第24話 死神の日々 その二
ヒロユキは何となく町に出ていた。
湿気の多い冷やりとした空気の中を歩く。
今日は休日だというのに、人の多い繁華街でも普段の二割減といったところだった。
先ほどまで隠れていた太陽が水溜まりに映っている。
街路樹がいつもより活気よく見えた。
雨で世界が洗われたようだ。
何て清々しいんだろう、とヒロユキは深呼吸する。
するとタイミング良く通り過ぎた大型トラックの排気ガスを思い切り吸い込むことになった。
「……なにやってんのよ」
ゲホゲホと咳き込むヒロユキに死神が冷ややかさと呆れを折半させたような声で言った。
ヒロユキは肩をすくめて何事もなかったように駅前のCDショップへと向かう。
人通りのあるところではあまり大きな声で彼女と会話することが出来ない。
奇異に見られるのを避けたいのではなく、奇異に見られて煩わしい目に遭うのを避けたいのだ。
だから、死神は外を歩くとき、いつもヒロユキにぴったりとくっつく。
ほとんど恋人と見間違うばかりのくっつき方だが、それが見える人はいないし何よりもそんな甘いものではない。
残念だけど。
いや、残念なのか?
ちなみに死神に触れられていると皮膚覚が狂う。接触部は麻痺したような妙な感触があるだけだ。だから、女性的な柔らかさは皆無である。温かみもない。
まぁ、こんな格好の相手に色っぽさなど求める方が間違っているが。
「また、あのうるさい音楽を聴きに良くの?」
「ああ」
「止めなさい」
「命令かよ、おいおい。そもそも別に俺は付いてきて欲しいなんて一言も言ってねぇぜ」
「アタシは付いていきたいなんて一言も言ってない」
「確かにな」
クックックとくぐもった声で笑うと、すれ違う人に奇異の目で見られた。
せっかくだから手を振って答えた。目を逸らされて逃げられた。そりゃそうだな。
「好きに生きようぜ。ラブアンドフリー」
「ピースじゃないの」
「平和な愛は無い。孤独は愛を尊ぶ」
「誰の言葉よ」
「ヒロユキ・クダっていう伝説のアーティストだ。武道館で百万人ライブを行った」
「あんたじゃないの。また適当なことを……。大体、あんたがアーティストって何か練習していたって事一度も無いじゃない」
「芸術は練習するもんじゃねぇよ。心のあり方が芸術なんだよ」
「そうなの?」
「ハッハッハ。適当」
「死ね」
死神はブッスリと黙ってこちらを睨む。
死神は小柄だ。
並ぶと中背のヒロユキの肩口くらいしかない。声の感じからしてもせいぜいが中学生くらいの女の子でしかない。
昔はもっと小さかった。
ヒロユキ自身と同じように成長してきたのだ。だから、表情など見えなくても声を聞かなくても自分の体調と同じように何を考えているのか分かる、ような気がする。
そう、気がするだけだ。
違うんだろうなとか思いつつ適当に決め付けている。
「……大体、あのうるさいのの何が良いの?」
「惚れただけだよ。あのうるさいのにな」
「だ・か・ら!」死神は物分りの悪い子供を教える先生の口調で言う。「何で惚れたのかを聞いてんのよっ!」
「っさいなぁ。分かんねぇよ。知るかよ、そんなこと」
「いつの間にか聴き始めて、いつの間にかはまってさ。アタシにはさっぱり分からない」
「俺も理解してねぇからな。はっはっは」
ヒロユキは笑った後に、あー、ダリィと溜め息を吐いた。
死神は全くコイツはと溜め息を吐いた。
その影のような漆黒の服は水浸しの地面を擦りっ放しだが、濡れも汚れも全くしていない。
雑巾にすれば一生便利だよな、とか言えばまた一ヶ月は口を聞いてくれないだろう。
ヒロユキは思っていたことを訊いてみた。
「なぁ、死神って何なんだろうな」
「……莫迦にしてんの?」
「こんな童話知ってるか?」
「知っている」
「……まだ何も言ってねぇんだけど」
「昔々、ある所に死神が見える男がいましたとさ」
「おーい」
「彼はある時、自分がもしも死神を捕まえたら、この世から『死』を駆逐できるのではないかと考えました」
「もしもーし」
「彼は死神を捕まえて麻袋に入れ、木に吊るしました。その結果、『死』がこの世から無くなったのです」
「いや、合ってるけどさ」
「彼は多くの人に感謝されました。そして、時間が経ち、人々は死の恐怖から逃れました。ですが……」
「ある日、知ったのです。『殺してくれー、殺してくれー』と首を吊り自殺を図る老人たちがいることを!」
「一番良い所を!」
「はっはっは。そう、その話だ」
「それがどうしたのよ。っていうか、これアタシもあんまり覚えてないんだけど、あんたが幼稚園くらいの時にテレビでやっていた人形劇かなんかの内容でしょ」
「つか、よく俺が言いたいこと分かったよな」
「まぁね」
と、少しだけ誇らしげに言う死神はどことなく微笑ましい。
何となくその仮面の下は可愛いんじゃないかなと思わせられる。
「俺は思うんだがな、それと同じことがお前でも起きるのかな、と」
「起きないわよ」
「……ってことは、別にお前が人を死に導くとかそんなわけじゃねぇのか」
はっきりと殺しているとは言えなかった。さすがにそれはヒロユキでも無理だ。
「あんたねぇ、人を特別視し過ぎよ。どんな存在だっていつかは死ぬんだから。生物だけじゃないわ。星だって死ぬのよ?」
「まぁ、そりゃそうだがな」
ヒロユキは少し考えてから自分が何を言いたかったのかを頭の中でまとめる。
「もしかしてさ、お前、本当は死神なんかじゃねぇんじゃねぇのかなぁと」
少しだけ面白そうな声で死神は訊いてきた。
「何でそう思ったの?」
「俺に四六時中一緒にいるから。それは死ぬのが分からないからじゃねぇか。だってよ、死神だったらそのくらい分かりそうじゃねぇか。俺がいつ死ぬかなんてさ」
「つまり、あんたの死を見届けるときにだけいれば良いのに、いつもいつも後を追っているのが不自然だと言いたいのね」
「そうだな」
「まぁ、アタシは別に自分が死神だなんて一言も言ってないけどね」
「……そうだっけ?」
そう言われると「死神」という告白を耳にした記憶が無かった。
いつの間にか勝手に思い込んでいただけなのだろうか。
「それでもアタシという存在を一番イメージしやすいのは死神でしょうね」
「何か証拠があればなぁ」
「アタシが何度か他人の死を言い当てたのは」
「あー、そう言えばそうだったな」
「ま、アタシはヒロユキの死だからね。死の可能性はどんな時でも、どんな場所でも生まれるものでしょ」
「俺の死……」
ということは、やはり閉じ込めると不死になるのだろうか?
「レッツ不死ライフ?」
「あー、あんたが何を考えたか分かるけど、意味無いわよ」
「いや、そんなマジでもねぇけど。つか、不老じゃなきゃ不死にも価値ねぇだろ」
「多分」
「意味あるかもしれねぇのかよ!」
「だったら閉じ込めるの」
「あー、そこまで莫迦じゃねぇと思う」
「そっちの方がある意味で利口かもね」
それでこの死神を閉じ込めて――外見はともかくおそらくは女の子を閉じ込めて、そんなのが利口さだとしたら、ヒロユキには不要な利口さだと思った。
「俺はサディストじゃねぇよ。そんなに長生きしてぇわけでもねぇし」
「マゾだもんね」
「誰がだ、誰が」
「あんたよ、あんた」
言い合うのが面倒くさくなってきた。あー、死にたい。
「……俺はいつ死ぬんだよ?」
「知らないわよ。そんなに死にたいの?」
「生きるために死にたくないんだよ」
「死ぬには良い日?」
「あー、もっと夏の暑くて晴れた日に死にたいな。俺は」
「すぐ腐るわよ」
「別に良いんだよ。そんなに放置されねぇだろうし、そもそも死んだ後は俺には関係ねぇことだし」
「無責任」
「んじゃあ、笑いながら死にてぇな」
「そっちの方は叶えられるかもね」
「んだぁ?」
「生きると死ぬ。でも、生きるってすごく曖昧な定義よね。その境界は『死』によるものだけど、死って細胞レベルの話もできるわよね。患者が死んだ後でもがん細胞って適切な栄養を与え続ければ、半永久的に生きるって知ってた? だったら、その患者は生き続けているのかしら?」
むしろ気になるのは、何でお前がそんなことを知っているのか?
「あー、よく分かんねぇけど、違うんじゃね。意識とかさ、人格が大切なんじゃね?」
「心臓死。脳死。不可逆性が今の死の大きな根拠になっているみたいね。でも、科学技術の発達が死を多様化させた。近世以前なら死んでいたような病気やケガでも人は生き続けている。これって幸福なことかしら?」
「悪くねぇんじゃね? 多分。だってよぉ、誰かが良いって思ったから、医学とか発達したんだぜ。悪いと思って、そんなことしねぇだろ?」
ヒロユキが投げやりに言うと、死神はそうかもね、と頷いた。
「アタシはいわゆる死神というよりは、単純な死なのかもね」
「死、かぁ。死ぬってどんな気持ちなんだろうなぁ」
「さぁね」
「で、俺はいつ死ぬんだ?」
「……さぁね。下らない話をしたわ」
死神はそっぽを向いた。
もうこれ以上会話をする気はないという合図だ。
確かに下らない話だった。
死ぬには不適切な天気かもしれないが、ダラダラ生きるには良い日かもしれない。
ヒロユキは子供のように水溜りに映った太陽を踏みつけた。
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