第17話 ……死体 その二

 それは冗談としてとられても可笑しくない問いかけだ。状況によっては笑い話だ。銃を突きつけられていなければの話であるが。


「何を、言っているのっ?」


 沙良は恐怖に引きつった声だった。

 ヒロユキは嗤いながら引き金を引いた。

 吐き出された弾丸が壁を穿つ。一瞬後に飛び散る沙良の髪。

 悲鳴は焦げた髪の臭いが漂うくらいの間が開いた後だった。

 当たらなかったわけではなく、意図的に逸らしていた。だから、その長々とした悲鳴にイライラさせられる。感謝しろよ、とヒロユキは思った。


「な、何よぉ……」


 ヒステリックで弱々しい悲鳴だった。腰を抜かした沙良は恰好の的でしかない。

 実に当て易く、実にそそる的だった。可愛らしい外見が実に嗜虐心を刺激する。


「答えろ」


 ヒロユキは淡々と自分の用件だけを伝える。

 冷笑を浴びせながら命令する自身の声にヒロユキはぞっとする自分がいることをどこか冷静に思う自分があることを不思議に思うが、すぐにその理由も分からない。忘れる。


「殺すぞ」


 これは脅しではなかった。本気で殺すつもりだった。わざわざ逸らす気もないし、当てることへの抵抗はなかった。

 もう一人、殺しているのだから。

 それにそもそも――どうでも良いのだから。


「ど、どうしたのよ、一体……」


 沙良の半ば以上の涙声は実に聞き取りにくい――イライラする。

 今度は撃鉄を起こす。シングルアクションで狙いつける。

 それは威嚇だけを意味していない。今はダブルアクションの先ほどとは比べものにならないくらい――簡単に引き金が引ける状態だった。弾みで撃鉄が落ちてしまうほどに。

 沙良はヒステリックに叫ぶ。まるで、殺されるという現実から少しでも目を逸らすかのように。


「ヒ、ヒロユキが言ったんじゃないッ! ひ、人を殺してみたいってッ!」

「……俺が?」


 ヒロユキは首を傾げた。

 記憶にない。

 訝しげなヒロユキの表情。沙良は恐怖からだろう――顔を歪めた。


「そ、そうよ!」


 沙良は何かの機械のように何度も頷く。


「言っていたじゃない! し、死んだら人はどうなるんだって! 生きている価値のない奴をぶち殺すからちょっと手伝え。大丈夫だ。酸で溶かしてやれば足はつかないって!」

「……そうか」


 憶えはなかった。なかったが、言ったような気がしてきた。

 ただ……どうでも良い。どうでも良い? 

 ああ、とヒロユキは頷いた。


「そうだったのか……」


 ストン、と腑に落ちていた。憑き物が落ちたようにヒロユキの険が失せた。

 ヒロユキは納得とは少し違う――悟ったような声音でぶつぶつと何事か呟く。


「そ、そうよ!」


 沙良はスカートで床を掃除するような這い方でヒロユキに近づく。立てないらしい。

 よく見ると、床が濡れていた。失禁。臭い。臆病な。鼻で嗤う。

 それで沙良は醜い愛想笑いを浮かべる。照れからではないだろう。少しでも気に障らないように、と媚びた笑顔だった。卑屈で、不安が丸わかりの表情。

 正直、非常にイライラさせられるが、ヒロユキは穏やかな表情でそれを見下ろしていた。

 それに行動なんてもう決まっていた。

 ヒロユキは軽い足取りで沙良に近付く。


「ど、どうだった? ヒロユキ? ひ、人を殺してみた感想は? 楽しかった? 気持ち良かった? 嬉しかった? どうだった?」


 話しかけている方が安心するのだろう。沙良は矢継ぎ早に質問をしてきた。

 ヒロユキはにっこりと微笑んだ。見下ろしながら手を伸ばし、沙良の頭を優しく撫でる。

 沙良も上目遣いでアハハ、と明るく莫迦みたいに笑った。多分に引きつったまま。


 次の瞬間、ヒロユキは沙良の横腹を蹴りつけた。


「が、はっ……」


 更に、蹴り、蹴り、蹴り、蹴り、蹴り、蹴り、蹴った……七回目で止めた。


「な……な……」


 沙良は何で、と言いたいのだろう。理由を問うているのだろう。お腹を押さえて、胎児のように丸まっている。自身の吐瀉物にまみれた顔には、それでも引きつった笑顔が張り付いていた。

 イライラする。

 五回追加。

 がっがっがっがっがっ。

 そして、ヒロユキは汚らしく床に転がっている沙良に優しく答えた。


「理由なんかない。理不尽に死ね」


 ヒロユキは適当に椅子を蹴散らし、机に腰掛ける。


「人を殺しての感想か。何だろうな。何も感じていないな。どうでも良い奴を殺しても、しょせんはどうでも良い。だから特別な感想も思い浮かばないのかもな……」


 この少女が何者なのかも思い出せない。

 華――誰だ、それは?

 三日ほど徹夜した後のように頭が重い。

 思考は霧散するばかり――何よりもイライラする。

 蹲って芋虫のように唸る沙良を見た。

 続けて、生きていないからこそ可能な体勢で蹲る死体を見た。

 ああ――とふと閃く。


「人は誰かを殺すために生きているんだな。積極的に誰かを殺したがっている。そうだな、俺はそう思った」

「だ、だったら、ヒロユキは……」

「あん?」

「ヒ、ヒロユキは……誰を……一番……殺したがっているの」


 ヒロユキは沙良の絶え絶えな質問に首を傾げた。

 誰? 誰? 誰……。


「……誰だろうな」


 考えは取りとめもなかったが、誰もが憎く殺したかった。それは純粋な害意であり、悪意であり、憎悪で嫌悪で……不純を多く含みすぎた――殺意だった。

 このイライラは人を殺すしかない。そういう意味では純粋無垢。純粋な殺意だった。

 殺すことが目的だとして、その動機のイライラは何が原因なのだろうか。


 分からない。

 どうでも良い。


 ふと、どうでも良いという結論が気になる。この投げやり感は何かに似ている。

 ヒロユキは死体の髪を梳き始めた。理由があっての行動ではない。

 まだ出来立ての死体は冷たくも硬くもなっていない。


「お前は誰を殺したい?」


 沙良に問いかけた。


「…………」


 答えられないのか、答えたくないのかは分からなかった。


「人を殺してはならない理由は何だ?」

「…………」

「お前は人を殺せるか?」

「…………」

「お前は誰を殺せるんだ?」

「…………」

「お前は誰を殺したいんだ?」

「……そのまま質問をお返しするわ」


 沙良が立ち上がっていた。微笑む。優しく、まるで慈母だった。

 先ほどまでのように怯えている様子はない。眼光が違う。別人のようだった。

 いや――本当に別人なのかもしれない。


「あなたは誰を殺したいの?」


「……分からない」

「本当に?」

「イライラする」

「それはどうして?」

「……分からない」

「本当に分からないの?」

「分からない!」


 ヒロユキは銃を沙良に突きつける。手が震えた。


「あなたが、殺したいのは、誰?」


 沙良はゆっくりと近づく。

 眉間に銃口が触れる距離になっても彼女は止まらなかった。

 ヒロユキは気圧されて、ゆっくりと後ずさる。

 銃がとても重く感じられた。どこに向けて良いのか分からなくなっていた。


「あなたの苛立ちや怒りは、その原因が分かっていないからじゃないの?」

「…………」


 ヒロユキが黙る番だった。


「殺人行為は究極の支配だと思わないかしら? 人を殺すことによって得られるデメリットは法によるものだけだと思う? 良心の呵責って人にどれだけの枷を掛けるのかな? 兵士が人を殺せる理由って知ってる? 命令されたから。その程度のものよ。人は支配されて生き、支配によって死ぬ。良心や正義感ってきっと、汚いものを忌避する潔癖性なんでしょうね」

「…………」

「あなたが憧れた存在は完璧に自分を律してたからじゃないかしら? あなたがイライラしていたのはそれが叶わないからじゃない? そもそも、あなたの憧れって自分勝手で、一方的な思い込みだけなんじゃない? その存在を冒涜してるとは思わないの?」

「…………」

「銃を向けるべき対象は何? 本当にアタシ? この子で本当に良かったの?」


 そこまで言われて、ああ、とヒロユキは閃く。

 自分が言っていたではないか。

 生きている価値もないような奴をぶち殺すから手伝え――と。

 イライラするのは誰のせいだ?

 誰がイライラしている?

 思い出した……。

 ゆっくりと銃口を上げる。


 ヒロユキは自身の口にそれを咥えた。


「殺したいのは、俺自身だったのか」


 イライラは消えている。

 ヒロユキは優しく笑っていた。

 笑っていたのはある記憶の実践からだった。

 死ぬ前に笑っていられるのが幸せな一生を送った証拠。


 ――引き金を引いた。

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