第27話 鈴と少女と恐竜と その一
――耐えられないのは痛みなんかじゃない 『恐士』
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・初日
ヒロユキはそれの威容をじっと凝視していた。
その姿を見ていると首が痛くなる。
大きな、とても大きな存在である。
過去に地上を席巻していたものの姿――それは恐竜と呼ばれる。
もちろん、化石だ。白骨体。
そのほとんどが複製でしかないが、それの一部は地面からの文字通りの意味で掘り出し物である。
ここは巷で有名な新設の博物館だ。
東京ドーム二個分という巨大な博物館である。今、開館特別展として古代の生物博が開かれていた。
期間は今日から一週間。休館日を考えるとわずかに六日間しかない。
初日からその見学にヒロユキは一人でやってきていた。
人混みは多いが、多いからこそ孤独を感じさせない。賑やかなのは嫌いではない。
今は世界で最もポピュラーな肉食竜――ティラノサウルスをボーッと観察している。
何て大きな体だったのだろう、と感動に打ち震える。
体が大きいというメリットとデメリットを天秤に掛けてここまで巨大化した存在なのだ。
それはなんだか清々しい物のようにヒロユキは感じた。
しかし、彼らが覇権を握っていたのは一秒前も遡ることの出来ない人間にはどうしようもない程の過去。今は物言わぬただの骨。自重を支えるための金属がやけに空々しい。
形のあるものは崩壊する。万物は流転する。
人間万事塞翁が馬。禍福はあざなえる縄のごとし。七転八倒に七転び八起き……。
「あれ? 何考えていたんだっけ?」
ふとヒロユキは呟くが、よく分からない。
しばらくボーッとしていたが、館内をはしゃぎ回る子供の声に我に返った。走ると危ないよ。
「あー……ボケたかな」
いい加減次のコーナーへ行こう。
順路に従えば、次は首長竜の化石らしい。
ヒロユキが足を向けようとした時に面白そうな人物が眼に留まった。
年は彼よりも少しだけ下くらいの少女だった。スラリとしたしなやかな肢体に、澄ました表情。全身が黒ずくめの服装。
黒タイツから黒のブレザーまで、まるで何かの制服――いや、喪服のようだった。
家族連れやカップルで混んでいる中、彼女に着目した理由はその娘が可愛かったからだけではない。
彼女が手にしていたものが奇妙だったからだ。
それは鈴だった。
握りこぶしを二回りほど大きくしたような形。鉄色で、細かな装飾が施されている。
喪服のように黒い服に鈴。これはどういう組合せだろう?
しかし、それより彼女はどこへ向かっているのか。
興味本位というよりも、誘蛾灯に引かれる蛾のような気分で後をつける。
彼女はまるで人がどう動くのか分かっているようにするすると人混みを抜ける。
ヒロユキは何度もぶつかっては謝ってを繰り返しながら彼女を追う。
見失いそうになったら、鈴の音を追いかける。
奥へ、奥へ、奥へ。
気分は不思議の国のアリスだ。
ヒロユキは白ウサギ――女の子を追いかける。
直にぶつかることも少なくなってきたのは、ヒロユキが上手く避けられるようになったわけではない。
彼女がどんどん人気の無いところへ向かっていったからだった。
完全に人がいなくなり、すると、こんな場所があったのかと思わせられるような部屋に到着した。
その部屋は今までのどのフロアよりも広かった。
高さも広さも別格だった。
それはその部屋の主が別格だったから――たった一頭だけなのに。
巨大な竜脚形類――ブラキオサウルスに似ているが、もっと大きい。全長どれだけあるんだ? これ。三十メートルはあるぞ。
「……すっげぇっ!」
思わず感嘆の声が漏れるくらい大きい。
ヒロユキが古代の貫禄に参っていると、いつの間にか少女がこちらに向き直っていた。ちょっとだけ焦る。
少女は冷静な瞳だが、別にその表情からは迷惑そうでもない。尾行されていたことを気付いていないのか、気付いていて気にしていないのか。
とりあえずヒロユキは笑顔で自分から挨拶する。
「こんちわ」
「……こんにちは」
次の話題を考えていると少女から口を開いた。
「何か用ですか?」
言われてみると思いつかない。
「いや、特に用は無いよ」
首を横に振り、そう言いながらヒロユキは恐竜に近づく。
仕切りの柵は肩ほどまでで簡単に乗り越えられそうだったが、そんなマナー違反はしない。というよりも、ある程度距離を取らないと視界に入らない。
「すごい大きさだよね。この博物館にこんなすごいのがいるなんて知らなかったよ」
誰もいないのが不思議でならない。この博物館の一番の目玉になると思うのだけど。
「……そうですか」
「こう見えても常連なんだけどね」
「……そうですか」
「そうなんだよ」
「はい」
「…………」
会話が続かない。別に続ける必要も無いのだが、ヒロユキは質問してみた。
「その鈴は何なの?」
「……ゆめふーりん~」
「ドラえもんっ? 絶対に違うよね!」
「…………」
少女は無言で鈴を鳴らし始めた。高く美しく儚い旋律。
ただ鳴らしているだけのはずなのに明確な音階が存在していた。
魔法の鈴か、はたまた彼女が天才的な手腕を有しているのか。
ヒロユキは鳴り終わった後、賞賛の拍手を送った。
「良い音だね!」
「……ありがとうございます」
再び少女は鳴らし始める。
ヒロユキは眼を閉じた。そうすることでより一層音に深みが増した気がした。
柵に体重を預け、心は音に任せた。
それだけで満たされる気がした。
・二日目
次の日も彼女は同じ場所――巨大な恐竜の前にいた。
「やぁ」
ヒロユキが手を上げると彼女は振り返って会釈。手には鈴が。
服装も昨日と同じだ。
何かこだわりでもあるのか、喪服のような格好である。
「……こんにちは」
今日もその儚く美しい音を奏でていた。
仮にその鈴が魔法の鈴であったとしても彼女は天才に違いないと確信する。それくらい心に染み入る音色だった。
ヒロユキはしばし唯一の観客として耳を傾ける。
一段落という区切りもなかったが、頃合いを見計らって質問する。
「いつもこんな事してるの?」
「……こんな事、ですか?」
少女の手は休まることがない。鈴を鳴らし続けている。
「鈴を鳴らしているのってこと」
「……そうなるのかもしれません」
「何の為に?」
「……待っているんです」
「誰を?」
「……アタシに会いたがっている彼をです」
「こんな所で?」
「……ここが最適です」
「ふぅん」
と、訊いておいてふと自分が失礼なことをしているのではないか、と不安になる。
「あの、もしかして、立ち入ったこと聞いちゃった?」
「……構いません」
少女は無表情ではあったが、それが普段通りのようだったので特に怒ってはないと判断する。
本当に平静から変わらない。冷たいという印象でもないのだが。
そこでふと、まだ名前も知らないことを思い出す。
「そう言えば、君の名前は? 俺はヒロユキ」
「……沙良です」
「良い名前だね」
「……ありがとうございます」
沙良は初めて表情を浮かべた。微笑。軽く口の端を上げただけのその表情はすごく嬉しそうに見え、それ以上にもともと可愛らしい彼女の顔立ちを一層魅力的にした。
ヒロユキも釣られて笑う。気分が高揚していた。
鈴は鳴り響いていた。
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