割愛。
しかし金持ちの家のトイレというものは豪華なものなのだなあ、部屋が広くって、装飾が豪かで、しかも勝手に水が流れる。どんな魔法を使っているのやら。
冒険者のする用の足し方と言ったら、適当にその辺にしてその辺に放置するか下手したら相手に投げるか……ひどい話だ。
今なら、一人だ。少しだけ落ち着いていられる。
今日一日中じっと見られているのは、悪くはないが気づまりしてしまった。
少しだけゆっくりして、何も考えずに体を休める。
こうしていられるのなら、私は、前よりずっと幸せに暮らせているのだと思う。
ある意味、女の子になれたことに感謝するべきなのかもしれない。俺を殺したあいつらを、体を入れ替えた彼女に、感謝すべきなのかもしれない。
……何のためにそんな暴力的な手段を使ってまで俺の体を手に入れたかったのかは分からないが。
分からないことだらけだ。考える余裕すらなかった。
そして俺は、私は、このままでいいのか。
このまま、出来る事なら、許されるのなら、ずっと、この体で――
首を振る。あまりにもそれは、独善的すぎる。人の体を借りたまま生きるという事が許されていいのか。
いけない方向に考えが行ってしまっている。
少し、気分転換をしよう。
そう思って立ち上がり、窓を開こうとする。
ガチリ。開かなかった。
? おかしいな。鍵はいつもかかってないのに。
「アルちゃんまだー?」
「あっはい」
声を掛けられたので、すぐに外に出る。
考えは、もっと後にしておこう。出来るだけ先延ばしにしてもいいかもしれない。
何も考えずに、できればしばらく今のままで。
「あの……終わりました」
「はいよー何も変な事してないだろうね?」
自分からしてみたらこの体で用を足すのは変なことをしているような気分に……。
いや、もうやめよう。
「してませんよ! ……してませんからね!」
「はいはい、じゃあ戻るよー」
***
屋敷の中はもうすでに暗くなり始めている。どうやら休んでいるうちに夜が近づいてきたようだ。
暗いながらも、窓から入ってくる月の光が、廊下を照らしていた。
「静か、ですね」
耳をすませば、音がほとんどしなくなる。
自分とスフィアさんの足音だけが響き渡り、それがなぜか不気味に感じられた。
「そだね」
スフィアさんは……なんだかぼーっとしているような? そんな気がする。
「ねえ、アルちゃん」
スフィアさんは唐突に口を開く。
「なんですか?」
「……敬語で話すのやめてよ……この前はさ……お姉ちゃんって呼んでくれたじゃん」
もじもじしながらそんなことを言う。俺は恥ずかしさを隠すように返す。
「それは、そのーなんていうか、恥ずかしいというか」
「だーめ、ずっとお姉ちゃんって呼んでくれないと――」
と、その時、ガタン! と大きな音がした。
嫌な、静寂が流れた。
「上の階の方……?」
何か嫌な予感がする。
背中に悪寒が走る。
「行かなきゃっ」
「えっ」
スフィアさんは俺の手を掴む。
そのまま小走りで屋敷を突き進み、音を立てて階段を登る。
その先の少し広い空間の正面に出る。目の前には剣と盾を持った鎧が飾られていた。
そして、その隣には人影のようなものが――
「お母さん?」
スフィアさんが手をかざす。魔法を使い、光で照らす。
薄暗い中、照らされたのは――。
心臓を、剣で刺され、胸から赤い血を流している――母親の姿だった。
「――――――え?」
目を見開き、激しく瞬きをし、その場から動けない。
いくら瞬きをして、目に見える世界をリロードしても、現実は変わらない。
そこには剣が突き刺さった母親がいる。
「おかあ……さん?」
血だまりが広がっていく。
スフィアさんは、ずっと、立ち尽くしていた。
「なんで?」
俺は母親に駆け寄り、ささった剣を抜く。
まだ温かい。昏睡させられているようだが、息はある。
――刺されてから、時間は立っていない。つまり。
俺は、自らが来ているドレスの裾を引きちぎった。
「えっ……アルちゃん、何を」
そして、即席の包帯にし、怪我した部位に巻き付ける。
「包帯なら、医務室に……医務室は、一階の……」
それは後でいい。取りに行くのは時間がかかる。今やるべきは――
俺が手に取ったのは、近くの鎧の置物が携えている、盾だった。
その刹那だった。
どこからともなく、一筋の剣筋が飛来してくる。
「!?」
鈍い音が響く。
スフィアさんの前に出て、重い盾を何とか持ち上げ、それを防いだ。
「……ふふふ、失敗したか」
廊下の暗い暗闇から黒い人影が現れる。
「油断した所をついたと思ったのに。間違えたかな? まだこの体に慣れてないからかな?」
「誰……!?」
「っ……!」
体中が壮絶な身震いに襲われ、一歩たじろぐ。
生理的な嫌悪感が体中を支配する。
ひどく不愉快でえづきたくなるほど壮絶な匂い、爪でひっかいたような耳障りな足音、逃げ出したくなるほどの吐き気がするくらいの気配。
目を覆いたくなるほどの醜悪な、その姿。
現れたのは、ボロボロの布切れの様な黒衣の姿に一本の剣を持った……男。
それは、「俺」だった。
アルティ・ルヴァンと入れ替わる前の――
「久しぶり……でいいかなぁ? お姉ちゃん?」
「アルファス・トーレ」のまさにその姿だった。
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