第13話 不許複製 その三

「あれ?」

「どうしたの?」


 怪訝な顔、というよりは驚いた表情でこちらを見る二人。首を傾げて訊く。


「あん? 二人ともどうしたよ」

「何が悲しいのよ?」と、驚き過ぎな表情の小さいの。


「悲しい? 何言ってんだよ。別に悲しいことなんてねぇよ」

「でも、泣いているわよ」と、こちらも困った様子の華。

「はぁっ……?」


 何言ってんだよ、と続けるつもりだった。

 頬を触る。

 しかし、頬が濡れていた。

 いつの間にか涙を流していた。


「あれ……? 何だ、これ?」


 自分が泣いていることは認める。でも、何で泣いているのか分からない。

 悲しいことなんて何も無いのに。楽しいと認めたばかりなのに。

 明るいテンポの曲が流れている中、微妙な沈黙に陥る。


「寝不足だったから眼が乾いたんじゃねぇの? 別に全然悲しくなんかねぇよ!」


 笑い飛ばすと、まず華がとりなす様に明るく笑った。


「そうね。別に悲しくなくても泣く時ってあるしね」


 続けて小さな少女も乗っかって「うんうん」と頷いて言った。


「逆に悲しくても泣けないときももちろんあるけどね」

「嬉し泣きかぁ。私、経験ないなぁ」


 華はんー、と首を傾げながら、小さいのに合わせてきた。


「感動して泣くのは?」

「ああ。そう言えば、私この間あれを観て泣いちゃった」

「映画? ドラマ?」

「モンティ・パイソン」

「笑い泣きっ? 趣味渋っ! ってか、感動して泣くとかそんな流れだったのに!」

「なかなか鋭いツッコミね」

「やるわね、華ちゃん」


 二人して明るくしてくれようとはしゃいでくれるのが正直嬉しかった。


「お前らホント仲良いよな。姉妹みたいだ」

「当たり前じゃん。姉妹だもん」

「え、あれ、え……?」


 小さな少女が何か言ったが、理解が追いつかない。


「そうだっけ……?」

「何言ってるのよ。もう二年近く同じ部に所属しているのに」

「えっと、どっちが姉でどっちが妹だっけ」

「華ちゃんが姉でアタシが妹。どうしたの? 本当に気分でも悪いの?」

「あー。ダメだダメだ! 何か訳分からん。混乱しているのかな。本当に分からん。おかしい。何かがおかしい!」

「何がおかしいのよ」


 特に何を言うつもりがあった訳ではない。

 ただ口が勝手に動いたという、それだけだった。


「いや、何つーか、これが夢のような……」

「あー、やっぱりまだまだかぁ」

「え?」


 その瞬間、華が止まっていた。

 音楽が消えていた。

 時間も静止したように静かだった。そして、一瞬で世界が色褪せた。

 灰色ではなく、少し彩度と明度が落ちた感じ。デジカメの画素を落としたような……。

 その中、色彩が変わらずに残っているものは、自分と小さな少女の二人だけしかない。

 どうなっているんだ――と聞く前に沙漠と断頭台でのことを思い出す。目の前の小さな少女の名前も。

 思わず口にした。


「さ、沙良?」

「やぁ。調子はどう?」


 沙良はニッコリと笑いながらそう言った。


「どうもこうも……。一体全体どうなってんだよ? 華はどうなってんだ? あれ? いや、違う違う。えっと、これは夢だから、覚めないとダメなわけで……」

「ふっふっふ。本当にこれが夢だと思う? 自分で夢だと自覚して観る夢のことを明晰夢って言うんだっけ。それだと思うの? 根拠はある?」

「ない、けどさ」


 少しだけ自分のペースを思い出してきた。そう、自分の普段のペースを。


「胡蝶の夢だっけ? それと同じだろう。自分で自分が夢であると証明することって出来ないんじゃなかったっけ」

「そうよね。言い換えると夢と現実の証明をするには他人の力が必要なのよ」

「他人でも不十分なんじゃねぇか。他人の観ている夢を観ている夢って可能性もあるし。基本、夢って何でもありだろ」


 沙良はニヤニヤと笑っている。そして、関係のないことを言う。


「まだまだね。完璧に出来るはずなのに。人を具現化するにはちょっと足りないみたい」


 関係ないくせにどことなく意味ありげなことを言った。


「何を言っているんだよ? 大体、お前って俺のパートナーだろ? もうちょっとチームワーク大切にしようぜ。なぁ」

「うん。そうよ。確かにあなたはパートナー。でも、アタシにも夢があるの」

「夢?」

「そう、夢。壮大な夢よ」


 沙良は壮大さをアピールするように両腕を広げて言った。


「何だよ?」

「ナイショ。いい女には謎がつきものなのよ」

「そのセリフが似合うにはあと十年は掛かるな」


 沙良は「本当にそうかしら?」とニヤニヤと笑っている。意味深な笑みだった。

 どういう意味だろうと気になり、訊ねようとする前に沙良は続けた。


「ところであなたはマグリットって絵描きの『不許複製』って作品は知ってる?」


 続けたが、いきなり話は飛んだ。その行く先が見えないが、応じる。


「あー、美術か何かで見たな。あれだろ? 男が鏡に何でか背中で映っているやつ」


 中学生の頃の記憶だが、何となく面白かったから憶えていた。確かそんな絵だったはずだ。鏡に正対しているのに、映ったのは何故か背中という男の絵。


「そうそう。ユニークな絵よね。個性の無い現代人を描いているらしいけど、面白いものよね。無個性をそういう風に表現するのはアタシの主義には反しているんだけどね。だって、カッコいい人って背中で語るのよ。背中こそ個性よ!」

「その意見には全面的に同意だな」


 うんうんと二人で頷きあう。訳が分からない少女だが、そこは協調出来た。


「おぶって貰った時に思ったけど、あなたの背中は中々だったわよ」

「お褒め頂光栄ですよ、お姫様」


 少し気障っぽくやると、沙良に「うわぁ」っていう顔をしながら引かれた。


「褒めて損した気分。一方的な敗北感。何だろ、これ? 恋?」

「違うだろうな。つか、そこまで言わなくても良くないか」

「ウソウソ。素敵よ素敵。ドキドキしてきた」

「うわぁ」

「何でそこで引くのよ!」


 と、そんな遣り取りをして笑いあう。

 ふと、また泣きそうになってそれが理解できなくて、不思議で仕方ない。自分のことも分からなくなってきた。


「まぁ気を取り直してゴーゴーゴー! 良い? これからはどんどん加速していくわよ! さっさと次々。という訳で、後ろを向いてみて」

「後ろって言われてもなぁ」


 振り返っても特に何も無い。放送用の機材。窓。ちょっと曇った鏡。日に焼けたカーテン。机に椅子。雑多な放置物。積み上げられた書類。いつも通りの放送室だ。


「本当にあなたは注意力が無いのね。あんな目の前にあるのに」


 しゃくだったので意地でも自分で気づいてやる。

 機材。窓。鏡。カーテン。机に椅子。ゴミ。書類。…………あ! そうか!


「謎は全て解けた! カーテンの柄が違う! つい先日カーテン替えたのに替わってない! あれは以前のカーテンだ! イッツミステリー!」

「鋭い! けど、違うし!」

「だって、俺の自費だったし! じゃんけんで負けて! 酷いぞみんな!」

「部費はどうしたのよ」

「残ってるわけないじゃん! しかも言い出したの俺で自業自得だった!」

「あーもう! 何て言うか話が全く進まない! この甲斐性なし! 貧乏人! スケベ! 答えは鏡です。鏡!」

「コラ! 何て言い草だ」


 誰がスケベで甲斐性なしで貧乏人だ。全部は当たっていないと思いたい。


「そのくらいの悪口は笑って許しなさいよ。良いから少しは鏡に注目しなさい!」

「嫌だ」


 今度も酷い目が待っているに違いないのだ。

 軽快な遣り取りをしながらも思い出していた。

 陽に焼かれたときと火に焼かれたときのことを。熱くて苦しくて……いっそ死んだ方がマシという苦痛を。

 振り回されてばかりでは嫌なのだ。


「ま、別に関係ないんだけどね」

「え?」


 それで何が起きたかは正直よく分からなかった。

 がしっといきなり誰かに後頭部を掴まれていた。


「ぐがっ……!」


 抵抗の間もなく、足が浮いた。後頭部から首に激痛。折れる。息が、出来ない。


「わぁ。やり過ぎやり過ぎ! 首の骨が折れちゃう」


 下ろされた。うずくまりたいくらい痛かったが、手は離れていない。


「な、んだよ、こいつ」

「ヒロユキよ」


 聞いたことも無い名前だった。


「あなたよ」

「はぁ? 何言ってんだよ。俺は――あれ?」


 名前が思い出せない。

 と言うより、俺は誰だ?


「『不許複製』。これはあなたよ。複製するためにあなたの名前を奪ったの。個性の剥奪。ふふふっ。鏡を見て」


 そこには制服を着た男の後ろ姿があった。

 その後ろには頭を掴んでいる男と同じくらいの背格好の男がいた。二人のよく似た体格の少年。そいつの顔もやはり見たことが無い。

 と言うよりも、それは勘と言うか、閃き以外の何物でもなかった。


「こいつの顔は、もしかして……俺?」

「正解」


 その記憶もなくなっている。

 ペタペタ顔を触るとその感触も薄絹越しに触っているようではっきりとしない。もう驚くことが出来ない。


「……どうしたいんだよ」

「言ったでしょ? 加速させる。こんな所で燻っていても仕方ないでしょう。さぁ、ヒロユキ。さっさとやるの」


 返事は無かった。

 速やかにそいつ――俺だ――は男――これも俺だ――の頭を押して鏡に近づく。もう訳が分からない。


「ちょ! ま、待てって俺! 痛い痛い! 首が痛いっての!」

「聞く耳持ちませーんってね。ちゃっちゃとやって」


 鏡が。背中が。抵抗できない。手足に力が入らない。

 鏡が。頭を掴んでいる少年は苦笑いだ。

 何故抵抗できない。


 なのに!


「じゃあ、また次ね」

「次って何だ! っておい!」


 鏡に、吸い込まれる。むにゅって。痛くないが、気味は悪い。


「次は気に入ると思うわ。あなたの憧れに会わせてあげるから」

「おいおいおいおーい。って、もう勘弁しろよ、本当に!」

「さぁ、加速は始まる。レディー、セェ、ハッハット!」


 鏡に半分吸い込まれた状態で、


「何でアメフトだよ! おいおいおーい」


 ツッコミも空しく鏡の中へ落ちて、落ちて……。

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