第7話 日本家屋と断頭台 その三

 しばらくすると塀に挟まれた道から目の前が開けた。それまでの道幅の倍はある舗装された道。大通りというやつだろう。

 大通りには袴、羽織、着物を着た老若男女が行きかっている。その光景は時代劇そのままだった。

 米を載せた大八車が砂埃を上げて走り去るのを見て、ヒロユキは感嘆の声を上げる。


「へぇ……すごいな」

「嬉しそうね?」

「ああ。俺、人ごみって嫌いじゃないしこういう風景も好きだ」


 ヒロユキは伝統芸能的なものが好きだ。

 日本的という言葉に憧れている。端午の節句に桃の節句。夏祭りに秋祭り。能や狂言を聴くこと。相撲放送。

 盆の送り火を九田家に復活させたのもヒロユキだった。


「でもね、ここはここでしかないのよ」

「? そりゃそうだろ」

「ところでヒロユキ。あそこにカップルがいるじゃない」

「いるな」


 沙良が指差したところには二十歳前くらいの恋人同士がいた。

 おでこがぶつかるくらいの至近距離で親しげに笑い合っている。

 寄り添っていると言うよりは絡み合っているの方がイメージ的には近い。


「あの二人がどうした?」

「どんなことを話しているのかしら? 世界で誰よりも愛している? あなたがいないとアタシは死んでしまう? 僕の瞳の中の君は夜だって輝いているよ?」

「……言ってて恥ずかしくないか?」

「……少し」


 そんなことどうでも良いのよ、と少し赤くなった顔で沙良は言った。


「あの二人の会話、盗み聞きしてみて」

「……? ああ」


 釈然としないものはあったが、ヒロユキは言う通りにすることにした。

 素知らぬ顔で傍に寄り、趣味悪いなと思いつつ会話に耳を傾ける。

 最初は何を喋っているか分からなかった。


「――たが一歩進む間にわたしが二歩進んで」

「君が二歩進む間に僕が三歩進んで」

「あなたが三歩進む間にわたしが四歩進んで」

「君が四歩進む間に僕が五歩進んで」

「あなたが五歩進む間にわたしが十歩進んで」

「駄目だよ。数を飛ばしちゃ。五の次は六。僕が追いつけないだろ?」

「ごめんなさい。でもあなたならきっとどこまでも追いかけてくれるでしょ?」

「当然じゃないか! 君のために僕は死ねないだろうか? いや、死ねる!」

「嬉しいわ、わたしだってあなたのために死ねるわよ。フフフッ」

「ハッハハッハハ」


 そして、カップルはぎゅっと抱き合った。


「…………」


 沙良の元へ無言で戻る。

 ヒロユキの表情を見て沙良が浮かべた笑みは、悪戯が成功した子供そのものだった。


「どう感想は?」

「バカップル認定しました」

「もうちょっと正直に言うと?」

「馬に蹴られて死んじまえ」

「それを言われるのは盗み聞きしていたヒロユキの方じゃない?」

「お前も同罪だろ」

「まーね」


 沙良はどうでも良さそうに頷いて、また先に歩き始めた。後を追う。

 ちらりと一瞬振り返って沙良はヒロユキに訊く。


「ところであのカップルを見てヒロユキは恋愛についてどう思った?」

「さっきの感想とはまた違うんだよな?」

「ええ。恋愛についてのヒロユキの見解を述べよ、って問い」

「あー、何だろうね? 何しようが俺の知ったことじゃない。だけどな、女と付き合ったことないからこう言うのかもしれないけどさ、時と場所を考えてイチャイチャしろよな」

「別に他人に迷惑を掛けてないわよ? そうでしょ。二人で愛を語らっていただけ。何の問題があるの?」

「マナーの問題」

「そんなものを問題にするの?」

「そんなものも問題にできないのか?」

「できない人が劣っているみたいじゃない」

「劣っているんだよ。能力が無いんだろ? 劣っているってそういう定義だろ?」

「……ヒロユキはネガティブかポジティブか、物事をよく考えているのか考えてないのか、分かんないね」

「俺もよく分かんないさ」

 正直、分かるものでもない。

 人間は明るい面と暗い面があって、その時々でそれらを使い分けているだけだと思う。

 鈍感な面があって、敏感な面もあるという至極当然の話だ。興味の対象と言い換えても良い。

 それはヒロユキだって沙良だって例外ではないはずだ。

 と、そこでさっき聞こうと思っていたことを思い出した。


「そういえばさ、何でお前ってあの運命語ってた学生から見えなかったんだ?」

「ここではね。誰からも認められないの。アタシ」

「何で?」

「ここがそういう所だから」

「……それで?」

「それだけ」


 あっさりと首を振った沙良の顔は微笑が浮かんでいた。

 考えるより先にヒロユキは口が動いていた。


「寂しくないか?」

「そうでもないのよ。ヒロユキがいるから」


 面と向かってそう言われ、少し照れたヒロユキはそっぽを向いて嘯く。


「……そういや、俺って独り言をずっとぶつぶつ呟いているように見えてんだよなぁ」

「そうね。でも、気にする必要は一切無いわよ」

「何で?」

「独り言を呟いている人なんて珍しくもないから」


 沙良はヒロユキの手をぎゅっと握って、急に早足になった。

 ヒロユキは一瞬転倒しそうになったが、バランスを取り――沙良に逆らわないよう付いていく。何かさっきからこんなことばかりだ。


「ほら、後ろの人」

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