第9話 キャンプ場のブルカ
栃木に転勤後ほぼ定着が確定し、子供も産まれ、実家近くに家を建てたのは30代前半の事でした。
男の子が3人に増え、毎日賑やかな生活をしておりました。夏にはキャンプ。秋は日光那須への紅葉狩り。冬はスキーやスケート、真冬の温泉も楽しいものです。春は色々忙しく、庭で家族総出で、家庭菜園等を行うのが恒例の行事でした。
栃木県内には、公立や私立のキャンプ場や、子供の自然体験が出来る施設が沢山あります。 ただ、御多分に漏れず、かなり以前から予約をしないと利用枠は一杯です。
まして夏休みの利用となると、ゴールデンウィーク過ぎたら、ほぼ予約は埋まってしまいます。某市にあるキャンプ場は、自分でテントも持ち込めますが、ログハウスもあり、外には水道も竈門もあるバーベキュー場もあるし、雨天でもログハウスの中で、室内で調理が出来る他、予約すればレストランもあり、雨天時でも子供が遊べる様にボルタリング施設や体育館もあり、晴天ならニジマスの掴み取りや、かなり広範囲のアスレチック施設等も有って子供を飽きさせません。
通常の観光ホテルでは、子供は飽きてしまいます。大人は風呂が良い。景色が良い。飯が良いで楽しめますが、子供はそれは一瞬です。
自分達が何か体験していないと直ぐに飽きてしまいます。結局、わざわざ旅行に行った先でも家から持って来たゲームをやったり、オモチャで遊んだりしているので、折角出かけた意味が有りません。その為、我が家ではホテルに泊まらず、毎年夏には、この様な施設を借りておりました。
子供達は大喜びで、無我夢中で遊んでおります。
その年も、梅雨明けで夏休みの始まりに同様のキャンプ場を予約しておきました。チェックインするよりかなり早い時間に現地に到着したので、他の施設に寄ってみました。
すると、山の中に綺麗な釣堀があり、ニジマスやイワナ、ヤマメ等の釣り場と、釣った魚を捌いて、塩焼きや刺身にしてくれる食堂がありました。
釣り場は20メートル四方位が一つと10メートル四方でかなり深い堀が二つありました。大きい堀は30センチ未満位の魚が沢山いて、貸し竿で簡単にかかってきます。小さい方の堀は大物ばかりで、大きな物は1メートルくらいある様奴ばかり。こちらは中々釣れません。
その堀にそって店があり、店の裏側は森となり、そのまま山に上がっていく様になっております。
梅雨明けの山の木々は、新緑から濃緑に変わる過渡期で、雨上がりの為に綺麗に洗われ、突き抜けるような晴天の太陽光をキラキラと反射しております。
空気中の埃もなく、真夏になる前の澄み切った風が心地よく、釣り堀の水も透き通っていて、魚達を見ているだけでも癒される釣り堀でした。
客は私達家族の他に2、3組。皆子供がいて、楽しそうに釣りに興じています。
そんな中に、いつの間にか外国人の10人位の団体が混じってきました。多分中近東系の方々でしょうか。釣り堀が珍しいのか、やたらと写真を撮りながら、店員に身振り手振りで釣り方を習っております。
男性は皆、立派な黒い髭を伸ばし、女性は3人位いたのですが、二人はヒジャブで頭を巻いていました。一人だけヒジャブではなく、小豆色というか臙脂色の様なブルカと思われる物を纏った女性が、その集団からちょっと離れて立っておりました。
ヒジャブは、頭を覆うスカーフの様な物で、イスラム系の女性では珍しくないのですが、ブルカは頭から顔まで隠してしまう物で、日本ではあまり見かけません。私は仕事でイスラム圏に何度か行っていたので、「あ、ブルカだ。珍しいな。」と思った程度でしたが、子供達には、奇異に映ったらしく、小さい声で、「お父さん。あの人、何?」と聞いてきます。「あれはブルカと言って、外国の女の人の衣装なんだよ。」と説明しておりましたが、聞いてきたのは次男と三男だけ。長男は何も気にしないで釣りに興じています。
「幼い子には、不思議に見えるのかな。」とは思いましたが、特に気にせず、釣りを続けておりました。一番下の保育園児だった三男が、
「わぁ!」と叫んだので見てみると、長男と次男は次々釣れる大きい釣り堀で、30センチに満たないニジマスを釣っていましたが、三男は一人で大物がいる小さい釣り堀に行ったら、80センチ位の大物がかかり、持ち上げられずに騒ぎ出したのです。
直ぐに私が飛んでいって、なんとかキャッチすると、外国人の方々から拍手が起こり、三男と魚と並んで写真を撮ってもいいか。と聞いてきました。
どうぞ。と言うと、幼い三男を真ん中にしたり抱き上げたりして、外国人の方々が盛り上がっております。
でも、ブルカの女性だけは最初にいた場所から動かず、こちらを見ているだけでした。
やがて子供達が釣った魚は塩焼きに。大物は刺身となって、ランチタイムとなりました。
外国人の団体は他に予定があったのか、いつの間にか消えておりました。
ランチを頂きながら、妻に「ブルカの女性は珍しいな。」と言ったら、「え?何?」と聞いてきます。
「さっき、イスラム系の団体さんがいたろ。ヒジャブの女性が二人、頭から顔まで覆ったブルカの人が一人居たじゃない。」と言うと、「え。さっきの?ヒジャブの女性は二人いたけど、ブルカの女性なんて居た?」と言うのです。
「あれ?なぁ、さっきの外国の人、女の人三人居たよな。」と、子供達に聞くと、次男と三男は、
「三人いた。一人だけ覆面してた。」と言うのですが、長男と妻は「二人だけだった。覆面している人等居なかった。」と言い切ります。
なんだか釈然とはしなかったのですが、ランチも終わり、店を出ました。釣り堀を渡って駐車場に向かおうと家族で歩いておりますと、次男が私の腕を引っ張ります。
「ん?なんだ?」と聞きますと、
「お父さん。あの覆面の人、まだあそこに居る。」と言って指を指します。その先を見ますと、バックの山の景色に溶け込む様に違和感がなく、小豆色のブルカの女性が、釣り堀の脇に一人立ちすくんでいます。人を指さすのは失礼なので、
「あー居たな。指さしちゃかダメ。早く車に乗って。」と、子供達を追い立てて、自分も運転席に乗り、出発前に、チラッとブルカの女性の方を見て見ました。すると、顔が見えないのに、何故かこちらを振り向いて、私達の方をじっと見ている!と感じました。
(子供が指をさしたから、こちらを見ているのかな。挨拶しておくか。)と、出発と同時に、ブルカの女性に軽く会釈をしましたら、ブルカの女性の頭の部分も軽く動いた様でした。
その日はキャンプ場に借りたログハウスに泊まり、恒例のバーベキューをやり、花火をやっておりますと、三男が
「お父さん。昼間の人、同じキャンプ場に泊まってる。」と言うのです。
「ん?昼間の人って?」
「あの覆面の人。花火やってた時、バーベキューやった所に立ってた。」え?
「まあ、近くだし、他のログハウスかテントに泊まっているのかもな。」と言っておきましたが、それは子供を怖がらせない為でした。今回のキャンプでログハウスの鍵を受け取りに管理人さんの所に行った時に、
「今日は珍しく、予約にキャンセルがありまして、そちら一件だけですから、多少騒いでも、苦情はないですよ。よかったですね。」と言われ、
「近くに民家とかないんですか?」と聞きましたら、
「あるけど2キロ以上離れてます。私も夜は帰るので、何かあったら、各部屋にある非常連絡用の電話でお知らせください。」と、言われていたからです。子供達と22時頃まで騒ぎ、やっと子供達が寝て、妻と酒を飲み始めましたが、妻が
「疲れたから先に寝るね。」と言って寝室に先に入りました。私も酒を飲むのをやめて、さて寝るか。と思い、最後にバーベキューの竈門と花火の残火等がないか確かめに、外に出ました。
湿度を帯びて植物の匂いが色々と混じった空気が、夏の山を感じさせます。バーベキュー場を一通り見て、花火をやった広場を確認して、ログハウスに戻ろうとした所、ログハウスの子供達が寝ている窓際に、何かが居ます。人?まさか熊?と思い、思わずバーベキューで使った火かき棒を握り締めました。
そろそろと近づいて行きますと、いきなりそれは立ち上がってこちらを見ました。いや、正確には見た様な気がしました。何故なら顔が見えないのです。ブルカを頭から被った女の様でした。誘蛾灯の光と、バーベキュー場にある小さな常夜灯の光しかなかったので、持って来た懐中電灯で照らして見ますと、それはその姿のまま、さささっと移動して暗闇の中に消えてしまいました。
(うーむ。非常に怖いけど、ここは私しか居ないんだよな。)と思いつつ、気合いを入れて、
「誰だ!」と怒鳴って、奴が居た場所まで来ると、子供達が寝ているのが窓から見えます。「やばい奴かな。これは。妻を起こすべきか。」と考えました。
(もし熊とかなら、大変な事になる。)と思い、部屋に戻り、寝入りばなの妻を起こしました。事情を話すと、妻も、
「私、管理人さんに電話するから、戸締りとか確認してくれる?」と言って緊急電話をかけに行きました。あの頃は携帯電話はまだなく、有っても圏外だったでしょう。私は戸締りを確認しながら、兎に角武器になるものはないかと部屋中探しました。調理用の包丁2本。掃除用のモップ。火かき棒位。妻が戻ってきて、
「ダメ。あの緊急電話。何も繋がらない。」と、言います。
「ケーブルでも外れたのか。ちょっと見てみるか。」と、確認しましたが、ケーブルや電源には異常はないのに、受話器を上げても何の音もしません。
「ダメだなこりゃ。もし熊なら子供ら起こして車に行こう。飲酒運転でも緊急避難にはなるだろ。」等と話しておりました。車に行けば整備用の道具もありますが、今部屋を開けて出ない方が良い。と夫婦で話し、しばらく様子をみておりました。
すると、子供部屋で音がします。そろそろと子供部屋に行きますと、窓に何かが居ます。こちらも隠れて様子をみていると、熊ではありません。やはりブルカを着た女らしき物が窓に顔を当てて子供を覗いている様です。
突然妻が子供の部屋の電気をつけました。で、窓は無視して子供達を急に起こしました。
「みんな起きて!みんな起きて!」何が起きたのか分からない子供達はボーっとしていたりキョトンとしています。
「今日は、折角だから屋根裏部屋に行って、お母さんと寝ましょう。」というと、子供達は大喜びです。
「さ、皆。自分の布団持って。屋根部屋に敷き直しましょう。」子供達は、わやわや騒ぎながら、屋根裏部屋に行って、またしばらく騒ぎ始めました。
「貴方は、何か見えたんでしょ。私は何も見えなかったけど。でも危険な感じがする。私達は屋根裏部屋に朝までいるね。ごめんね。明日の帰りの運転は、私がやるから、お願いね。」と言った妻は、包丁の小さい方を持って屋根裏部屋に上がって行きました。私はとりあえず包丁をガムテープでモップの先につけて、薙刀の様な物を作ってみましたが、テープでは接続が弱くてダメだなあ。とか、火かき棒の先端に消毒液とか付けたら、毒矢にならないかな。とか、素人のたわいもない武器製造方法を考えたり、そもそも人間なら話せるんじゃないか。人間だったら、いきなり武器ってのもなあ。等々、ずっと堂々巡りの思考をしておりました。
2時間位たったでしょうか。午前2時30分位です。もう一度見回ってやるか。と、包丁を持ち、玄関をこっそり開け、直ぐに外から施錠し、足を忍ばせログハウスの周りをゆっくり見て周りますと、やはり子供が寝ていた部屋の窓の下に、ブルカの女らしき物が部屋を覗いています。
なんだか頭に来ました。折角のキャンプにこんな事で徹夜させやがって!と思い、後からそろっと近づいて、
「こら!何してる!」と、怒鳴りつけましたら、くるっとこちらをみました。そして其奴は一瞬でログハウスの屋根位に巨大になったかと思った瞬間、物凄い力で私は後ろに弾き飛ばされました。
ふと気がつくと、朝日が眩しく当たっています。あの後、私は外の草の上で、気を失っていた様です。背中が痛い。と感じ、なんとか上半身を起こし、自分の身体を確認しました。背中の痛かった部分には、地面に半分埋まった小石がありました。
泥だらけ。身体のあちこち虫に刺されておりました。なんとか立ち上がって、ログハウスに戻り玄関を開けますと、妻が屋根裏部屋から降りて来ました。時計をみると午前4時半。
「どうしたの?大丈夫?」と聞いてきたので、昨夜起こった事を話し、妻が風呂を入れてくれたので、とりあえず入浴し、打撲した所に湿布等を貼って貰って、
「何故あそこに変な奴が居たのかな。見に行ってみるか。」と、二人で行ってみました。ログハウスをぐるりと回ってみますと、子供が寝ていた部屋の窓際だけビショビショに濡れています。よく見ると、その水に混じって、魚の鱗が何枚か落ちていました。
そして昨夜の記憶をじっくりと考えました。
(あれが着ていたのはブルカではない。ブルカなら外を見る為の目出しの部分がある。彼奴はどこから見てものっぺらぼうの様に何もなかったじゃないか。)という事を思い出したのでした。
管理人さんには、緊急電話が壊れていた事と、昨夜の事を話しましたが、この辺の山では、熊も猪も居た記録はないので、こういうキャンプ場が出来たとの事。電話の件は申し訳なかったと詫びておりました。
妻の運転で下山し、帰りの車の中で、一体何だったのか考えているうちに、爆睡したのでした。 了
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