第6話 日本家屋と断頭台 その二
そんな良い声が出るのなら、もっと背筋を伸ばせと言いたい。
「……えっと」
「さぁ、ヒロユキ。適当に話を合わせてみて」
どう答えるか一瞬逡巡していると、沙良からパートナーらしい助言が飛んできた。
ただし、本人の前で適当とか言うなよな、と心の中で突っ込む。
とりあえず、思ったことをそのまま言った。
「哀しくはないですけど」あんたのような人物に絡まれたのは悲しい。
後半は口にしなかった。
年上のようだったので一応敬語を使った。
その書生風の男子――面倒だから学生とする――は大仰な仕草で肯いた。
「おおぅ。そうか少年よ! よくぞ打ち明けてくれた」
「そ、そうですか?」
「では、君は一体何が悲しいのかね? この場には小生と君の二人だけだ。遠慮する事は無いのだ少年よ! その青い胸の内を思い切り打ち明けたまえ!」
人の話を聞かない。
全く聞いていない。
学生の芝居のように大げさな言動が痛々しい。
厄日だなぁ、と思いながらも学生の言葉のおかしな点にはもちろん気づいていた。
二人だけ? ヒロユキに話し掛け、自分を数に入れていないはずはないから――沙良がいない。思わず肩越しに沙良を見ると、彼女は肩を竦めて言った。
「そういうこと。アタシは『ここ』ではヒロユキ以外の誰にも認めてもらえないの」
「どうしてだ?」というヒロユキの呟きは沙良に向けてのものだったが、学生が反応した。
「どうしてとは異な事おかしな事を。これは人間の人間たる運命なのだよ! 悩みを他人と分ち合うという事はね。第三者の助言が得られずに、どれだけ多くの人間が惑い戸惑い困惑し続けていたのか!」
ヒロユキは一旦、この件を棚上げすることにした。
正直、目前のこの男はかなり面倒臭そうだ。余計な思考はちょっと邪魔だ。
学生はヒロユキにお構いなしに捲くし立てる。
「恋の悩みかな? 親友と同じ人を好きになったのかな? 少年、君は無常にして無情な運命を無上に呪った事だろう。しかし、問題は無い! 全く無い! 皆無だ! 明日のために始める第一歩は話し合いだよ!」
「奪い合いじゃないらしいよ」
という沙良の言葉は無視する。学生には聞こえていないらしいけど、ヒロユキはやはり気になる。タメ息のような頷きを返す。
「はぁ」
「その場合、まず必要なのは刃物の持ち込みを禁止する事だ。なぁに大丈夫だよ。君は編んだ鎖を着ていれば良いだけさ。それに、万が一。いや、億が一、君が失恋する事になったとしても、運命だと諦めて新しい恋を探せば良いだけだしね。その親友とは仕事の面での好敵手になれば良い。それが正しく、『友情』さ! なんてね、はっはっは!」
「ヒロユキ、『友情』よ。分かる?」
という沙良の言葉に返事する。
「まぁな」
「おお、分かってくれるかい。君は運命的に物分りが良いね!」
「褒められたわよ。胸を張りなさい」
空笑いで、ヒロユキは言った。
「……嬉しいなぁ、はは」
「おお、おおおおおおおおおっ! ここの住人でそこまで物分りの良い人物がまだ残っていたなんて! 運命だ! 今日は運命的な日だよ!」
学生は感極まって泣きそうだった。勘弁して欲しい。
「……ところでここはどこですか?」
「ここはここさ! 小生と君の運命が交錯した出・会・いの場所だよ!」
「いや、そういう意味じゃないんですが」
「では、どういう意味だい?」
「えっと、地名とか」
「そんなものに興味は無いんでね!」
自信満々に何を言うのか。現代医学の範疇にはない病気かもしれない。
「そうですか。興味ありませんか」
「ヒロユキ。そんな些細なこと気にしていちゃダメよ」「君はそんな些細な事を気にしている場合じゃないぞ!」
と、二人はほぼ同時に似たようなことを言う。
もしかしたら、自分は担がれているだけではないのか? そんな疑念が生じるが、何かどうでも良い。
「さぁさぁさぁ、少年! 懺悔の時間の始まりだ。何をしでかしたのだい? 放火か? 殺しか? 思想犯か?」
「ちなみにその三つが『ここ』での三大犯罪ね」
ヒロユキはいきなり重犯罪者扱いかよ、と苦笑するしかない。
「いや、別に何も――」
「言えないほどのものか!」
「いや、そうじゃなくて」
「じゃあ何だい? 疚しい事が無ければ思う存分に悩みを分かち合える筈じゃないか!」
「…………」
学生は前提から間違っている。
その隣では沙良が、困っているヒロユキの顔を見て大爆笑している。
「良い、良いわよ、ヒロユキ! その顔。カワイイわー!」
もうどうでも良い。
ヒロユキは眉根を寄せ、深刻そうに重い溜め息を吐いて見せた。投げやりである。
「実はですね――」
「おお」
「私の悩みは『貴方に打ち明けることができない』というものなんです」
「そ、そうだったのかー!」
学生はオペラ歌手のように大げさに戦慄いた。手足の震えは見ているヒロユキに『こいつ本当に大丈夫か?』と心配させるほどだった。本当に新種の病気かもしれない。
「そ・ん・な・大層な悩みだったのかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああっ!」
学生は天に向かって咆える。
先ほどの猫背と逆になっているところを想像して欲しい。
「い、いや、そんな大したもんじゃないですから、とにかく大声出さないで……」
すごい勢いで涙を流していた。
その滂沱する様子は涙腺が壊れているとしか思えない。ちょっと引く。いや、かなり怖い。
「泣いているわよ、ヒロユキ。こういう場合、どうすれば良いかしら?」
ハンカチなんぞ持っていない。男に貸すハンカチがないという意味ではない。
「え、えっとですね」
「いや、良いんだよ、少年! もう何も言うな! 君が前に立ち塞がる困難はこれからも多種多様を極めるだろう! だが、案ずるな少年よ! その度に君にはきっと小生のように悩みを支えてくれる他人が現れることだろう。
そ・れ・が、『運命』というものなのだよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおっ!」
「は、はぁ」
「君と出会えた運命に感謝する!」
「あ、ど、どうも」
「運命があえばまた逢おう」
学生と固い握手を交わした。
力強かった。
そしてあっさりと彼は踵を返し、去って行った。ヒロユキは呆然と後ろ姿が消えるまで見送り続けた。
正に言葉が無かった。
「…………」
「どう? 運命的な出会いは?」
沙良が可笑しそうに訊いてきたので、ヒロユキは首を左右に振った。
「どのへんが運命的だよ」
「どんな出会いだって運命的でしょ? そうは思わない?」
「思わない。だったら、お前とだって運命の出会いだぜ」
「あら? 違うの?」
と、沙良は小悪魔っぽく笑った。ちょっと魅力的な言い回しかもしれないが、知るか、と思う。ヒロユキはそっぽを向いた。
「あの人ね、ここでもかなりの変わり者なの」
「そりゃそうだわな」
「本当に?」
沙良は意味深な表情で呟いた。面白がるというよりは、どこか試すようだった。
「あん?」
「本当にそう思っている? ヒロユキは誤解してない?」
「……? どういう意味だ」
「さぁね」
沙良はそうはぐらかして歩き始めた。
怪訝に思いながらもヒロユキには付いていくしか選択肢がない。
歩きながら沙良はこちらに横目で視線を送り、質問してきた。
「運命ってどう思う?」
「別に。つーか、深く考えたことない」
「全てが何者かの筋書き通りだったら楽だなって思ったことは?」
「んー。なくはないけど、莫迦らしくないか、そういうのって。それにさ、もし仮にそうだったら、世界はもっと良くなっているはずだぜ」
「そう? 誰かに操られているから世界って面倒臭くて、つまんなくて、いい加減で無責任なんだとは思わない?」
「それは思わないな。人は良くなるために生きているんだ。争いだって誰もがそれぞれ良かれと思ってやっているだけだよ。世の中のいざこざの大半は、悪意ではなく誤解やすれ違いによるものさ、なんてね」
「……さすがね。『武道家』に憧れるだけあるね」
「『武道家』?」
何でもないと首を横に振る沙良は笑顔だ。足取りも軽くて――妙に上機嫌だった。
今のやり取りかと内容を思い返したが、大したことは言っていない。
まぁいいや、とヒロユキは気にしないことにした。気にしても分からないことが多過ぎだった。本当に投げやりだね、うん。
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