第3話 鬼女の逆恨み
「ええ?…もう遅いから、無理ですよ。これからお風呂ですし…、すいませんけど…」
夜9時、隣室にいて受験勉強をしていた里美の妹が携帯電話で誰かと話す姉の声を聞きながら「今日のお姉ちゃん、なんか変だ」と感じていた。
姉が携帯電話で誰かとおしゃべりするのは珍しいことではない。
ただ、いつもなら明るく楽しそうに話している声しか聞こえてこなかったのに、この時は妙に沈んだ声で明らかに話したくない相手と話している感じだったのだ。
時々「いえ、そういう意味で言ったわけではなくて…、ハイ、ごめんなさい。いえいえ、本当にそんなこと思ってませんよ」などとも言って穏やかではない。
妹はその時はおかしいと感じつつ、通話を終えた姉に「ねえ、あのドラマ一緒に観ようよ」と声をかけたが、「後で観るから、ビデオに録画しといて」という返事。
そのドラマは里美が毎週楽しみにしているドラマであり、その日は最終回だった。
やっぱりちょっとおかしいとは思ったが、その時はさほど気にはならなかったようだ。
そして、これが妹にとって生きている姉に会った最後となってしまう。
里美はこの時、大場と話していたのだ。
夜にも関わらず「今から来ない?」と誘われて断っていたが、そちらに迎えに行くからなどという強引な大場相手に困惑していたとみられる。
だいたい里美は大場とはさほど深い仲ではない。
むしろあまり付き合いたくない相手だった。
二人がいつどのように知り合ったかは分かっていないが、少なくともこの年の夏ごろには交際があったと思われる。
しかし、この二人に交際があったことを知っている者はごく少数であり、そのごく少数の者の話では里美は何かと親しげに付きまとう大場を避けたがっていたようなのだ。
理由は決まっている。
前科もあるし、反省していないどころかヤクザみたいなのと今もつるんでいるし、本人もガラが悪く性格が陰険極まりないクソ女だったからだ。
「この世には悪い人なんていないよ。その人のために何か一生懸命やってあげれば、絶対いい人になるんだよ」が口癖で、誰にでも優しい里美の包容力のキャパをもってしても、大場は付き合うのが苦痛な女だった。
善意と愛情に包まれて20年しか生きていない里美は、本当に悪い奴に会ったことがなく、まさに大場こそがそんな奴だったのである。
だが、里美はお人よしで優柔不断なところがあり、「アンタとは付き合いたくない!」という断固たる意思表示ができず、「苦手だけど絶交するのはなんか気の毒だし…」とズルズル望まぬ関係を続けていたようだ。
それに人の頼みを断れない性格でもあった。
そして里美を呼び出して痛めつけようとしている大場の方は里美が自分との約束を破って「援助交際をやっている」ことを口実にしていたが、これはもちろんウソである。
真面目で夜中に外出すらしない里美が援助交際などするはずがないのだ。
ではなぜウソをついてまで里美を痛めつけようとしたかについては明確な理由が現在も分かっていない。
だが、だいたい察しはつく。
それは里美の態度にムカついていたからだ。
里美は大場にケンカを売るような態度を取ったことは一度もなかったであろう。
だが、友人の証言で大場を避けようとしていたことから分かる通り、里美のよそよそしい態度だけには気づいていたはずだ。
あのくそ女、このあたしが親しくしてやってるのに、避けるようなそぶりばっかりしやがって。
電話すりゃ暗い声で早く切りたそうな感じで話しやがるし、直接カオ合わせりゃ顔色うかがうようなひきつった顔しやがるし、あたしといる時と他の奴とつるんでる時と明らかに態度が違う!
そういうのが一番ムカつく!!
いいとこのお嬢様ぶったそぶりや女の子女の子したしぐさも結構気に入らない。
大場は自分がなぜヒトに避けるような態度をとられるか考えるはずもない奴に決まっているから、純粋にそれが気に食わなかったんだろう。
ナメられたとすら考えていたかもしれない。
自分をナメている奴は痛めつけてやるべきだ。
大場は自分を警戒する里美をうまく呼び出すために、あれやこれや笑顔でやさしい言葉遣いで誘う反面、相手の言葉尻をとらえて脅すようなそぶりで話したり、「迎えに行くから」などと有無を言わさぬ強引さでしつこく誘い続けた結果、うまく断ることができない里美は呼び出しに応じてしまう。
早朝に近い深夜に家を出た里美は、槻木駅で丹野と大場の乗る車に拾われて仙台市内に向かった。
いい予感はしなかったであろうが、彼女はもちろん行き先が組事務所とは知らないし、自分がそこで痛めつけられることになるとは思っていない。
そして、これから人生最悪の六日間の監禁生活が始まり、二度と家に帰れなくなることも。
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