第12話 よっちゃん
栃木県南部は関東平野が広がり、急勾配な坂もほどんとなく、初夏には見渡す限りの水田となります。その広大な水田には、所々森があり、その森の中に農家や神社が点在しております。大きな森となると、森から森を伝って隣町に行ける程、森が続く所もありました。以下は前話を詳細に再度検証し、その後に起きた事を語らせて頂きます。
子供の頃、昼頃から、カブトムシ等を取りに森に入りましたが、中々取れずに、どんどん森の奥の方に入ってしまいました。その時に急な雷雨となりました。
夢中で虫取りをしていたので、自転車を降りてから、相当な距離、森を進んでおりました。ポツポツという、葉に当たる雨音で気づいた時は、物凄い豪雨となってきたのでした。
森が雨でけぶって見えません。周りを見回すと、深い森の中に家らしき物が見えたので雨宿りをさせて頂こうと、そこまで行きました。
それは古い作りの廃屋でした。木造モルタルの二階建てで、真ん中に玄関の引戸があり、左側は縁側だと思われ、多分突き当たりがトイレでしょうが、雨戸が閉まっています。右側は居間らしくガラス戸で中は障子が閉まってましたが、ボロボロに障子紙が破れております。
玄関の戸を叩いて、「すみません!どなたか居ませんか?」と大声で頼みましたが、反応はありません。やはり廃屋の様です。不思議な廃屋で森との堺がなく、庭らきしものもありません。森の木が家ぎりギリまで来ております。どいしても入る事が出来ず、軒下におりましたが、ふとみると、床下の通風口の、動物よけの網が外れております。
雨があまりに酷いので、仕方がなく、床下に潜るか。と、蟻地獄と蜘蛛の巣だらけで、腐敗臭と黴と昔のトイレと殺虫剤の様な臭いが入り混じり、何やら生臭い様な凄まじく臭い所でした。
我慢して、ムカデやカマドウマ等を追っ払って床下に潜りこみ、雨のかからない床下の奥へ奥へと迷路の様な床下を進みました。
豪雨とは言え、あちこちに通風口があって、光は入って来ました。
一番雨が届かない居間の真下まで来た時です。廃屋だと思っていたのに、上の部屋で話声がしました。忍者になった気分で床板に耳を当てて聴いてみました。
「すまんなあ。俺のせいで。」
「もう何度も話あったじゃない。終わりにしよう。もう行きましょうよ。」などと、ボソボソ言っております。男性と女性の声です。何か世間話をする様な、落ち着いた声でした。
しかし、そこの床板が一番臭かった事がわかり、耳を当てていた顔まで臭くなってしまいました。
これはたまらんと、雨上がりに抜け出し、まだ小降りになっている雨で顔を洗い、やっと家に帰ったら、何処に行っていたと祖母に叱られ、
「お前、何やった。汚くてダメだ。そのまま家に入るな!」と、庭で素っ裸にされて、井戸水をぶっかけられ、シャンプーと石鹸で泡だらけにされました。
全身洗われながら廃屋の話をしたら、祖母の顔色が変わり、
「ちょっと待っとれ。」と、家に戻り、塩とかお札を持ってきました。塩をまかれ、祖母のお経とも祝詞ともつかないお祓いを受けました。
「ばあちゃん。何なんだよ。」と、祖母に聞いたところ、祖母が語ったのが、
「その家は詐欺に騙されて財産をとられ、家と森だけ残り、病気になった夫婦が住んでいたが、10年位前に家主夫婦がミイラで発見された家で、大変な騒ぎになった。地主がよく解らず、家はそのままになっていて、近所の者は近づかん。何でお前はいつもそういう所ばかり行くのかね?」と、あきれられました。
これが、まだ10歳位でしたでしょうか。
あれから30年近くたちました。大人になり、その森から数キロは離れております私の母が所有する森を転売する事になり、現地確認に行ったついでに、あの廃屋はまだあるのか。と、ふと思い立ち森から森へと歩き、廃屋の跡を見つけました。
既に建物はなく、建物があったとおもわれる場所に、石仏というか庚申塔の様なものが5体建っておりました。
廃屋の土台の跡は残っており、慰霊碑でも建てたのかな。と、石碑に近づいて見ますと、慰霊碑ではなく、庚申塔のようでした。
よく庚申塔には青面不動明王や観音像が掘られておりますが、五体とも、顔を削り取られておりました。年号は寛永年間。江戸時代の物なら、廃屋のあった場所に新しく建てたのではないな、どうなっていたのか?などと考えておりました。
作業員風の方が通りかかったので、尋ねてみると、
「廃屋はありましたよ。朽ち果ててしまいましたが。残念ですね。もう床下で盗み聞きできませんね。」と、私の顔を見てニヤリと笑ったまま、軍隊の迷彩服が後ろの景色に溶け込む様に、スーっと森の景色に消えてしまったのです。あれ?何処に行った?と彼方此方探しましたが見当たりません。それに、床下って、何故30年前の私のやった事を知っている?と、どうしても聞いてみたくなりました。
廃屋の構造的に石碑が立っている場所や年代等あり得ないし、私の事を知っている事に釈然としなかった私は、近くの農家でもあれば、石碑の事等は知っているのではないか。と、その森の外に出て、森と田圃を分けている畦道に沿って、森の外側を歩いてみました。
正午過ぎなので、アブラゼミやミンミンゼミの大合唱ですが、森の奥が薄暗い為か、日中でもヒグラシが他のセミに負けまいというような大集団で、間をとりながら一斉に鳴いております。
田圃は稲がだいぶ伸びてきて、30センチくらいの高さに統一された緑の大草原になってキラキラと輝いておりました。
一片が数百メートルはあるでしょうか。四方を森に囲まれた水田の湖です。所々に水田に水を張るためのポンプ小屋と、その小屋に電気を引くための電線が来ているだけで、人も居なければ森の外の車の音も届かない、まるで御伽話に出てくる秘密の湖の様です。
畦道を歩くと、稲子やバッタ等の直翅目の幼虫達がバタバタと飛び交います。直翅目の多くは不完全変体。鱗翅目の蝶や蛾、膜翅目の蜂や甲虫等と違って、卵から幼虫、蛹、成虫という過程を経ず、卵から幼虫となった時に、既に親にそっくりな型で産まれてきます。ただ羽がなかったり、頭が身体に比べてやたらとデカかったりして、哺乳類とはちがいますが、やはり赤ん坊という幼さを感じます。
それが草むらからバタバタと逃げ出してきます。静かな秘密の田圃に怪獣が来た様なものでしょう。虫に混じってカナヘビやニホントカゲ、ヤマカガシだの青大将等の爬虫類も田圃や森にわんさか逃げ込んで、大変な騒ぎとなってしまいました。
思わず小動物達に「ちょっとごめんね。ちょっと通るだけだからね。すみませんね。」と言いつつ、やがて農耕車が入るための林道を見つけ、入って行きました。森を抜けた所に大きな農家があり、裏庭に出ました。
300坪位あるでしょうか。広い庭に黒い瓦で寄棟造りで100坪はあるのではないかと思われる様な母屋と、比較的新しい作りの離れが一棟。大谷石で作られた蔵が三棟。漆喰の蔵が二棟。農機具小屋兼作業場のような建物が二棟。庭にはビニールハウスも三棟建っておりました。
建物をぐるっと周って、正面玄関に行くと、玄関から長屋づくりの正門まで、30メートルはあるでしょうか。門から玄関まで敷石の両脇には、大きな石灯籠や仏像の様な石像が並んでおりました。
表の引戸を開けっぱなしにして、奥の座敷まで入り口から丸見えですが、シーンとして人の気配がしません。
「ごめんください!」と玄関で大声を出しました。屋根からびっくりした雀達が一斉に飛び立っていきました。
でも、返事がありません。再度
「ごめんください!」と、言いましたら、「はい、何でしょう?」と、母屋ではなく、母屋の東側、門に近い方に建っていた離れから、私と同世代の女性が玄関から出てきました。
「あの、すみません。私、この先の森の所有者なんですが、この度売却する事になりまして。」と、無難な話から行こうと話をはじめましたら、
「知ってるよう。私だよ。中学の同級生の。覚えてる?」と言われ、本当は全然覚えていません(ごめんなさい。)でしたが、まさか
「誰だっけ?」などと失礼な事も言えず、愛想笑いをしながら必死に家の表札を探しました。ありました。母屋の玄関の脇に「伊澤」と書いてある表札を見つけ、
「あー、伊澤さん?」と、いかにも思い出したようにいいましたら、
「覚えてないでしょう。今、表札みたのね。ここは嫁に来たところ。旧姓は前原よ。」と言われ、しまった!とは思いましたが、
「いやー歳でさ。人の名前が出てこなくなってきて。」
「あー、分かる。私も。久しぶりだね。」と、旧姓前原さんの、人懐こい笑顔にほっとしました。
「で、どうしたの?東京の大学に行って、そのまま帰って来ないって、お母様が言ってたけど。」
「まあ、そうなんだけど、お袋も歳でさ。時々帰って、色々やってるんだけどね。いよいよウチの森の管理も難しくなってさ。売る事に色々やらないとさ。」
「だよねぇ。うちも私が嫁に来て、私までは農作業も山仕事も手伝うけど、子供らはみんな、農家は継がないって言うからさ。爺ちゃんと婆ちゃんと旦那と私だけじゃ出来ないから、農業組合に委託している田圃もあるんだよ。でも委託料とかかかって、結局、全然利益出ないの。政治家がさ。日本の農業を守るとか言っても、家族総動員で一年かけて農作業やるより、都会で定時で働いた方がお金になるんだもの。やらないよね。」
「そうか。大変だな。農家も。」
「で、今日は何か?」
「ああ、あのな。この奥の田圃を超えて行った所に森があるだろ。」
「どの森よ。この辺、森と田圃と畑しかないわよ。」
「うーん。うまく説明出来ないんだけど、森の中に石像みたいなのが五つ建ってる所で・・・」
「え!あそこがどうしたの?」
「って、あそこって?何かあるのか?」
「あそこはね。この辺の人は、あまり行かないのよ。」
「何で?管理人さんみたいなおじさんいたぞ。」私は、そのおじさんが消えてしまった話を続けようかと思いましたが、彼女が既に真っ青な顔になっていました。
「そ、その人って、山男みたいな格好をして、顎の下の方まで髭を伸ばして、痩せて背の高い人?」
「そう。近所の人? さっき森の石像の所で会ってさ。話しているうちに居なくなったんだ。で、俺、子供の頃から、遺跡とか色々好きだっただろ。石像の年号がさ。どう考えても変だなと思って。」
「あー出たんだ。ちょっと母屋に来て。」と、私を母屋に連れて行きました。縁側を開けて座布団を出して冷えた麦茶を持って来てくれました。
そして、「お清め」と言って、私の周りに塩を撒きました。
「今日はね。農協のイベントで、爺ちゃんと婆ちゃんは旦那に連れられて、温泉行ってんのよ。日帰りだけど。私はもうすぐ子供達が帰ってくるからお留守番。」
「それはいいけど、お清めって何?」
「あのね。あそこの森には、私達が小さい頃、一軒家があったの。ご夫妻で住んでたんだけど、色々不幸があって、ご夫妻ともに家の中でお亡くなりになって、ずっと廃屋になってたのね。」
「そうしたら、いつのまにか、さっき見たという人が住み着いてね。別に悪い事する訳じゃないけど、この辺は田舎で、あまり他所者には親しくしないのね。」
「自治会長さんが行って、色々聞いたら、亡くなったご夫妻の遠縁の者だ。って言うからさ。みんなほっといたのね。」
「そのうち、この辺の年寄りだけで、家の農作業とか山仕事が大変な家なんかは、手伝って手間賃貰う様になってね。だんだん周りと打ち解けてきたかな。と思った頃に、私が嫁に来たのね。」
「みんなは、よっちゃんって呼んでたわ。でも、嫁に来た頃の私は、若かったし、よっちゃん、他人の庭にも勝手に入ってくるので、最初は凄く怖かったわ。」「ニコニコしていい人だったんだけどね。」
「でもそのうちに、よっちゃんを見かけなくなってね。農閑期だったし、特に親しい人もいなかったから、皆んな、気にしてなかったのね。でも、近くの田圃持ってる人から、よっちゃんが住んでいる森が臭い。って話が出て、皆んな怖くなって、駐在さんに言ったのね。そうしたら呆れるわ。駐在さん。よっちゃんの家はずっと廃屋だと思って、巡回連絡カードも渡しに行ってなかったし、町内会長も何もしなかったので、住民票も無かったんだって。で、駐在さんが壊れた玄関から入ったら、よっちゃんの腐乱死体があったんだって。大騒ぎになったけど、沢山の安いウイスキーのペットボトルが転がっていて、警察の発表だと病死だろうって。ただ、誰だか分からないのね。本名も元の持ち主との関係も。」「で、役所で色々調べて、元々の地主の遠縁の人が見つかって、やっと廃屋だけは解体したのね。土地の所有とかは、どうなってるか私は知らないけど。」
「廃屋を解体したら、家の真ん中。居間に五本の石碑が床下から建っていたんだって。この辺のお寺さんや神主さんに聞いても、こんな作りは聞いた事がない。っていうので、家だけ取り壊して、石碑はそのまま残っているのね。」
「ただね。そんな事があってから、あの森には、この辺の人はあまり行かないのね。だけど、知らない人が入ると、時々よっちゃんが声をかけてくる。って言われているのよ。それに・・・・」
「ん?まだあるの?」
「うん。あそこの森は、誰も管理していないに下草が綺麗に狩られていてね・・・。知らないの?」
「何を?」
「この町の自殺の名所の森って、あそこなのよ。よっちゃんが亡くなってから、あの森で見つかった御遺体は15体。あそこ、ちょっと湖っぽい感じで静かで綺麗な空間があるのね。それが逆に良くないんじゃないか。ってうちの旦那が言ってたよ。」
「大丈夫。気にしないでね。よっちゃんに会った人がどうなったとか聞いた事ないから。今度、同窓会に来てね。」と逞く日焼けした顔で笑った彼女を見て、やっと中学生の頃の彼女を思い出したのでした。 了
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