第9話 日本家屋と断頭台 その五
曲がりくねった道を抜け、急に視界が開けると――そこは広場だった。
「ここか?」
「そうよ。ここは共同広場であり、これからの舞台になるの」
広場は中心に行くほど窪んだ造りで、平均的な学校の校庭くらいの広さがある。
そこに人がずっしりと密集していた。
千人近くの老若男女――いや、子供はいないようだった――が、円形の広場のある一端を中心として扇状に広がっていた。
皆が皆そこに熱い視線を送っている。
いや、熱いと言うよりは――熱狂。そこにいる皆が何かを楽しみにしているようだった。
ヒロユキは背中から降りようとしない沙良に視線を送り、訊ねる。
「何だ、あれは?」
「ヒロユキだって知っているでしょ? 多分、世界で最も有名な処刑道具よ」
「……ああ!」
知っていた。
ただ、あまりにも周囲の風景と不釣合いで理解できなかっただけだ。
鉄の刃で罪人の首を落とす処刑道具だ。
恐らくは世界で最も有名な処刑道具の一つであることは疑いようが無い。
――
「初めて見たよ。処刑道具って」
「さ、ヒロユキ。もっと近寄って」
「と言うか、降りないのかよ」
「気が向けばね」
ヒロユキは溜め息を一つ吐いて、人だかり――扇の最外縁についた。
断頭台のすぐ傍には男が二人立っていた。
一人は身なりの良い――議員風の服装をしていた。たくましい髭を蓄え小太りで手足が短い。独特な愛嬌と貫禄を持っている。
もう一人は見たことのある顔だった。
「なぁ、沙良。あの人見たことないか?」
「……何で忘れているのよ」
「ああ。やっぱり知り合いか」
「全く。運命的な出会いも形無しね」
その言葉で完璧に思い出した。
運命論者で書生風の彼が手を縛られ、断頭台に立たされていた。力なくうな垂れている。あまり楽しそうには見えない。
「あれって、やっぱり犯罪者風味だよな」
「そうね。表彰されているようには見えないわよね」
「あんな表彰のされ方があっても良いとは思うが。独創的で」
「されたいの? してあげようか?」
「ごめんなさい。嘘をつきました。勘弁。で、何やらかしたんだ、あの男は?」
ヒロユキと別れてから一時間ほどしか経っていない。彼はとても逃亡犯には見えなかった。
つまり、あの後のわずかな間に何かをしでかした……そんなことあるのか?
「もうすぐあの髭を生やした男が説明してくれるわよ」
果たして、沙良の言う通りに髭男はその大きな口を目一杯に広げて喋りだした。
「あぁ。こぉの男はぁ、我々をぉ運命とぉ言う言葉でぇ、堕落させようとぉしたぁ。よってぇ、秩序のぉ名の下にぃ、裁かれるぅこととなったぁ」
群集から凄まじい喚声――いや、歓声が上がった。
ヒロユキは混乱して、沙良に伺う。意味が分からなかった。
「え? 何て言った?」
「あぁ。こぉの男はぁ――」
「いや、モノマネはいいから!」
「運命と言う言葉で堕落させようとした罪に問われているのよ」
「……え? 笑うところ?」
「違うわ。さっきも言ったと思うけど、『ここ』での三大犯罪は、放火犯に殺人犯に思想犯よ。つまり、マジで札付きの一級犯罪者ってわけ」
「…………」
髭男が口を開くと、その場は水を打ったように静まる。まるで演劇のようだった。
「何かぁ、異論、もしくはぁ反論のぉある者はぁいるかぁ」
その言葉が終わると同時に、弾けるように静寂は破られた。
「運命論は確かに人を堕落させる。だが、この男がどういった意図で使ったかは判らない! とりあえず、彼の異見にも耳を傾けるべきだ!」
静寂を破った声は、若い男のものだった。
「運命を語る時点ですでに堕落しているわ! 断罪の刃をっ!」
今度の声は中年女性のものだった。
「ギロチン、ギロチン、シュルシュルシュ」
そして、すぐに違う誰かの声。ヒロユキと同年代の少年の声。
「ギロチン、ギロチン、シュルシュルシュ!」
次いで何人かが同時に叫ぶ。
場は一気に混沌へと落ちた。それぞれの意見が飛び交う――と言うよりぶつかり合って弾けた。皆が皆口角泡を飛ばして、叫びあう。
ヒロユキは呆れて沙良に訊いた。訊くと言うより、確認する気持ちで。
「……こいつらマジで言ってる? 下らないっつーか、バカバカしくて仕方ないんだが」
「そう? 本当にそう思うの?」
「当たり前だろ。意見なんざ人それぞれだろうが。違った意見だから殺すなんて言い出したら、全人類参加バトルロイヤルの開始だろうが。最後の一人まで殺しあってくださいってか? 莫迦らしい」
「でもね、人間って生き物は昔から他者を排除してきたのよ。思想・弁論で殺された人の話なんて例に困らないでしょうし」
若者を堕落させたという罪に問われ、牢屋で服毒自殺した古代の哲学者をヒロユキは思い出した。それはそうかもしれないが。
「そうだけどな――」「意見があるならアタシに言っても仕方ないでしょ。意見があるなら裁判に参加しなさい」
沙良の言葉は正論だった。ヒロユキは群集の方に集中を戻す。
議論は白熱を帯びて続いていた。
「運命と言う言葉が何故人を堕落させるか。それはその一言によって全てを無に帰すからだ。努力も結果も」
「それは大変に正しいわ。つまり、言い換えれば何か強大なもののせいにする必要があったのじゃないかしら。絶対的な何かに責任を押し付けるためだと考えると情状酌量の余地はないかしら?」
「ギロチン、ギロチン、シュルシュルシュ」
「俺様から言わせればその弱さは万死に当る。死・に・ま・く・れ!」
「乱暴だねぇ。そんな暴言吐いていると君が殺されちゃうぞい。ワシも同情の余地はあると思うがのう。運命論は確かに唾棄すべきじゃがのう」
「そんなこと俺様が知・る・か・よ!」
「ギロチン、ギロチン、シュルシュルシュ」
「運命論を彼がどういう意図で使ったか。それにも因るとは思いませんか?」
「関係ありませんわ。運命を騙ることでどう罰せられるかなんて子供でも知っています。皆様、寛大すぎますよ。ここは一思いに神の身元へ送り届けるのが、私達の仕事ではないでしょうか?」
「運命論と神論ってと――――――っても似てないか――――――」
「うっせぇぞ餓鬼が! 神を冒涜する気か、貴様は!」
「脱線は良くないよ。今の主役は彼だよ」
「知るか! 天誅喰らわすぞ。夜道に気をつけやがれこら!」
「ギロチン、ギロチン、シュルシュルシュ!」
ヒロユキはどのタイミングで声を上げるか困った。
「何つーか、参ったな。いつ言えばいいんだ」
「そうね。でも、それだけじゃない。ヒロユキに明確な意見があるわけじゃないから口が挟めない」
「別にそれは……。そうだ。それにこいつらだって深く考えて意見を出しているようには聞こえないぞ」
「彼らはここでの常識に照らして合わせて喋ることができる。でも、ヒロユキにはそれができない。それは大きな差よ」
そうなのかもしれない。
ヒロユキが何とも言うべきか迷っていると、混沌としていた議論は自然と一つの叫びに収束していった。
――ギロチン、ギロチン、シュルシュルシュ!
髭男が再び叫んだ。
「静かぁにぃ!」
再びシン――と息苦しくなるくらい静かになった。
髭男はごほんと咳払いをし、静まった聴衆に、
「議論はぁ十分にぃ出し尽くされたと思うぅ。ここでぇいつものようにぃ挙手を行うぅ。処刑にぃ反対なぁ者はぁ、手を挙げろぉ!」
ヒロユキは手を挙げようとして、躊躇した。誰一人として挙手しないのだ。千人にも渡る人間がいないのに、誰一人として。あれだけ擁護する意見もあったはずなのに。
「ヒロユキはどうしたいの?」
「俺は――」
これは勇気がいる行為だった。ここは思想犯を弾圧する場所なのだ。もしかしたら、あの学生と同じように弾劾される可能性も否定できない。
怖い。
しかし、そもそも勇気とは怯えに付随するものなのだ。
意を決し、手を挙げようとしたその瞬間、
「次ぃ、賛成の者はぁ手を挙げろぉ!」
「あ……」
手遅れだった。
ヒロユキと沙良以外の全員が手を挙げていた。
これは何かもともと仕組まれていた、形式だけの裁判だと言わんばかりに。
髭男は決まったとばかりに大様に頷いてから、声を張り上げた。
「全会一致でぇ、これによりぃこの男のぉ処刑をぉ、決定するぅ!」
怒涛のような喚声。喚声は一つの意味ある叫びに収束される。
――ギロチン、ギロチン、シュルシュルシュ!
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