朝と夜

数日後


 志村は割といつも通りに軽くアルバイトしたりしながらやや暗めに過ごしていた。しかし、手元に警察官採用試験の過去問やら何やらを持っているところだけが違った。


 「成る程こんな感じか」


 彼は取り敢えず形から入る種類の人間なので、軽く全体をめくってみた。


 「…当然と言えば当然だが、サッパリ分からん…これは六法全書も必須かもしれん」


 数日。日常の変化はさして無かったが、なんだかんだで自分の不運の原因が判明したらしく、しかもそれを頼りにしてくれそうな人が現れたのは、彼をやや前向きにさせるには十分だった。時間だけは有るので勉強しようなどと思っていた。そんな矢先、爆音でハードロックが流れた。


 「あっ、電話だ」


 我ながら何故こんな曲を着信にしているのだろうと思うが、取り敢えず様子を見る。バイトのシフトの話しかとも思ったが、違った。

 

 「申します申します…七星です…志村さん、聴こえる?」


 「(もしもしを正式名称で言う人初めて見た…)はい、志村です、聴こえてます」


 「嗚呼…良かった、僕だ。…ええっと、本日はお日柄も良く…」


 「…なんでめちゃくちゃ畏っているんですか」

 

 「同僚と以外ほぼ電話したことないから、私用の電話ってどう話せば良いのか分からない…」


 「…いつも通りで良いんですよ…」


 「…あれから数日経つけど、どう?何か変わった事とか」


 「いえ、特には。強いて言えば受験用の参考書買ってみたりとかそんな感じですね」


 「そうですか、…なんで電話したかというと、まだ事件にはなってないんだけど、とある情報が入っててね」


 「どんなのですか?」


 「まあ、情報というか噂だから参考にしなくても良いかもなんだけど、最近東京一部地域で『不幸』な現象に逢う人が多くなっているらしいんだ」


 「それは、偶々とかではないんですか?」


 「う〜ん、どうなんでしょう…その『不幸』というのが尋常ではなくて、偶然上から工事現場の鉄骨が降ってくるとか、車が原因不明のエンストを起こすとか、ずっとやっていたゲームがサ終するとかだそうで」


 「最後のはその中にカウントする程の事なんですか!?」


 「…ずっとやってたのに…頑張って育成してたのに…毎日周回してたのに…グスン…」


 七星は数年間の日々を愁情で振り返る様な震える声で言った。


 「最後の自分かい!!」


 「…とにかく、そう言うのを君は引き寄せてしまうからね。念のため気をつけてね」


 「分かりました、ありがとうございます」


 電話を切った後、「本当に自分の『六感』に気を遣ってくれているんだな」と志村は改めて七星荒夜と言う人に対する信頼と尊敬を深めた。本当に、なんだかんだで落ち着いていて良い人だ…戦闘中以外は。


 そんな事を思いつつ、志村は今日もバイトに向かうのだった。

 

 同じ頃


 東京都某区の、一人暮らしにしてはかなり立派な家に、女子高生が1人いた。そして彼女は、冷凍庫のイカの様に凍りつき、震えた目をしながら、部屋の暗闇の先へ視線を送っていた。暗闇の中に一人いる。暗闇は言った。


 「ねえ?見たでしょう?皆んな、皆んな、私に目を合わせると『不幸』を噛み締める事になるんですよ。塞翁が馬は落馬せず、九死に零生…それが私の『六感』」


 暗闇は、この場にふさわしく、凍結した声で言った。


 「わ、分かってます。なんでも言ってよ…」


 「ええ、言われなくても?

 駒として頑張ってもらいますよ?逆街八音さかまちかさねちゃん?…アンタの『ディッセンバー』は少々扱いにくいけど、強いんだから。はい、これ、夜飾区よるしかくの航空写真」


 そう言って八音に手渡されたのは、東京都東部、夜飾区の航空写真だった。某派出所系漫画で有名な区である。

 八音は思った。これは自分の責任だと。元々この暗闇の奥にいる人物と八音は、同じクラスだった。しかし八音は、蔑まれ、虐げられ、陰鬱の限りを過ごしていたそれを、ただ怯え、傍観していただけだった。

 だから、こうして利用されるのも当然なのだろうと。目を瞑り、そして罪の片棒を担ぐつもりで、写真を手に持っていた映写機の中に入れる。映写機は動力もなしにカラカラと言う何故か懐古したくなる音を奏で始めるのだった。

 暗闇は、大笑いしながらその様子を眺める。そして、それを抑えると、パソコンを触り始めるのだった。


 志村は今日もバイトを終え、帰宅するところだった。


 「バイトお疲れさん。ところで総一クン。なんか最近様子変わった?」


 年上で同じくコンビニバイトの青年、坂本さんが話しかけてくる。見た目は年相応の大学生らしく若干軽いノリなのだが、言動と目つき、そして仕事ぶりに真面目さが隠しきれていない。志村としてはかなり敬愛する先輩だった。


 「先輩こそお疲れ様です…俺なんか変ですか?」


 「いやあ、そう言うことではないんだけど。な〜んか、前より色々と楽しそうだなあと。彼女でも出来た?」


 坂本さんはちょっとだけ茶化す様に訊ねてくる、志村は真顔で言った。


 「いやあ、まさか、俺は音楽と結婚すると決めているので」


 「一体何処のイギリス女王だ!?」


 と冗談で言ったものの。彼は実際、得た事より失った事の方が遥かに多いので、恋とは長い事無縁だし、そもそも自分が持てるなどとは一粒の小麦粉より微塵も思っていなかった。


 「まあ、優しい友達なら出来ましたよ?」


 「そうか、友達かあ。あの毎日中世初期の肖像画の様な目をしていた総一クンに、良かった」


 「それは一体どんな目なんだ…」

 

 「まあとにかく、嬉しいよ。良い奴なのに、何故かあんまし人と関わろうとしないんだもん。総一クン」


 「……」


 志村は応えられなかった。一番大事な時に逃げる様な人間だと言う事を知ったら、先輩は同じ事を言ってくれるのか。そう思ってしまった。


 何か触れてはいけない事に晴れてしまったのか、坂本はそう思っておどけてみる。


 「…赤黄色の金木犀みたいな顔をしてしまっている…」


 「なんで毎回例えが分かりにくいんですか!?…名曲ですけど!!」


 「ハハハ、やっぱり総一クンとは趣味が合うねえ。それはそうと、さっきから雨凄くないか?」


 「確かに、なんかヤバいですね」


 先刻から降り始めた豪雨は、バイト先の夜飾区に出力を間違えたシャワーの様な轟音を鳴らしていた。

 

 「天気予報見ると、この区だけに集中している…しかもクッキリとこの区より外側には降っていない。雷雨は此処が大好きらしいなあ」

 

 「……ビニール傘だけ買って出ます」


 「あ、いいよ、ビニール傘一本くらい奢る奢る」


 先輩から傘を貰い、礼を言い終えた後帰宅する。しかし、志村の中には違和感があった。確かに上空の雨雲は、区の形に沿って形成されている。


これは本当になのだろうか…


 七星から再び電話が来たのは、家でテレビを見ながらそんな疑念を抱いている時だった。

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