三章:叉鬼とおともだち その3
「なあ、写真撮るのってコツとかあんの?」
安久が話しかけてきたのは放課後、僕が二眼レフカメラのフィルムの交換をしていた時だった。
「コツかぁ……」
そう言われて考えてみるがいい回答が思いつかなかった。
「分からない、感覚でやってるから」
そんな僕の回答に安久は「天才肌だ」と笑っていた。
「それで、写真について聞いてくるなんてどういう風の吹き回しだよ」
「お前、叉鬼ちゃんの写真をめっちゃ綺麗に撮るじゃん? ああいうの俺にもできないかと思ってさ」
「なんだっていきなり」
「翠ちゃんがな、小さい頃は使用人さんに育てられてたから自分の写真があんまりないんだと」
「なら僕の話は参考にならないよ」
「なんでさ?」
「僕は叉鬼にしっかりと向き合えないからファインダー越しに彼女を撮ってるだけなんだ」
僕がこんな気持ちになるのは叉鬼だけなんだ。
でもそれはきっとおかしい感情で、だから真っすぐに彼女に向かい合うことが出来なくて。
けれど、目を背け続けることはできない。
彼女は僕にとっての太陽だ。
見ないようにしてもどうしても視線が吸い寄せられる。
だから僕は――こうして逃げているんだ。
「お前はしっかり翠ちゃんに向き合えよ」
フィルムの交換を終えた僕は椅子から立ち上がって鞄を持った。
「じゃあな、安久」
友人に別れを告げて教室を後にした。
階段を降りて昇降口へ向かうとちょうど叉鬼の姿を見つけた。
叉鬼は僕の姿を見つけると手を振ってきた。
僕は小さく手を振り返して彼女の前まで歩いていく。
いつもなら叉鬼の方から近づいてくるのだが、彼女は既に靴を履き替えている。
「今帰り?」
「うん、あ、でもね。あみちゃんに呼ばれてるから先帰ってて欲しいんだよね」
「そっか――でも今日は――」
僕が言い終わる前に叉鬼は「あ!」と声を上げた。
「そうだ、お兄ちゃん今日バイトだったよね? 忘れちゃってた、てへっ♪」
なんて言って舌を出した。
不意打ちの可愛さで僕の心臓がどくんと震えた。
叉鬼はくるりと踵を返して昇降口から出て行った。
◇
僕はアルバイト先、まほろば骨董品屋にて午前中に客から買い取ったらしい豪華な椅子に腰かけてコーヒーを啜っていた。
というのも、店に来るなり店主の舞華さんから今日のバイト時間そこに座って座り心地と感想を教えてくれと言われて座らされた。
よくわからない仕事内容なのだがこの人がこういうことを言ってくるのは今に始まったことじゃない。
初めは戸惑ったが今では、座っているだけで給料がもらえるのでラッキー程度に思っている。
対して舞華さんはというといつものごとくカウンターでタバコを吸っていた。
「舞華さんこの椅子なんなんです?」
僕が訪ねると舞華さんはようやく聞いてくれたなという感じの表情をした後にタバコを口から話した。
「客曰く、待ち人が来る椅子。らしいぞ――なんでも会いたい人が寄ってくるという」
楽しそうに話しながら再びタバコを咥えてニコチンを摂取する舞華さん。
「というわけだ、好きな女の子のことでも思い浮かべてみろ」
僕は舞華さんまた、変なものを買ってきてと思いながら目を閉じて叉鬼のことを思い浮かべてみた。
好きな女の子と言われても僕は正直、異性にあまり興味がない。
興味があるのは叉鬼だけだ。
あまりにも叉鬼が可憐なせいで僕の中での異性は叉鬼か、叉鬼以外かでカテゴライズされるようになってしまった。
だから考えられるのは叉鬼だけだろう。
叉鬼のことを考えているとリンリンと店のドアが開く音がした。
珍しく客が来たようだ。
「いらっしゃいましたぁ~」
その声を聴いた瞬間、僕は目を見開いた。
ドアの前に立っていたのは叉鬼。
黒いセーラー服に赤い革ジャンを羽織った女の子。
彼女の姿を見た瞬間、全身、否、魂が震えた。
「さ、叉鬼。なんでここに?」
僕が聞くと叉鬼は両手を後ろで組んで少し腰をかがめながら上目遣いでこちらを見つめてきた。
「舞華さんにお掃除を頼む電話をしようと思ったんだけど、お兄ちゃんの顔が見たくって直接来ちゃった♪ ダメだったかな?」
「そんなことないよ」
僕が答えると叉鬼はぱっと笑って僕のところに歩いてくる。
そして僕のマグカップを手に取って口に運んだ。
少し温くなりつつあったコーヒーを飲みほした叉鬼はマグカップを置いてぺろりと唇を舐めた。
目が合うと叉鬼はにたりと笑って僕の耳元に顔を近づけてくる。
「コーヒーお兄ちゃんの味がして、美味しかったよ」
吐息交じりに口にしたその言葉はまるで麻薬のようだ。
高揚感と共に血流が早くなっていく。
そっと叉鬼は後ろに身を引いた。
「叉鬼、先ほど掃除と言ったが場所はどこだ?」
「花小泉公園の噴水」
「分かった」
舞華さんはそう言って椅子から立ち上がった。
「少年少し出かけてくる」
僕に言うと舞華さんは居住スペースの方へ入っていき、コートを羽織って戻ってきた。
「叉鬼、店番をしておけ」
「は~い♪」
それだけ言い残して舞華さんは店から出て行ってしまった。
舞華さんが去った後の店は静まり返っていた。
しばらく静寂の時間が過ぎたあと、叉鬼が「よし」と呟いた。
鼻歌まじに叉鬼は店先まで歩いていきさっさとシャッターを閉めてしまった。
「おい、叉鬼?」
「どうせ人なんか来ないんだし良いよね?」
まるでいたずらしているような表情で笑うと叉鬼は僕の方へ戻ってきて鞄の中に手を突っ込んだ。
「はいこれ」
そう言って渡してきたのはチョコ菓子の箱だった。
これはどういう意味で渡してきたんだ? と考えていると叉鬼が僕の膝の上に座ってきた。
座ると言っても普通じゃない、例えるならお姫様抱っこの耐性。
正面を向いた僕に対して横向きに座ってきたのだ。
「え――」
驚いている僕をよそに叉鬼は不満そうに頬を膨らませた。
「お兄ちゃん、ちゃんと支えてよ」
叉鬼の言葉に僕は慌てて右手で彼女の背中を支えた。
すると叉鬼はご満悦の表情で「よろしい」と口にした。
「それじゃあさ、チョコ食べさせて」
あーんと口を開ける叉鬼。
白くて小さくて綺麗で可愛らしい歯に僕は目を奪われた。
「は~やく~」
叉鬼にせかされたことで我に返り、僕はチョコを一つつまんで叉鬼の口へ運んだ。
叉鬼は勢いよくチョコにかぶりつき、その時に僕の指がほんの少し彼女の唇に触れた。
驚いて手を引っ込める。
不快感を与えてしまったのかと焦る心とこの高揚感。
なんなんだろうこの感覚は……。
ドギマギしている僕に対して叉鬼は平気な顔をしてチョコを咀嚼して飲み込んだ。
そしてこちらを上目遣いで見てくる。
「お兄ちゃんが食べさせてくれると、ドキドキするね」
それはこっちの方だと思いながら僕は目を背けた。
「もう一個ちょうだい?」
叉鬼に言われて僕はもう一つ、チョコを彼女の口に運んだ。
二個目のチョコを食べ終えると叉鬼は「美味しい」と幸せそうに口にした。
そうして、一つ、また一つと叉鬼にチョコを食べさせているとチョコが無くなってしまった。
この時間が終わってしまうのかと寂しさを感じつつ僕は叉鬼にチョコが無くなってしまったことを伝えた。
「そっか、じゃあ手、見して?」
「?」
「左手、見せて?」
叉鬼の言葉の意図が分からなかったがとりあえず見えるように左手を彼女の顔に近づける。
すると叉鬼が顔を左手に近づけた。
暖かさと柔らかさとみずみずしい感覚が指を包んだ。
驚いて視線を指に向けると、叉鬼の顔が見えた。
僕の指は叉鬼の口の中にあるのだ。
指を伝っているこの感触が叉鬼の舌によるものだと考えると頭が真っ白になる。
時間にしては十数秒、けれど僕の中では何時間にも感じられる時間を過ごした後。叉鬼の口から僕の指が解放された。
「綺麗にしてあげました」
むふーと子供のようなどや顔をしている叉鬼。
僕はぽつりと「ありがとう」と呟くことしかできなかった。
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