一章:お兄ちゃんの日常
「あのね!
昔、二人の秘密基地で妹の叉鬼が僕にそう言った。
「――いいよ」
一瞬思考が停止して、その後で自然と口から洩れたのがその言葉だった。
この場所に来るといつも思い出す。
森の中、開けた場所にある大きな木のうろの中、僕たちの秘密基地がある。
今では一人は居るのがやっとで、二人で入るには狭すぎるけれど、あの頃の僕たちは大人になったらここで暮らそうなんて言っていたものだ。
叉鬼はそのことを覚えているのだろうか? なんて考えながら僕はカメラのシャッターを切った。
二眼レフのカメラから手を放して僕は踵を返した。
◇
午前中、街中でふらふらと写真を撮って昼頃。
さすがに腹の虫がうずいてきたので家に帰った。
帰宅すると妹の叉鬼は電話中だった。
長い黒髪のおさげのツインテール。
手足は細くて色白。
幼さを残した顔立ちに大きい目に長いまつ毛、誰が見ても美少女だ。
「あ、お兄ちゃん帰ってきた! お帰りお兄ちゃん♪」
「ただいま」
「お昼、もうすぐできるから座って待ってて~」
わかったよ、と返答して僕はダイニングの椅子に腰かけた。
叉鬼はキッチンの中で通話をしながら料理を作っている。
「ねえねえ、翠ちゃんはお昼は何にするの?」
相手はクラスで一番、仲のいい女の子、四ノ
「えっと……ね、今日ね、先輩とお昼から出かけるんだ、そこで二人でランチしようってなってる」
「えー! いいじゃん! 先輩ってあれでしょ、お兄ちゃんと同じクラスの
「うん、昨日楽しみすぎて、眠れなかった……」
スピーカーにしているものだから、会話が丸聞こえなのだがいつものことだ。
「ちなみに、うちはね~肉料理、チキンステーキの予定なのです」
楽しそうに口にする叉鬼の手元には鶏の足が握られている。
ちなみに生きている。
「あ~もう、マミちゃん暴れたらめっ!」
なんて言いながらまな板に押し付けて首に包丁を突き付ける。
俺が目を背けた瞬間、ざくりと音が聞こえた。
ああ、首が落ちたなと思いつつ視線を逸らしたままにする。
視界の隅では頭が取れた鶏が吊るされているのが見えるが。
叉鬼曰く血抜きをしているらしい。
「その子、確かマミちゃんだったよね? ステーキにしちゃうの?」
「うん、卵産まなくなっちゃったからね~」
「なら仕方ないか」
鶏に人間みたいな名前つけるのは辞めて欲しいなと思いながら妹と友達の会話を聞く。
「あ、そういえば」
翠ちゃんが思い出したように口にした。
「うちのクラスのマミちゃんも亡くなったんだってね、ビルから落っこちて」
「へ~」
「興味なさそうだね叉鬼ちゃん」
「だって、わたしあの人嫌いだし」
叉鬼は口を尖らせる。
「嫌味言って来るし、前に靴隠されたし~」
「叉鬼ちゃんがマミちゃんの彼氏さん蹴飛ばしてから絡んできてたよね」
「そうそう! だって掃除当番ほかの人に押し付けてるんだよ~ほんと意味わからないよね」
「それでも暴力で訴えちゃだめだと思うけどなぁ……」
「注意したら胸倉掴まれたんだよ、だからくるって回ってこう!」
叉鬼は狭いキッチンの中でくるりと翻りハイキックをして見せる。
あれで周りのものにぶつからないんだから不思議た。
「おお~!」
ビデオ通話にしているのか翠ちゃんの歓声の声を拍手の音が聞こえて来る。
叉鬼の楽しそうな声を聞いていると自然とカメラに手が伸びる。
二眼レフカメラを叉鬼の方へ向けてファインダーを除く。
叉鬼の笑顔の花が満開になった時、シャッターを押した。
――これが僕の日常だ。
しばらく待っていると、肉を焼く音と香ばしい匂いが漂って来る。
またしばらくすると、チキンステーキの乗った皿を二つ持って叉鬼がやってきた。
洋画に出て来るウェイトレスみたいに軽やかな足取りで。
「お待たせしました~」
エプロンのポケットにスマートフォンが入っているのを見るに、翠ちゃんとの通話は終わったらしい。
「ありがとう」
僕はお礼を言ってから叉鬼が作ったチキンステーキを受け取った。
「いえいえ、お兄ちゃんの胃袋を掴んで離さないためですので。あ、ドリンクはワインにしますぅ? 赤? それとも白? 味付け的には赤かな~」
「じゃあ、赤」
「は~い赤入りましたぁ!」
くるくる回りながら叉鬼は冷蔵庫の元へと向かい、取り出したのはボトル入りの葡萄ジューズだ。
ちなみに白を選んだら白葡萄のジュースが出て来る。
叉鬼は、軽い足取りで食器棚から父さんのワイングラスを二つ持ってやって来る。
フレンチレストラン顔負けの手際の良さでワイングラスに葡萄ジューズを注いでテーブルに並べると叉鬼も椅子に座る。
「じゃあ、食べよっかお兄ちゃん」
「ああ、叉鬼、いつもありがとう」
互いに持ったワイングラスを寄せ合って乾杯してから食事を始める。
グラスを置いて、ナイフとフォークを手に取る。
チキンステーキにナイフを当てるとすっと飲み込まれるように切れていく。
ほとんど筋力を使わずに切った肉は光り輝く肉汁に包まれている。
口へ運ぶと淡白ながら満足感のあるうま味が口の中に溶け出す。
我が妹ながら叉鬼は料理上手だ。
既に胃袋は捕まれてしまっていると言っても過言ではない。
「どう? 美味しい?」
こんなに美味い料理を作ったシェフは無邪気な顔をしてテーブルに肘をつきながらこっちを見ている。
「すごく美味しい」
「わぁいやったぁ~」
本当に嬉しそうに笑うものだから、美味しいって言いたくなる。
たった一言でお互いが幸せになれる魔法みたいな言葉。
「そういえばさっき、靴隠されたって言ってたけど大丈夫だったのか?」
僕が訊くと叉鬼は「ああそのこと」と話し始める。
彼女の雰囲気を見る限りすでに過去のことのようで本人も気にしていなさそうで安心。
「うん、マミちゃんがわたしの靴隠したからわたしがマミちゃんの靴履いて帰った」
あっけらかんとして口にする妹のメンタルの強さに呆れる。
「ぶかぶかで歩きずらかったよほんと」
「そっか」
愚痴が出るくらい叉鬼にとっては些細な問題のよう。
心配の種が消えたので、食事に戻ることにする。
その後も、他愛もない会話をしながら食事を済ませるのだった。
これが僕、咲宮
◇
ここは叉鬼とお兄ちゃんの秘密基地。
大きな木のうろの中にある小さな世界。
「――ああ、またお兄ちゃん来てたんだ」
二人の思い出が兄の中で生き続けていることを感じて胸が高鳴る。
きっと覚えてるよね。
あの時の約束。
叉鬼が今、十五歳。
お兄ちゃんが今年で十七歳。
「もうすぐだね……お兄ちゃん」
近い将来に訪れる叉鬼とお兄ちゃんの幸せを想像しながら瞳を閉じる。
ここは狭くなっちゃったけど、よく眠れるんだ。
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