二章:お兄ちゃんと周りの人たち その4

 目が覚めると布団の中の温かさと脳を揺さぶるいい匂いを感じた。

 ついさっきまで叉鬼が隣で眠っていたのだろうと思った。

「まったく、こういつも布団に入られちゃ困るんだよな……」

 僕は体を起こしながら頭の中の沸騰を覚ますべく愚痴をぼやく。

 こうして嘘を言葉にしないと理性を保っていられない気がする。

 一つため息を吐いて布団から体を起こした。

 叉鬼のぬくもりから離れるために寝巻を脱ぎ捨て、制服に着替て机に置いてある二眼レフカメラを持って部屋を出る。

 階段を降りてリビングへ行くと掃き出し窓が開いていた。

 叉鬼が庭に出ているのかもしれないと二眼レフカメラのファインダー越しに外を見た。

「たまご♪ たまご♪ た~まご♪」

 楽しそうに唄いながら鳥小屋の中に頭を突っ込んでいる叉鬼の姿があった。

「お兄ちゃんの分とわたしの分……とあとはお弁当で四つあれば幸せ~」

 ぷはぁなんて声を出しながら鳥小屋から顔を出す叉鬼を見て僕はシャッターを切った。

「お、お兄ちゃん! おはよう♪」

 花が咲いたような笑顔を向けながら手を振ってくれる。

「おはよう、いくつ取れた?」

 僕が訊くと叉鬼は「ふっふっふ~」と笑う。

「六個」

「今日は大量だな」

「卵産む子を新しくしたからかな?」

 叉鬼はほら、と言って足元を歩いていた鶏を掴んで持ち上げる。

「新入りのナオちゃん♪」

 また人間みたいな名前つけてる。

 妹のネーミングセンスに苦笑い。

「朝ごはん作るからお兄ちゃん待ってて」

「分かった」

 答えて僕は踵を返して脱衣所へ向かった。

 叉鬼が朝ごはんを作ってくれている間に洗濯でも回しておこう。

 

      ◇


 洗濯物を干し終わって家に戻るとテーブルに朝食が準備されていた。

 鶏皮のスープと卵のサンドウィッチ、それにサラダ。

 叉鬼はすでにテーブルに座ってテレビを見ていた。

「ごめん待たせた」

 叉鬼が僕を待って朝食に手を付けていなかったので、謝罪をしながら席に着いた。

「いえいえ~」

 そう言って叉鬼は苺ミルクの入ったコップを差し出してきた。

 僕も同じくコップを持って乾杯。

 苺ミルクを一口飲んだ。

 うちの苺ミルクは市販品の物とは違う。

 叉鬼が牛乳、砂糖、苺、そして自家製の苺ジャムをミキサーしたものに手で砕いた追い苺を入れたものだ。

 口いっぱいに広がる甘酸っぱい苺とミルクの甘味と共にごろごろした苺の果肉が広がっていく。

 これだけでも満足感のある代物だ。

「やっぱり叉鬼の苺ミルクは世界一だ」

「えへへ~そうかなぁ~」

 僕はそうだよと答えて卵サンドを口にした。

 一口食べて気が付いたのはマヨネーズの味の違いだ。

 市販品の物ではない、自家製ならではのまろやかさをしっかりと感じた。

「今日のマヨネーズ作ったやつか?」

「あたり、あんまりお店のやつ使いたくなくってさ」

「こだわり?」

「うん、食べるなら自分で殺したものがいい」

 そう言う叉鬼の表情には魅惑的な危なさがあった。


 またいつも通り、他愛もない話をしながら食事を済ませた。

 家を出るにはまだ時間に余裕があるため、僕は皿洗い、叉鬼はリビングのソファに座ってテレビを見ている。

 流れているのは先日、折華おりはな第二ビルで起こった殺人事件のニュース。

 建物内に刃物で惨殺された学生の遺体が発見されたことが告げられ、被害者の名前が公表されている。

 心当たりがある名前があった。

 うちの学校の人間で運動部の目立った奴だったから顔はわかる。

 けれどクラスは違うし話したこともないから、あああいつ死んだのかくらいの感覚しかない。

 冷たいかもしれないけれど、僕の感覚からしたらそんなものだ。

 対して叉鬼はと言うとあまりテレビの内容には興味が内容で「ふわぁ~」と大きな口を開いてあくびをしていた。

 こくり、こくりと船を漕いでいる。

 朝早くから朝食を準備してくれていたのだ、しばらく寝かせておいてやろう。

 無防備な妹の姿を微笑ましいと思いながら僕は皿洗いを再開する。

 ――ピンポーン。

 僕が皿を洗っているとインターホンが鳴った。

 僕は前掛けで手を拭いて玄関へと向かった。

「どちらさまですか?」

 ドアを開くと一人の少女が立っていた。

 身長は叉鬼よりも少し高い、百六十センチくらいだろう。

 叉鬼と同じく綺麗な黒髪をボブカットにしているのが印象的だ。

「あ、おはようございます。お兄さん」

 口調は丁寧で叉鬼を天真爛漫と言うのならこの子は清楚。

 男子受けしそうな女の子だなと毎回思う。

 彼女は、四ノ宮 翠ちゃん。叉鬼の友達だ。

「おはよう、叉鬼呼んでくるね」

「はい、お願いします」

 僕は一旦リビングに戻りソファーでうとうとしている叉鬼の肩に手を置いた。

 柔らかな感触、男性より少し高い体温、それらを手のひらに感じる。

「叉鬼、翠ちゃんが迎えに来たぞ」

「んぅ……んぁ?」

 目を覚ました叉鬼はまだ脳が覚醒しきっていないようで、とろんとした表情をしている。

 こんな無防備な姿を見たことがあるのは自分だけなんだと思う優越感を感じる。

「翠ちゃん待ってるぞ」

 叉鬼は「んー」と声を出しながら背伸びをしてすっと立ち上がる。

「よし、じゃあ行ってくるねお兄ちゃん」

「行ってらっしゃい」

 鞄を手に取ってリビングから玄関へ向かう叉鬼を気が付くと僕は目で追っていた。 

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