第23話 死神の日々 その一

 ――死が平等? それに納得している人間なんて会ったことも無い 『案山子』


   +++


 ヒロユキには家族以外に同居人がいる。


 馬鹿げた話と笑うなかれ。

 これは生まれてから変わらぬ事実であり、ヒロユキ以外には誰も知らない真実である。

 そう、両親にも弟にも見えないのだ。

 その正体を認知しているのは彼だけなのだった。


 別に猫とかそういうオチではない。

 猫と違って鳴きも喚きもしないし、食事やトイレの心配もないが、別に生活に潤いを与えてくれたり、癒してくれたりもしない。

 そもそも、ペットと同格に扱われたりなどしたら激怒するだろう。


 彼女は――声や体格で判断するに女性なのだろうが、はっきりとは断言できない――誇り高い存在だった。ある意味、気高い存在でもあった。

 もちろん、これはヒロユキの妄想である可能性は否定しきれない。

 猛烈な認知症の一種なのかもしれない。しかし、もし、そんなことを言ったら、自分の存在を否定するのかと激怒するだろう。

 彼女は寂しがり屋なのだから。

 ……つまり、このことにヒロユキからは疑問を挟む余地はないのだ。

 人を殺してはいけないとか、そういう論理と一緒だ。

 感情論なのだから、理屈は必要ないのだ。


 彼女はずっと傍にいてくれた。

 昔からそうなのだから、きっと未来でもそうなのだろう。

 ただ、ときどき、ふと違和感に襲われることもある。

 だって、そうだろう。

 彼女は、何と言っても――。


   +++


 厭な天気だと、ヒロユキは窓の外を見て思った。舌打ちしてベッドに寝転ぶ。

 空は星空のある夜よりも暗い――厚い雲に覆われている。ザーザーの土砂降りだった。


 せっかくの休日が……と再び舌打ちをするが、どうしようもない。

 テレビをつけてみると、お昼のニュースをやっていた。

 どこかの一家で娘を除いた祖母、父、母、弟が惨殺されるという無残なニュースが流れていた。その娘さんも詐欺で騙されていたらしい。本当に踏んだり蹴ったりだ。


 可哀相だと考える自分が偽善者に思えて嫌で――すぐにテレビを消した。

 辛気臭さを吹き飛ばすために大音量で音楽を流す。

 もっともヘッドホンをしているので、音が外へ洩れることはない。

 ちなみに部屋のオーディオ機器はちょっとしたものだ。

 両耳から入った音の集合が脳で融合する。眼を閉じ、手足を弛緩させ、音だけを追う。

 そうすると世界には音以外が存在していないようで、なんだか幸せな気分に浸ることが出来た。それは錯覚以外の何物でもないが。


 しばし歌詞を口ずさむ。自分だけの贅沢な時間だった。

 が、ヒロユキはふとムクリと起き上がり、音を止めずにヘッドホンを外した。

 雨音とラテンの音楽が奇妙な調和を見せる。

 これはこれでアリだなとそんなどうでも良いことを思う。

 ヒロユキは四畳半の部屋の片隅で膝を抱えている彼女に話しかけた。


「なぁ」

「……何よ?」


 彼女は不機嫌そうな声色で言った。表情は当然だが分からない。

 ずっと隅に同じ体勢で座っているけど、疲れないのかヒロユキはいつも不思議に思う。


「厭な天気だな」

「そんなことアタシに言われても知らないわよ」

「いや、お前にとっても厭な天気なのか?」


 それはささやかな疑問。ヒロユキ以外に誰も知覚できない存在の彼女にも、そんな気分は存在するのか? 好奇心に刺激されての質問だった。

 彼女はどうでも良さそうに答える。


「別に……どっちでもないわよ」


 きっと、雨で濡れたりしない彼女には、俺たちにとっての遠い外国で行われる戦争のようにどうでも良いことなのだろう。

 彼女の言葉にはトゲがあり、態度には素っ気無さが漂っている。

 寂しがり屋のくせにと心では思うが、もしかしたらそれはヒロユキの勘違いでずっと本当に腹を立てているのではないか、とも思う。

 はたまた、寂しいから苛立っているのかもしれない。その辺長い付き合いでも分からない。そんなことは幾らでもあるのだ。


 彼女はヒロユキ以外の誰からも知覚されない。

 誰にも省みられないということは、自分を認識する必要が無いということだ。

 評価というものは世間――他人が存在しないと意味は無い。不要なものだ。


 つまるところ、彼女はどうでも良いのだろう。ありとあらゆる出来事が。

 だって、関係ないのだから。

 そんな中で、ヒロユキという自分を知る者がいる。

 それが煩わしいのか嬉しいのか。そんなことさえもこんな近くにいるのに分からない。

 寂しがり屋とはヒロユキが思いたいだけなのかもしれない。

 もしこれが勘違いなら、ヒロユキという存在も炉辺の石と大差ないに違いない。


 ただ、彼女はどうしようもなく孤高の存在だから――自身の誇りを大切にしているようだった。

 彼女が何を考えているのかはよく分からない。人と違うのだから当然だ。

 そんな彼女が近くにいたせいか、ヒロユキも虚無的なところがあった。

 だから、ヒロユキは日に一回は訊ねることにしていた。


「なぁ、俺はいつ死ぬんだよ」


 彼女はその問いに対していつもこう答える。


「知らないわよ、そんなこと」


 彼女の姿はとても特徴的だ。一度見たら忘れることは簡単ではない。

 髑髏を模した仮面に、闇を染めたような漆黒のローブ。

 懐中時計を鎖で首に掛けて、ごくまれに人の死を予言する。

 その予言の的中率は百パーセントだった。

 それはそうだ。彼女以外の誰にそれを予言出来ると言うのか。


 彼女は『死神』だった。


 そして、彼女はヒロユキの背後を付かず離れずの位置で追跡する。いついかなる時も。

 一度、ストーカーだよなと冗談半分で言ったら、一月も口を利いてくれなかった。

 印象だけで言えば彼女は死神というよりも気紛れな猫に近いと思う。

 ちなみにヒロユキは『死』を恐れていない。全く、欠片も。

 その理由は簡単だ。


 もし死んだとしても、彼女が告げるものなのだから、そんなに悪いことでもないだろうというそれだけの理由だった。


 怒りっぽくて、どうしようもなく扱い辛い相手ではあったけれど、彼女のことをヒロユキは気に入っていたのだ。

 ふと、ヘッドホンから流れる歌詞に合わせてヒロユキは口ずさむ。


 〝リヴィン・ラ・ヴィダ・ロカ

  リヴィン・ラ・ヴィダ・ロカ

  シィズ・リヴィン・ラ・ヴィダ・ロカ〟


 好きなフレーズだった。

 思わず熱が入る。


「うるさいわねぇ……」


 彼女は蝿を追い払うような口調で言った。

 ヒロユキは思わず笑う。

 歌詞の意味はこうだった。


 〝イカれた人生を送っている

  イカれた人生を送っている

  彼女はイカれた人生を送っているんだ〟


 仮面の下の彼女の表情は全く窺えないが、呆れているのかもなと脈絡も無く思った。

 その確証を得る手段も無く、そこでヒロユキは話しかけるしかなかった。


「なぁ」

「何よ」


 打てば響くように彼女の返事は速い。

 よっぽど怒らせない限り、彼女は必ず返事をしてくれる。


「俺はいつ死ぬんだよぉ。いつまで生きられるか教えてくれよぉ」

「今日はしつこいわね」

「雨が降っているからな」

「なら、雨は嫌いね」

「雪が降るともっとしつこくなるぞ」

「へぇ……」


 ため息なのか返事なのかよく分からない吐息を漏らして彼女は黙った。

 雨は止まない。トタン屋根を叩く音は眠気を誘うが、ラテンな音楽がそれを打ち消す。


「なぁなぁ、どうなんだよ」

「……何でそんなに知りたがるのよ」

「興味あるからだな。当然だろう」

「何でそんなことに興味あるのよ」

「単純な好奇心と、あとはついでに後悔しないためだな」

「後悔?」

「ああ。いつ死ぬか分かったら、真剣に生きようって頑張れそうじゃないか」

「そんなわけないわよ」


 彼女は吐き捨てるように言った。心底から苛立っているようだった。


「そんなわけない。自分の不真面目さを棚に上げている奴が偉そうに言うんじゃないわよ」

「知ったことか」


 ヒロユキは悪びれずにハッと笑った。

 雨音が断続的なものへと変化した。

 あれだけ重かった空が薄暗くなる。そう言えば、天気予報で昼過ぎから晴れるって言っていた気がする。


「……大体、あんた本当に分かっているの? 次の瞬間にも死ぬ可能性はあるのよ。それでも本当に知りたいの?」

「しつこいな。知りたくもないのに訊くかよ」


 死神は珍しく諭すように言う。こちらを仮面の下からジッと見ていた。


「興味本位から明日死ぬって断言されてみなさい。絶対に辛いわよ」

「明日死ぬわけねぇだろ」

「分かってないようね……やっぱり」

「分かった分かった。分かったから早く教えてくれ」

「だったら」


 死神は勿体付けるように一拍間を置いた。


「あんたはあと四時間四十六分三十一秒後に死ぬって言われたら信じる?」

「いいや」


 死神は溜め息と共に天を仰いだ。そして呟く。


「駄目だこりゃ」


 窓から光が差してきた。

 キラキラと窓の水滴が光る。

 ――雨が上がった。

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