第7話 廃工場の一男君

 高度経済成長期が止まったのは、私が小学校3、4年生位まででした。それまでは、栃木県内にも沢山の大工場と、それに伴って、あちこちに下請けの町工場が稼働しておりましたが、昭和46、47年頃から景気は傾きはじめ、閉鎖した町工場が、町のあちこちに出てきてしまいました。

 小学校も低学年の頃は、工場勤務の子供達が沢山転校してきたのですが、それも止まり、逆に転出していく子供達が出て来ました。

 高度成長期に、県道や市道、町道迄舗装する為に集まっていた作業員もどんどん町から出て行って、町の衰退が始まった頃の事です。

 仕事が無くなって、他の地域に皆、移動出来る訳ではありません。中には、この地で仕事を失う家族もありました。町営の住宅や雇用促進住宅に居住しているならまだしも、工事の時に臨時で建てられたプレハブ小屋や、取り壊し目的で一時建設会社が借り受けていた、相当古い借家に、そのまま住み続けている家族も一部おりました。

 

 一家の大黒柱が、昼間から酔っ払って仕事にならないとか、何かの病で寝たきり(不思議とパチンコ店には行けたりした様ですが。)の様な状態で、妻である筈の同居人も、育児放棄をして、ただブラブラしていて、子供も劣悪な状態になってきます。見かねたご近所の方々が、古着等をあげましても、洗濯をしないので、汚れたら、廃工場に勝手に捨てていたり、夫婦で昼間から酔っ払って、町の人とトラブルを起こしたり。

 おそらく現代では、児童相談所案件になるのでしょうが、当時はその辺も機能していたのかいないのか分からない状態でした。

 

 でも、子供達だけなら友達になります。田舎ですが、工場の進出や工事関連の人々の出入が激しかった為、元からの住民が、田舎特有の排他的な所が無くなっていた事と、元々泥だらけになって遊ぶことが当たり前の田舎の子供ですから、家庭が難しい子供でも、直ぐに友達となり、分け隔てなく遊ぶ仲間となっておりました。

 ただ、そういう難しい家庭の子は、ある日突然いなくなる事も珍しくなく、一家で消えてしまいます。そしてまた、その後に知らない家族が住みつき、また新しい友達が出来る事も年に数回はありました。

 そんな私達がよく遊んだのは、森に行って遊ぶか、何かを探検する事でした。


 私の実家から徒歩10分以内に、廃工場が二箇所ありました。当然立入禁止になっておりますし、親からも学校からも、「危ないので、絶対に入ってはいけない。」と、キツく言われておりましたが、10歳前後の悪ガキには、やるな!と言われる程、やってみたくなるものです。

 実家に近い廃工場の敷地はブロック塀で囲まれ、現在では見かけませんが、ブロック塀の上にセメントを盛り上げて、割れたガラスの破片が沢山刺さっておりました。多分泥棒避けなのでしょう。今やったら、大変な問題になりそうな危険な塀です。

 裏口はブロック塀の合間に鉄製の引戸がありましたが、錆びついて子供では動かせません。

 正面に回ると、製品を出荷する為に、トラックが4、5台は入れる位の敷地があり、その正面に、小学校の体育館を縦に二つ繋げた位の工場の廃屋が建っておりました。

 窓ガラスは殆ど破られておりましたが、現代の様にスプレーによる落書きは、あの当時はまだありませんでした。工作機械は全てなく、打放しコンクリートの床の上には、歩いただけで舞い上がる程、砂埃が積もり、クレーンか何かが移動していたであろうレールの名残も残っておりました。建物の真ん中に、左右に突き抜けた大きな出入口のシャッターは上からぶら下がって錆びついて止まっており、その他の小さい出入口は、腐った合板の扉の蝶番が錆びつき、開けっぱなしで動かなくなっておりました。

 それでも中はかなり広いので、雨の日等には、友達とこっそり忍び込み、中で遊んでおりました。

 工場棟の奥は、工場棟を三分割した様な規模の倉庫が工場棟と並行して建っておりましたが、こちらは、それぞれに1、2、3と、鉄製の引戸に書いてあり、全く開かない状態でした。

 その倉庫の3番目の棟と塀の間に通路があり、塀に沿って、恐らく動力室というのか、電力室というのかは分かりませんが、180センチ位ある配電盤が、メーター等も付いたまま、幾つも並んでおりました。その電力室からは、太い電線が、建物の外で断ち切られて、50センチ位、屋根の方からぶら下がっておりました。

 その通路を抜けますと、おそらく事務所棟だったのでしょう。一階は、雨で腐ってしまった応接セットや、多分食堂だったのか、業務用のキッチンの残骸が残る建物で、中に半分崩れた階段があり、二階に上がると、事務用の椅子が幾つか倒れていて、机などはなく、窓ガラスは全て破れて、何が書いてあるのかも分からなくなっている紙屑が詰まった、錆びたドラム缶等が置いてあり、子供でも無情感を感じたものです。

 そちらの事務所棟に居ると、隣家から見えてしまうので、行く事はほぼありませんでした。

 面白かったのは、電力室の配電盤です。いくつも並んでいたので、みんなでよじ登り、室内のジャングルジムの様に、埃まみれで遊んでおりました。

 

 あの日は、ジャンパーを着ていたので、2月か3月初旬の頃でした。曇天の土曜日だったと思います。当時は、学校も企業や官公庁も土曜日は半日はやっておりました。午前中3時間目迄の授業があり、その後下校して昼食は自宅で食べます。丁度その時間に、テレビでは、子供が主演のホームドラマ等をやっておりました。

 私は、いつものように祖母が作った魚肉ソーセージの炒め物でお昼を済ませ、雨が降って来るから、遊びに行くなという祖母の声が聞こえなかったふりをして、さて、どこに何処に行こうか?誰と遊ぼうか。と考えながら、廃工場に行ってみると、いつも遊んでいる仲間が既に二人、工場棟で何かやっています。

 私も仲間に入って、遊びはじめました。廃工場で遊ぶ時の暗黙のルールは、絶対に大声を出さない事。大きな音を立てない事でした。ご近所の大人に気づかれると、直ぐに追い出されるからです。

 しばらく工場棟で、床に石墨で絵を描いたり、走り幅跳びの様な事をやっておりましたが、飽きて電力室に入り込み、配電盤を、よじ登ったり、足をかけてぶら下がったりしておりますと、電力室の入口に立って、こちらをじっとみている男の子がいます。歳も同じぐらいですが、見た事がない子です。

「君、誰?」と、私が聞きますと、少しモジモジとしながら、

 「〇〇一男。今週引越して来たんだけど、一緒に遊んでいい?」と聞いてきました。

「何年生?」

「4年生。」

「俺達と一緒じゃん。もう転校したの?」「月曜日から転校した学校に行くんだ。」「すげえ。転校前から友達が出来た。新記録じゃね。」などと言いつつ、

「配電盤で鬼ごっこやってんだ。捕まるか地面に降りたら鬼ね。」と言って、埃で真っ黒になりながら、配電盤を次々と渡ったり、何かの機械によじ登ったりして夢中で4人で遊びました。

 後から来た一男君は、身体が柔らかいのか運動神経がよいのか、軽々と機械と機械の間を逃げて行きます。だんだんと疲れてきて、「ちょいタンマ」しようという事になり、皆思い思いの場所で、休憩しました。

「あのさ。一男君はどこから来たの。」

「多分福島。」

「多分って何だよ。分からないのか。」

「俺さ。お父さんと二人だけなんだけど、お父さんの仕事が終わると直ぐに引越しするんで、本当は東京だったんだけど、最後の二週間だけ福島に居たから。でも福島では、期間が短いからって、お父さんが何もやらなかったから、福島の小学校は行かないうちに、栃木に来ちゃった。」

「へー。あちこち行けて良いね。」

「よくないよ。友達出来ても直ぐにさよならになってしまうから。でもね。お父さんが言ってたんだけど、栃木の現場は長くなるから、しばらくは居るんじゃないか。って。だからずっと長く遊べる友達が欲しかったんだ。なってくれる?」私達は、

「俺たちに任せておけ。」とか、

「街の中案内してやるよ。」と、盛り上がっておりました。もう夕暮です。冬は直ぐに暗くなります。

「親に暗くなる前に帰ってこいって言われていたんだ。」と、友人の一人がいうと、全員、

「もう帰るか。」と、なりました。

「一男君ち、どこよ。」と聞いた時に、彼はちょっと変な顔をして、

「今度教えるから。今日はバイバイ。」と言って、配電盤の上から降りて来ませんでしたので、私達3人は、そのまま帰宅しました。次の日曜日は朝から大雨。とても遊びに行ける状態ではありませんでした。そして月曜日。

「今日は転校生が来るんだぞ。」と、三人で得意気に朝から話しておりましたが、全然そんな雰囲気がありません。それよりも、教師達が何故かザワザワしているのは感じました。学校が終わって家に帰る時に、廃工場に行ってみたら、一昨日の一男君来てないかな。と思い、行ってみますとパトカーや沢山の大人が廃工場に集まってます。テレビドラマでみた黄色いテープも廃工場を囲んでおります。どうしたのかな?と思いつつ、家に帰ったら、母に、

「お前、あそこの工場で遊んでないか。」と、怖い顔で聞かれました。凄い圧力に、思わず、

「土曜日遊んだ。」と言ったら、

「ちょっと一緒に来なさい。」と、無理矢理廃工場に連れて行かれました。あの時遊んだ他二人も居ます。一男君だけいないな。と思っておりました。すると二人の警察官が私の所に来て、

「ダメじゃないか。不法の侵入は逮捕されるんだぞ。」と、ちょっと怖い顔で言ってから、ニコッと笑って、

「もう二度と入らないな。」と言われ、思わず泣きそうになりながら、

「はい。もう二度と入りません。」と答えるのが精一杯でした。で、警察官から、

「一昨日は、何処と何処で遊んだ?」と聞いてきます。

「工場棟と電力棟だけです。」

「この三人だけ?」

「いえ、あと、転校生の〇〇一男君が居ました。」と言ったら、警察官が、

「本当に〇〇一男君は居たのか。」と何度も聞かれました。何度聞かれても、同じ答えしかできません。そのうち、

「もう分かりました。また後で聞きに行くかもしれないけど、協力してな。」と、頭を軽く突かれて家に帰りました。帰り、母はずっと黙っています。

 家に入ろうとしたら、祖母が奥から出て来て、念仏を唱えながら私と母の周りに塩を撒いたのです。

 「何、これ。何があったの?」と、そこで初めて大人達の意味不明な行動を聞いてみました。すると、土曜日に私達が騒いだため、私達が帰った翌日に、ご近所から通報があり、子供が入らないようにと、月曜日の朝、警察官が二人、確認に来たとの事でした。

 

 全ての棟をチェックして、半壊している事務棟の二階に行った所、死後1週間以上経過した子供の死体が発見され、子供のポケットから住所と名前と連絡先が書かれたメモが出たため、その住所に警察が行った所、一人でいた父親が酒の勢いで一人息子をぶん殴ったら動かなくなった。飲んでたし、病院なんて連れていった事もないし、死んでたら厄介だと色々探したら、この廃工場があったので、しばらくは誰も来ないだろうと死体を捨てた。見つかる前に他に引っ越すつもりだった。」等と語ったそうです。


その亡くなった子の名前が、〇〇一男君でした。


あれは、幽霊だったのか?全然普通だったよな。と三人でよく話ましたが、何故か三人とも、〇〇一男君の顔は、ぼんやりとして思い出せませんでした。  了

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る