第31話 蛍の舞う頃に その二

 正直、何だそりゃというのが感想だった。


「へぇ」

「あら、どうしたの? 嬉しくはないの?」

「いんや、何つーか、やっぱりただの夢だったって感じだな」

「どうして?」

「都合が良すぎる。もしくは厭らしすぎる」

「……そうかもね」


 しばらく無言が続く。

 別にこちらは不機嫌になるわけではないが、何となく気まずい。

 先に口を開いたのは沙良の方だった。


「結局、何がしたかったと思う?」

「質問ばかりだな」


 皮肉っぽく弘之は言った。沙良はニッコリと笑って言い返してきた。


「じゃあ、ヒロユキが質問して良いよ」

「……結局、これは何がしたかったんだ?」


 沙良はお面を外しながら笑った。厭味のない綺麗な笑みだった。


「少しは考えなさいよ」

「嫌だよ。疲れているんだよ。週末は寝て過ごしたいパパって当然だと思うぞ?」

「あらあら、家族サービスを怠ると熟年離婚への一本道よ?」

「そんときゃ、えっと、土下寝でもするかな」

「土下寝ってあんまり誠意が感じられないんだけど」

「なら切腹でもして詫びるさ」

「死んだら元も子もないじゃない」

「あははは、それもそうか」


 しかし、本当に聞きたい事はそれだけだった。

 彼女の本体の正体が、そう、誰であろうと――関係ない。

 それは嘘だったが、本当でもあった。


「人を好きになるってどういうことなのかしら」

「それは哲学的な話か?」

「いいえ。現象的な話よ。あなたも恋したことくらいあるでしょう」

「……仲良くなりたくなる?」

「そう、それだけの話だよ」


 沙良の言っている事はつまりは――もっと仲良くなりたい。

 知りたいということ?


「仲良くなりたいって、別に仲悪くねぇと思うんだけど、俺は」

「あら、あなたは誰を想定して言っているのかしら?」


 弘之は黙るしかない。


「アタシの望みはそれだけなの。本当よ? 仲良くなりたい。そのためにあなたがどんな人か知りたかった。何に怒りを覚えるのか? 何に憧れるのか? 何を好きになり、何から逃げたがり、何を許して、何を許さないのか。それが知りたかった。だから、色んな『あなた』と出会った。色んな世界で。でも、それがこんなことになるなんてね……」


「こんなことになる? 別にどうもなっていないぞ」

「あなたは本当に何度も死にかけていたのよ」

「…………」

「アタシのこの能力の方向性は『拷問』に特化したものだった……そして、この能力は他に類を見ない成長を見せた……世界に隠されている様々な事実を呑み込み、全てを支配し、世界の全てを覆い尽くしかねないスピードと規模で……。

 例えば、あなたが憧れていた『武道家』。喜んでいいわよ。この人は実在している。現代で二十三を数える彼らは無類の格闘技能力者ではあるけど、でも、それだけの話。彼の傍に『石杜いしもり先生』がいても、いえ、彼らだけじゃなくてあの最凶の『獣王』や『獣姫』でさえもアタシたちにかかれば、瞬殺。研究集団『壱式』であろうと、傭兵『しのやま』であろうと、最強の殺し屋『初瀬はせ家の案山子』であろうと勝負にならないでしょうね。究極の存在である『旅人』だって、私との接触が精々でしょう」

「へぇ」

「まぁ、どうでも良いんだけどね。関係ないから」


 と、沙良がとんでもないことを言った。


「どうでも良いんかい!」


 それらがどういうものかさっぱり分からないけど、この世界も色々あるらしい。


「アタシは最強の存在よ。でも、そんなことはどうでも良いの。そんなどうでも良い有象無象なんて関係ない。アタシには全くどうでも良い。それよりもあなたがどういう人間かの方がずっと知りたいこと」


 魔女で最強の存在――その目的は俺が何を考えているか知りたかった。

 それは微妙に歪んでいて、目的と手段が不一致な気がする。

 例えるなら、タバコの火が欲しくて、火炎放射器を使用するアンバランスさだ。


「…………」

「怒った? そうよね、あなたは自分の憧れに対する信仰が強い」

「どっちかっていうとその分かったような物言いの方がムカつくけどな」

「ごめんなさい」


 謝ったが、どちらかと言えば、そうそれは全てを謝っているみたいだった。


「誤るなよ」

「違うわよ。謝ったのよ」

「誤ったから謝ったんだろう」

「間違えるなって? 無茶言うのね」

「そうかもな」

「俺のことが知りたくて、それでどうしたいんだよ。それで俺のことをどうしたいんだよ」

「さぁね」

「思いを伝えて満足か? それでどうすんだよ。こんな世界に閉じこもって……それでどうするんだよっ!」


 弘之は怒っていた。

 もっと分かっていたと、そう勝手に思っていたから。

 少なくともこちらは大好きで、分かろうとして……友達ではあると思っていたから。

 それが勘違いだったからこそ――彼は自分自身に怒っていた。


「思いを伝えるのだって――とっても勇気がいるのよ」


 沙良はスクッと立ち上がった。タッと境内を降りた。

 そして、クルッと回ってニッコリ笑う。魔女の癖にお姫様の様に。

 華の様にという表現は――あまり相応しくない形容詞だと何故だか弘之は感じた。


「この空間、この時間、この全てがアタシの夢なの……。アタシはアタシを知って欲しかった……何に怒りを覚えるのか? 何に憧れるのか? 何を好きになり、何から逃げたがり、何を許して、何を許さないのか。そう、これはそれだけのお話」


 でも、もう、終わりと沙良は続けた。


「この世界ももうおしまい。あなたを支配することだってアタシには簡単。でも、そんなことは絶対にしない。秘密道具に頼るのび太くんは私欲のために使った道具でいつも足元をすくわれるでしょ? だから、アタシの『本体』はそんなことをしない。この楽しい記憶をアタシは自分の胸に収めておくの」


 沙良は芝居のような仕草で頭を下げる。


「本当にありがとう、ヒロユキ」


 ヒロユキというそのちょっと違った発音が、既に馴染み深いものとなっていた。


「うっせぇよ」


 弘之はぶっきら棒に言った。寂しさをごまかすために。


「またいつだって会えるんだろう?」


 いいえ、と沙良は言った。


「……ドラえもんで有名な藤子・F・不二雄先生がね、SFの定義を『サイエンスフィクション』ではなくて、『すこし・不思議』って言ったの。

 アタシの場合もそうよ。

 すこしだけ幻想譚ファンタジア……SFね。

 ファンタジーはね、覚めてしまったら終わりなの。

 だから、さよなら」


 もう、こんな形で会うことはありません、と沙良は言った。


「……知ったことか。ふざけんなよ。せっかくだってのに……俺を怒らせたらどうなるか教えてやる。絶対に後悔するぞ」

「ふーん。そうかしら」


 沙良はどうでも良さそうに言った。が、どことなく面白そうだった。


「ああ、絶対にお前は後悔する。断言する。スゲー目に遭う」

「はいはい。そうなると良いわねぇ」


 ふん、と鼻で笑った。

 弘之は手にしていた団扇で沙良の頭をポンと叩く。撫でるように。

 沙良はくすぐったそうに身をよじった。


「最後に何か一言ある?」

「最後じゃないから分からん」

「……お願い」


 そんな顔をされたら仕方がない、と弘之は言った。


「すこしだけ・ファンタジア。SFと言ったな」

「ええ」

「だとしたら――」


 その言葉に沙良は「…………」と絶句した後、フフフフッとお腹を抱えて笑い出した。

 高らかな笑いが響き渡る。楽しそうに、楽しそうに。


「ヒロユキにしては気が利いているじゃない! 見直したわよ!」

「一応、初恋の人相手らしいぞ。俺ってお前の」

「アタシの『本体』よ。アタシについては……どうでしょうね。うふふ」


 ふと、弘之は何で沙良が「アタシの『本体』」という言い方をするのかが気になった。

 それはつまり、別の個性を持った存在ということか?

 華とは別? それで良いのか?

 どこかの世界でのいつぞやの台詞を思い出す。


『アタシは『魔女』よ。夢の世界を我がモノのように操る『魔女』なの』


 それはどういう意味なのだろうか?

 またどこかの世界での言葉を思い出した。

 人を具現化するには足りない。

 では、今では? 成長した今では?

 もしかして、彼女の――『本体』ではなく、沙良の目的は――。


 思考が何かによって遮られた。

 それ以上の考えが進まない。


 沙良はスッと両手を振って――下ろした。まるでオーケストラの指揮者が演奏を終了する時のように。

 それに伴って星明かりや蛍の光が消え、緞帳が下りるように――ゆっくりと世界が色彩を失っていった。


「想い出は美しく。さよならは楽しく。だから、笑ってよ、ヒロユキ。バイバイ」


 沙良の笑顔が目に焼きつく。

 弘之も笑い、しかし、少しだけ違う別れの挨拶を言った。


「またな!」


 色彩が完全に失せ、ふっと何かが切れた気がした。

 ゆっくりと浮いていく。

 ゆっくりと、ゆっくりと。

 …………。

 ……。


   +++


「……わぁ!」


 目が覚めるとそこは学校だった。


「静かに寝るんじゃなかったの?」


 隣の席には華がいた。当然だ。授業中なのだから。

 だが、何故かは分からない。

 俺にはその当然が不思議でならなかった。


「…………」


 窓側の席だけが明るい教室。

 雑多な掲示物にゴミ箱から突き出た何かのポスター。

 昼下がりの退屈な授業。

 ……何か大切なものを逃がしたような気がしていた。

 ……何もかもが全てすごくすごく大切なもののような気がしていた。

 いつも通りの教室。

 授業風景。

 これだって数年後にはもう手に入らない。

 何もかもが移ろい、儚い幻想のようで。

 同じ時間は決して訪れない。

 後悔したくないと――そう強く俺は思った。


「……なぁ、華」「何よ?」「俺ってどのくらい寝ていた?」「何よ。十秒も寝ていないわよ。それがどうしたのよ」「……よく分かんないんだけどさ。すごく色んな夢を見た気がする……」「そう」「なぁ、華」「何よ」「お前の初恋っていつだ?」「静かにしなさいって。忘れたわよ、そんな昔のこと。今は授業中よ」「俺は幼稚園だったっけ。違ったかな」「うるさいわねぇ。一体、何の話よ」「いや、な。大した話じゃないんだけどな」「だったら後にしなさいって。今、授業中よ」


「好きです。付き合ってください」

「……はい?」

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