第16話 ……死体
――憎い? えっと、ごめんね。何を言っているのかなぁ 『青眼視』
+++
漆黒。
暗黒。
纏わり付くばかりの闇。
異臭。
悪臭。
……死臭。
血の臭い。
腐りかけの臭い。
……人が死ぬ臭い。
手に絡みつく長い髪。手に染み付く赤い血。……手から逃げる死体の冷めていく熱。
呼吸音は自分のものだけ。
その目の前の死体は少女の姿をしていた。
彼女の胸に穿たれた一発の銃創。
急所――心臓を射抜かれて死んでいる。
凶器――ヒロユキの手には一丁の拳銃が握られている。
血臭で頭が麻痺している。
彼女の名前も思い出せない。
でも、問題はない。
少女の顔は無表情だったが――故に勃起しそうなくらい魅力的だ。
こいつと自分の関係も思い出せない。でも、それがどうかしたのだろうか。
ヒロユキは鼻で嗤った。
俺はコイツを殺害した。
この少女を究極的な存在の陵辱で犯してやったのだ。
それだけが今支配している現実だった。
少女の瞳を覗く。苦痛の色はない。本当にガラス玉のように無機色だ。
そんな余分は与えなかったから当然だ。
ヒロユキは最後の手向けに少女の目を閉じた。
殺人者は殺した相手と目が合うのを極端に恐れるという。
自分は例外だった。むしろ、この上ない快感を抱いていた。
ヒロユキは静かに嗤う。
嗤う対象は限定しない。全てを嘲嗤う。
自分の学生服が真新しい血で汚れているのに気づく。
学生服?
闇が薄くなるように頭の靄が少し晴れる。
思い出したことは少女がクラスメイトで、教室で殺害したという二点。
そう、ここは学校だ。墓標のように整然と並べられた机と椅子。
明かりのない教室は、ただ、禍々しい。
日常空間の中で非日常な死体が転がっているという現実。可笑しい。
嗤い、嗤い、嗤うが、その瞬間――頭痛に頭を抱える。
思い出せない。どうしても。理由が。動機が。
苦しい。それ以上に狂しい。ああああああああああああ。いつの間にか漏れる声。
ヒロユキは衝動から傍の教卓を思い切り殴りつける。
吼え駆け回る衝動。顔を掻きむしる衝動。嗤いの衝動。
「畜生……畜生……畜生……畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生……っ!」
後ろの扉の開く音。
ヒロユキは意識せずに即応していた。
手にした拳銃をシルエットの胸部へ向ける。
引き金が絞られる前にその乱入者は両手を挙げていた。
ヒロユキの手が止まったのは思考の介入からだった。
両手の挙手。降伏の仕草。敵意はないという仕草。その乱入者はそれで自分が撃たれないと思ったのだろう。敵意がないことを示したことが殺害の回避に繋がる。
だとしたら、この少女を何故自分は殺したのだろうか? 敵意があると判断したから?
憎まれていたから? 憎んでいたから? 殺したいと?
害意? 悪意? 憎悪? 嫌悪?
どれが正しいのか? どれが正解に近いのか?
好意? 善意? 友愛? 友好?
どれが間違っているのか? どれだけ間違っているのだろうか?
何故? 何故何故何故?
ヒロユキは思考で目を回しそうだった。
「アタシは撃ち殺さないでよ。本当に」
開け放たれた扉から漏れた非常灯の光で、その乱入者の正体が分かる。
「……沙良か」
ヒロユキは違和感と共に彼女の名前を呟いていた。
その違和感は、まだ十歳を少し過ぎた程度にしか見えない少女が高校の制服を着ているからではない。
成長していない。先ほどから。先ほど? いつだ、それは?
何故そんなことを不思議に思ったのかをヒロユキは不思議に思う。
ヒロユキは突きつけていた銃口を下げた。
「……どうした?」
「どうしたとはどうしたのよ。死体の処分を手伝いに来たんじゃない」
何故なのだろう。
何故不思議に思わないのだろう。
何故、沙良はこの殺人現場を不思議に思わないのだろう。
何故、沙良はこの殺人を知っていたのだろう。
暗かった室内に光が入ってきた。月の光が彼ら二人と一つの死体を包んでいた。
今日は満月だった。
「月って意外と明るいわよねぇ」
沙良はそんなどうでも良いことを呟きながらヒロユキに近づいてきた。
その無防備さにもう一度同意味の問いを告げた。
「どうしてだ?」
彼女は一瞬だけ足を止めた。ほんの一瞬だけだったが。
「本当にどうしたのよ? ヒロユキったら。あっ! もしかして、華ちゃん殺しちゃって頭おかしくなっちゃった? キャハハハハッ」
それがまるでとびっきりの冗談のように――軽薄に笑う。
ヒロユキは溜め息を伝わるように大きく吐く。
それは意識しての行動だった。
ガンッ! 拳銃の銃握を机に叩きつける。机には大きな凹みが出来た。
その音に身を縮めた沙良に――見せつける意味でゆっくりと銃口を突きつけた。
「ど、どうしたのよ?」
沙良はようやく足を止める。止まった足がガクガクと震え始めた。
ようやく違うと気づいたのだろう。沙良は足同様震える声でそう絞り出した。
ヒロユキは思う。こんな奴だったろうか、と。沙良はこんな娘だっただろうか、と。
「俺はどうしてこの娘を殺したんだ?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます