第7話 お嬢様としての「生き方」
次の日、ルヴァン家の母親の部屋に呼び出された。
名は、リーシェ・ルヴァンというらしい。
その部屋に入ると、彼女は座るように促す。
「昨晩はよく眠れましたか?」
「はい」
「それは良かった」
笑顔を浮かべる。優しそうな人だ。
だが、急に表情を変え、語気を強くして言う。
「記憶喪失になったとのことですが……本当に何も覚えていないのですか?」
「……はい」
「……全く、困ったものですね。記憶喪失とは。都合の良い言葉だわ」
……何か感づかれただろうか。記憶喪失を都合のいい言い訳として使ってるのは事実だ。
「このままでは……婚期が遠のいてしまいますわ」
結婚。か。……正直、男と結婚なんて死んでも嫌だ。……俺は女になってしまったが、それでも、まだ女性と付き合うのも無理だと思う。
「あなたの使命は、ルヴァン家の娘として誰かの嫁になる事です。スフィアも冒険者などにかまけていますがそんなことではルヴァン家の女としてふさわしくありませんわ」
なんだか、お堅い人のようだ。昔からの伝統にこだわっているというか……貴族とは、そういうものなのだろうか。
「……しかし、なってしまったものはしょうがありません。まあ、前のあなたもよくわからない魔術書集めなどにかまけていましたが……そんなことは止めてふさわしくですね……」
ここから、リーシェさんのお小言が始まった。
ねちねちと、いやらしい口調で細かいことをあげつらったような文句が続く。
だが、そんなことを俺に言って何になるというのだろうか。相手は何も知らない他人だというのに。
ふと、自分の両親の姿を思い出す。
二人して、訳の分からない荒げた声で、自分をせめて立てているのを。
決まって俺はそれを聞き流し、最後に殴られて終わる。それが、いつもだった。
そんな風に唖然としてぼおっとしていると、突然、俺の方に手を伸ばしてきた。
(……殴られる?)
何を想起したのか、思わず目をつぶる。すると、頬を撫でられた感覚があった。
恐る恐る目を開けると、リーシェさんが俺の顔を覗き込んでいる。
そして、「はぁ」とため息をつく。そして俺の顔を見て言った。
「……まあいいわ。記憶喪失の人に何を言っても無駄でしょう」
「えっ?」
「とりあえず、これからは淑女の振る舞いというものを徹底的に叩き込みなおしましょう。いいですね?」
「は、はい」
「それじゃあ、さっそく始めるとしましょう」
そういって、リーシェさんはにっこりと微笑んだ。……俺は、どうなるのだろう。
一体、何をやらされるんだ?
***
そうして、厳しい特訓を受けることになった。
「まずは歩き方からよ」
「はいっ!」
「声が小さい」
「はいっ!!」
「もっと腹の底から出すように」
「はいっ!!!」
「そうそう。それから、歩くときはスカートの裾を持ち上げて」
俺は言われた通りにする。
「もっと丁寧に歩きなさい!そんなにがさごそ音をたてない!」
「はっ、はい!」
「姿勢が悪い!」
「はい!」
「背筋を伸ばす!」
「はい!」
***
「次はダンスの練習をしましょう」
「は、はい……」
されるがまま、言われるがままに、言われた通りの事をやる。
「ステップが遅い!」
「手の動きがなってない!」
「指先まで神経を使う!」
「足がもつれている!」
「リズムがずれてる!もう一度最初から!」
***
「はい、ここまで。休憩にしましょう」
「はい……」
俺はその場に座り込む。……かなり疲れた。体力には自信があったが、やはり、慣れないことはきつい。
「どうしたの?もうバテたの?」
「いえ、大丈夫です」
「そんなんじゃだめよ、ダンスは大事なことよ。それに、いずれはこの国の偉い人と一緒に踊ることになるんだから」
「は、はぁ……」
「しっかりしてくださいね」
そういって、厳しい顔を崩さないまま笑った。
おれは、スカートのふわふわを足に感じながら、なぜこんなことになったのかと頭を抱えていた……
***
「次はテーブルマナーよ」
まだ、やるのか。
「は、はい……」
目の前に出されたナイフやらフォークやら、知らない食器を使って料理を食べなくてはならない。
「そんなに緊張しないで」
「そ、そう言われても……こんなに上品な食事はしたことがなくて……」
「このくらいできないとこの先の社交界でやっていけないわ」
「は、はい……」
「それじゃあ、私に続いて復唱して」
「はい……」
「右手に持ったカトラリーは外側から使う」
「右手に持ったカトラリーは外側から使う」
「スープを飲むときは必ず音を立てずに飲む」
「スープを飲むときは必ず音を立てずに飲む」
そんなようなことをずっとさせられた……
***
一通り終わって、ようやく大きな休憩時間がとられる。
……疲れた。体中が痛い。頭が痛い。この体になってから体力が少なくなったような気がする。……慣れないことばかりしてるせいでもあるだろうが。
何だかもう頭の中がぐちゃぐちゃである。
男なのに女みたいなことをやらされて、でも今の俺の体は女で。
今まで冒険者だったのに訳の分からない貴族のマナーを教えられて、全然覚えられなくて。
なんでこんなことになってるんだ。今更ながら少し安易に考えていたことを後悔し始める。
何に後悔すればいいんだ。誰を憎めばいいんだ。
俺を殺したあいつらか。体を入れ替えたあの少女か。
それとも、自分自身か。
訳が分からない。頭がおかしくなってしまいそうだ。
「うう……」
なんだか、自分がみじめになってきた。
頭の隅からヒビが入っていく。
尊厳が、今までの自分が、存在そのものがボロボロになっていくのを感じる。
自分の手を見る。そこには小さな小さな手と、ドレスの裾がある。
下を見る。小さな胸と、小さな体と、かわいらしいフリルのついたドレスがある。
どこからどう見ても、高貴な生まれのちいさなお人形のような少女の令嬢がそこにいる。
黒衣の嫌われ者の冒険者、アルファス・トーレは……そこにはいない。
俺は、アルティ・ルヴァンなのか?
俺は――いったい誰なんだ?
そんな問いかけをしても――誰も答えてくれる人はいなかった。
”ガチャリ”
そんな音がして、扉が開く。
「アルちゃん、だいじょーぶ?」
優しい声が、聞こえた。
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