第28話 鈴と少女と恐竜と その二

  ・三日目


 三日連続で博物館に足を運ぶのはヒロユキも初めてだった。

 期待して行くとやはり広場に沙良はいた。


「やぁ、今日も良い天気だね」


 ヒロユキは笑顔で挨拶をした。沙良は手を休ませることはなかったが、少しだけ視線を向けて返事をくれた。


「……室内でする挨拶としては不自然ではありませんか?」

「ハハハ。そうかもね」


 沙良はヒロユキにつられたのか――微笑を浮かべた。

 しばらくいつも通りに黙って音色を聴く。

 気のせいかもしれないが、昨日一昨日とは旋律が違っているような……。音楽センスには自信がないので断言はできない。


「そういえば、待ち人は来た?」

「……いいえ」

「どんな奴なの?」

「……アタシのことを強く想ってくれています」

「男だよね」

「……そうなると思います」

「と言う事は、恋人とか?」

「……その範疇には当て嵌まらないと思います」

「じゃあ、どういう関係なの?」

「……? …………」


 沙良は押し黙った。彼女は話す前に思案しているような間があるが、それとは少し違う気がした。

 もしかして、困っているのか?


「いや、無理して答える必要は無いけどっ」

「……分かりません」

「……はいっ?」

「……分かりません」

「分からないって、何で?」

「……あなたとアタシの関係は何なんですか?」

「知り合いかな」

「……知り合いと友達の境界はどこですか?」


 なるほど言葉にするのは難しい。

 どんな定義にしろ実際の関係に当て嵌めようとすると何だか浮ついている。


「難しいね」

「……難しいです」

「そういうものなのかもね」

「……そういうものかもしれません」


 そこで沙良は少しだけ言葉を選ぶように訊いてきた。


「……あなたは、人の、何を好きになりますか?」

「えっと、何だろうね」


 考えてみると、意外と難しい。


「……顔ですか?」

「イケメン限定っ?」

「……体ですか?」

「いやいやいやいや!」

「……そうですか、両方ですか」

「いや、他にもあるでしょ!」


 沙良が意外と直球過ぎてちょっと驚く。

 つーか、何て言えば良いのか誰か教えて欲しい。


「……じゃあ、何ですか?」

「何で選択肢に性格が入ってないのさ」


 ヒロユキは少しだけ考える。


「直感というか、一目惚れというか、遺伝子レベルとか」

「……性行為が目的、と」

「こらぁ! じゃあ、沙良は人の何を好きになるんだよ!」

「……優しくて、面白くて、包容力のある人です」


 沙良が微笑んだのでヒロユキは言葉を失った。

 意外と普通の判断基準で驚く。

 今日も鈴が反響していた。



  ・四日目


 あの部屋に行く前に新しい絵があったので見に行くことにした。

 絵の前には、既に人だかりが出来ていた。


『獣王対武道家』


 獣に立ち向かう『道』を背負った一人の男性の絵だ。

 荒々しいタッチで大胆に描かれている。琴線に触れるものがあって、しばらく絵の前で立ち尽くす。カッコいいなと思った。

 ……鈴の待つ部屋へ行こう。


 沙良は相変わらずで、ヒロユキも柵に体重を預けて鈴の音に耳を傾ける。

 ポツリポツリと質問が交わされる。

 交わすというにはあまりに一方的な関係だったが。


「この恐竜は好き?」

「……嫌いではありません」

「俺はかなり好きかな」

「……理由は何故です?」

「でかいから」

「……そうですか」

「男ってのは莫迦だから力強くて大きいものに憧れちまうんだ」

「……確かに強そうです」

「だろう」


 ヒロユキは無邪気に笑った。

 沙良は笑わないが、それでも頷いてくれた。


「あの自重を支える為の脚の太いこと。踏まれたらひとたまりもないだろうな」

「……そうでしょうね」


 沙良が珍しくヒロユキを見た。

 鈴を鳴らす手が止まる。

 眼が合った。


「どうしたの?」

「……いいえ。別に何もありません」


 沙良は視線を戻し、何事もなかったように鈴を鳴らしている。


「?」


 まぁ良いや、とヒロユキは新しい質問をぶつける。


「そういえば、何でここが最適なんだ?」

「……分かりません」

「まぁ、確かに人気はないけどね。密会には相応しいのかもしれないけどさ」


 あれ、と生じる疑問。沙良にぶつけてみる。


「何でここって人が来ないんだろう」

「……ここは特別なんです」

「特別、かぁ。分かる気もする」


 特別だからこそもっと披露すべきじゃないかなとは思うけど、特別過ぎてどうして良いか分からないレベルとか……ないかな?

 沙良が続けて言った。


「……特別で大切で一つしかないんです。きっと、それは後悔にも似ていて……」

「後悔にも似ていて、かぁ。でも、後悔って唯一じゃないよね」

「……そうかもしれません」


 何を言っているか分からない。

 でも、会話は楽しいから良いのだ。


「君の待ち人もこういう大きい奴が好きかな」

「……嫌いだと思います」

「へぇ、どうして?」

「……勘です」

「ふーん……」


 今日もいつも通りだった。悪くないと思った。



  ・五日目


 今日が休館日ということを忘れていた。

 同じように博物館の前で佇んでいる人がいたので声をかけた。

 不思議な眼をした、茫洋としたとらえどころのない男だった。


「今日は休みですよ」


 ヒロユキが言うと、その男性は頭を掻きながら笑った。

 飄々とした笑いで、困ったなぁと言いながらも楽しそうだった。


「そうみたいだね。参ったな。無駄足だったよ」

「何を観に来たんですか?」

「んー、新しく絵が飾られてあるだろう。それを観に来たんだ」

「あー、カッコいい絵でしたね」

「だろう? それにあれは貴重な絵なんだよ。『武道家』と『獣王』の戦いの一部を切り取った素晴らしい絵なんだ」

「詳しいんですね」

「ああ、『武道家』は最高の達人だからね」


 それからその戦いの顛末を教えて貰った。

 血沸き、肉躍る――それは胸躍る物語だった。


「ありがとうございます。楽しかったです」

「ああ、またね。

 ……頑張ってね」

「? はい!」


 そんな会話をしてヒロユキはその男性と別れた。



  ・六日目


 ヒロユキが勇んでいつもの場所へ行くと、沙良はいなかった。

 一日空いたので気合が空回りしている。

 そもそも毎日約束をしているわけでもないのだから、会えなくてもがっかりするのはあまりに身勝手だろう。

 それでもちぇっと舌打ちして、ヒロユキはこれからどうしようか考える。

 特にもう見たい展示物もなく、途方に暮れる。

 自分がいかに彼女との会話を楽しみにしていたかを思い知った。

 ヒロユキが入り口で佇んでいると後ろから声を掛けられた。


「……こんにちは」

「やぁ!」


 沙良だった。

 向こうから声を掛けてくれるとは思っていなかったので、ヒロユキは嬉しくて顔一杯で笑った。沙良は会釈していつもの定位置へ。

 早速沙良は鈴を奏で始めた。いつもと変わらず素晴らしい。


「本当に良い音色だよ」

「……ありがとうございます」


 いつも通りヒロユキは聴き入る。ゆっくりと座って柵にすがる。

 一つ悟った。

 もう明日には聴けないかもしれないのだから――この時間を大切にしなければならない。

 どんなに良い音色も拡散してしまうのだから。

 だから、一つ思いついたお願いをしてみることにした。

 関係が悪くなるとか、十中八九断られるだろうという予想もしないでもなかったが、ささやかな問題だ。


「ねぇ、その鈴ちょっと貸してくれない」

「……はい」


 意外とあっさりと鈴を渡してくれた。


「貸してくれるんだ!?」

「……はい?」

「いやいや意外だったから」

「……貸さない方がよろしいので――」

「ありがとうっ」


 沙良の気が変わらないうちに鳴らそう。喜んで鈴を振るが、


「あれ? ふんっ、この、うおおっぉおぉおぉ。コイツめ!」


 全然沙良と同じような音色は出なかった。


「……あの、大切に」

「うぉ、すんませんっ」


 珍しく焦った様な沙良にヒロユキは謝った。熱中し過ぎて周りが見えていなかった。


「しかし、何で上手く鳴らないんだ? はっ? まさか逆手で? 俺、本当は右利きなんだ! なのか?」


 左から右へ持ち替えて鳴らす。逆手では当然のようにダメだった。失敗。


「ダメか。単発の音にしかならない。くぅ、こんな所で挫折するとは」

「……早いですね」

「諦めるのはまだ早いというか、始めなければ終わらない。つーわけで、返すわ」

「……はい」


 鈴は持ち主の手に戻ると生まれ変わったように歌い出す。


「さてはこの鈴は男だな。可愛い女の子の手で振られたいんだ!」

「……そうかもしれません」

「参りました。すいません。変なこと言って」

「……そうですか」


 ありとあらゆる面で敗北した気がした。

 素人は自分でどうにか立ち直り、玄人に尋ねる。


「どうしてそんなに綺麗な音が出るんだ?」

「……何ででしょうね」

「やっぱり練習とかしたの」

「……それほどはしていませんが」

「じゃあ、物すごいセンスがあったのか」

「……どうなのでしょうか」

 ヒロユキはそういえば、と話を変えた。

「何で鈴鳴らすの?」

「……どういう意味ですか」

「いやぁ、人を待つのに鈴を鳴らす必然性があるのかって意味だけど」

「……千度鈴を鳴らすことで現れるはずです」

「ふーん、ちゃんと数えてるんだ」

「……いいえ」

「ダメじゃん!」


 質問しようと思えば、おかしな点は幾らでもあった。


 何で毎日この部屋に来るのか?

 いつ待ち合わせをしているのか?

 どうして相手はやって来ないのか?

 そもそもどんな相手と待ち合わせをしているのか?


「……ですが、綺麗だとは思いませんか?」


 ヒロユキは沙良の答えに満足したのでただ黙って頷いた。

 きっと、それら全ての疑問は野暮なのだろう。

 ヒロユキはその綺麗な音色だけで十分に満足だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る