第3話 沙漠にて その二

 死んだ土は果てしなく広がっている。

 歩いても、歩いても風景に変化がない。


 砂、砂、砂。

 そして砂。

 おまけに砂。


 景色が変わらないということがこんなにも辛いとは知らなかった。

 俺が弱音を吐かなかったのは、軽い足取りで数歩先を歩く少女のおかげだった。

 彼女はとりとめもない話をよく振ってきた。


「ねぇ、貴方が今までの人生で一番嬉しかったことって何?」

「さぁ。嬉しいに順番をつけても仕方ないだろ。嬉しければそれで良いと思う」

「でも、美味しいものを食べたときの嬉しいと、今までできなかったことができるようになった嬉しいとかってやっぱり違うと思うけど」

「どっちが上?」

「後者よ」

「俺は逆。そんなもんさ」

「そんなもんかな? じゃあ、今までの人生で一番悲しかったことは? って質問にもそう答えるの?」

「幼い頃に飼い猫がいなくなったことかな」

「……何でそこではハッキリ答えられるかなぁ」

「まー、それだって本当に一番悲しけりゃ、言えるもんじゃないだろうけどね」

「それはそうね」

「だろう?」


 不思議なことはたくさんあった。

 まず、この地獄のような炎天下がそれほど辛くない。

 日差しは刺すみたいだし、空気も乾いている。果ては見えないし、一歩一歩歩くたびに重い砂は足を引っ張る。

 その割には疲労が軽いのだ。

 喩えるなら、銃を持った強盗の前に手ぶらで現れているのだが、それは完全にテレビ画面の向こうの出来事で自分に危険はない――とかそういう状況だ。


 どこか致命的でない辺りにライフラインが敷かれている気がする。

 夢のようだ。

 いや、夢だと思っているけどね。

 だからこその余裕で、こんな沙漠にもそれだけで耐えることができる。


「今までで一番カッコいいって思った人は誰?」

「あー、家の近くで道場開いている人かな。空手家? 弟子入りとかは無理だったけど、スッゲェ格好良いんだ。漢って書いておとこって読むような存在感があるんだ」

「強いの?」

「強いと思う。小さい頃にその人の練習たまたま見たんだけどさ。半端じゃないの。二メートルとかありそうな岩を殴って砕いていくんだ。最後には砂になってさ。子供心にスッゲェって感動したんだ。今から考えると、夢なんじゃないかなぁって思う。もしくは、格闘アニメの影響かもな。現実とごっちゃになってるだけってね」

「――『ぶどうか』」

「え?」


 女の子が何かを呟いたが、俺の耳にはほとんど届かなかった。


「アタシは夢じゃないと思うわ」

「何で?」

「だって、そっちのほうが貴方的には良いじゃない。夢があって」

「そうだな。あの人はいつまでも俺にとってのサンタクロースであって欲しいな」

「詩的じゃない。頭は大丈夫?」

「失敬な。大丈夫だと思うのかよ」


 彼女はクスクスと笑った。

 こういうところでちゃんと笑ってくれるのは可愛らしいと思うよ、俺は。

 ロリじゃないってば。


 そういえば、気づいたことはいくつもあった。

 ここまで歩いてきたのに振り返ってみると、砂には足跡が一つしか残っていない。

 もちろん、俺のだ。

 そして、この炎天下なのに少女の下には影がない。

 加えて、彼女は質問するばかりで、俺の質問がちょっと具体的なものになるとはぐらかされる。


 だが、それらの些細なことはどうでも良い自分が不思議だった。

 彼女が隣にいる。

 それで全ては成立しているような気がした。

 収まるところに収まるという感じで、ちょっと喩えようのないくらいにしっくりとくる。


「彼女とかいるの?」

「とかって何だよ」

「付き合っている人はいるの?」

「いない。つーか、いない」 

「何で言い換えようとして言い換えないの。って、そうじゃなくて、モテない?」

「んー、そうじゃないと信じたい。信じる者は救われる。人より異性との関わりが少ないだけだと信じたい。信じるって素晴らしいよな?」

「信じると救われるって別物だと思うけどねぇ。むしろ反目しあっていて、仲直りは不可能って感じ? 好きな人はいないの?」

「あー、まぁ、いるかな」


 正直に答える義理も理由も特に無かったけど、俺は正直に答えた。


「どんな人なの?」

「同級生。部活も一緒。どんなって言われても困るけど、親が離婚するらしくてちょっと苦労しているみたいだな。美人だと思う」

「ふーん。そういうのが良いの?」

「そういうのってどういうことだよ?」

「不幸そうなの。ほら、守ってあげたいとか、保護欲とか」

「んー、違うと思う。というか、あんまり不幸オーラ発散型ではないしな」


 どっちかって言うと、強がってイライラするタイプだ。

 近接戦闘型かもしれない。

 こんなひどい言い草だが、真剣に彼女が好きな俺はどうなのだろうか。


「つまり、健気なのが好きなの」

「あー。そうかもしれんが、正直よくわからん。つか、恥ずかしいこと言わせるな」

「恥ずかしがる必要は全くないと思わない?」

「子供が気にすることじゃねぇよ」

「子供だから気にすることかもしれないわよ」

「どっちにしろお前はマセ過ぎ」

「はなぁ―――――――――――っ! すきだぁ――――――――――――っ!」

「聞いてたのかよ!」

「あつ! すなあつっ!」

「俺が悪かった! 謝るからから、黙るか、優しく殺してくれ!」


 そんな感じで愉快だったり不愉快だったりしながら沙漠の行軍は続く。

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