第6話 人身事故
栃木県は、東京から東北地方に抜ける街道上に位置する為、東山道の通り道となり7世紀には、日本三戒壇の一つである薬師寺八幡宮や国分寺や国分尼寺等も建立されました。
後の世で東山道は消滅しましたが、かなり発掘が進み、当時の集落跡等沢山の遺跡の調査が進んでおります。
江戸時代には、それ以前の東山道よりやや西に、五街道では最も距離が長い奥州街道に変わってきます。東海道が495.5キロであったのに対し、奥州街道は900キロもありました。
奥州街道は途中宇都宮で日光に向かう日光街道と分岐します。日光街道は、江戸五街道では、最も距離が短かく130キロしかないのですが、参勤交代で通過した大名41家。東海道に次ぐ第二位の繁栄ぶりでした。
明治の世となり、交通網も整備され、奥州街道は国道4号線となり、栃木県のほぼ中央を南北に貫いております。
東北自動車道や、その後に出来た新4号線が出来る迄は、東京から東北に抜けるには、この4号線を抜けるか、茨城県を経由して海沿いに行くしか直行の道はなく、大変混雑しておりました。
宇都宮市の手間、小山市との中間辺りが、日本橋からほぼ100キロ。朝東京を出発して、丁度腹が減る頃です。私が幼い頃、昭和40年代位には、その辺りにドライブインと呼ばれるドライバー相手の広い駐車場を持った飲食店や安価なホテル等が栄えておりました。
道の駅もコンビニも無い時代でしたので、ドライバーさんは大変だったでしょう。
鉄道も東北本線が上野から国道4号線とほぼ並行に走り、やはり宇都宮辺りで乗客は空腹になるのでしょう。日本最初の駅弁が売られたのが宇都宮駅であった事からも、その時代の時間と距離が想像出来ます。
その時代は、地方道も舗装化が進み、工業団地も次々とできて、沢山の労働者の方々が、色々な地方から集まって来られました。
田圃の中に雇用促進住宅や大工場の社宅が出来たり、プレハブで出来た簡易な住居等も次々と出来ました。
転校生も増え、田舎の小中学校は、クラスも増えて行きました。元々、飲食店等も少なかったのですが、沢山の労働者の方々が飲める大衆酒場やスナック等が多数開業したりで、現在とは逆で、どんどん田舎が賑やかになって行った時代でした。
私の実家は、何もない住宅地のはずれにあったのですが、実家の数十メートル先にも、大衆酒場がオープンし、急に毎晩賑やかになりました。酒場ですから、時には酔っ払いが道路に出て喧嘩を始めたり、大声で歌い出したりと、毎晩お祭り騒ぎとなりましたが、そうなると、やはり事件、事故は起きるものなんでしょう。
実家の北側は二車線の直線道路が通っていて、実家から数件先の道の向かい側に大衆酒場がありました。
あれは私が小学校の4年生だったでしょうか。夏休みの夜でした。小雨が降っていました。エアコン等はまだ一般家庭には、ほとんどない時代で、物凄く蒸暑い夜でした。時間は21時位だったでしょうか。突然、ドカーン!と何かが家の前で爆発した様な音がしました。家族全員で外に出ました。ご近所中が集まって来ました。道路に誰か倒れています。
霧の様な雨の中、凄まじい酒の臭いと、生臭い臭いが、倒れている人の状況を想像させます。
近づこうとしたら、祖父が、「子供は見るな!早く110番と119番だ!」と怒鳴られました。
叱られても見たい。と、大人達に隠れてこっそり見ますと、建設作業員風のおじさんが、うつ伏せに倒れています。
夜で、道も濡れていたので、最初は分かりませんでしたが、よく見ると頭の辺りから相当な血液が出ていて、その血液による水溜りに顔をつけている様な状態で、ズズッ、ズズッという音だけがします。
そして凄まじい酒の臭いと生臭い臭い。道路の先の方を見ますと、ハザードを点灯させた車が、50メートル位先に止まっています。
救急車は、おそらく5分位で来ました。ほぼ同時にパトカーもやって来ました。その時私達子供は、皆家に返されていました。
翌朝、親に聞いた所、どうやら家の近くの大衆酒場で飲んだどこかの作業員が、酔っ払って道路に出た所を、時速100キロ超えて来た車に跳ね飛ばされ、数十メートル飛んで我が家の近くに落ちたらしいとの事。引いた車は、若者が2台ならんで、直線道路で、ゼロヨンレースの真似事を始め、加速した所に被害者が出て来てしまったとの事。直ぐに近くの総合病院に運んだけど、ほぼ即死であった事等の話を聞きました。
それから数日後、学校からの帰りに、手錠をかけられた若い男が、事故のあった道路で何かしているのを見かけました。多分現場検証というものだったのでしょう。
ただ、お亡くなりになった方が、何処の誰なのか。何処に住んでいて、何処から来た人なのか全く分からなかったそうです。多分何処かの工事現場に来ていた日雇の労働者であろうと。契約が切れてしまえば、雇い主も探さないし、労働者仲間に親しい人がいなければ、本人が身分が判る物を持っていないと、中々身元を調べるのは難しいそうだ。と、祖父がお向かいの家のお爺さんと話していたのを、子供ながら聞いていて、可哀想だなあ。そんな人がいるのか。と思ったものです。
それから数日後、また雨模様の夜でした。時間も前回の事故と同じ21時頃でしょうか。 また、ドッカーン!と、大きな衝撃音が響きました。なんと、我が家の道路に面した塀に車が激突し、塀を破壊して、家ギリギリの所まで突っ込んで来たのです。我が家には幸い、そこに1トン近くの大きな庭石があった為、突っ込んで来た車は庭石でフロント部分が完全に破壊されておりましたが、庭石が動く事もなく、家は無事でした。
また近所中が集まり、大騒ぎとなりました。まだ車にエアバック等はなかった時代です。頭から血を流しながら運転手が降りてきて、しきりに祖父母や両親にに詫びを入れていました。50代とみられる男性で、夏用の開襟シャツにグレーのスラックスをはいた、小太りで、会社員風の人でした。
救急車とパトカーがやって来て、運転手は運ばれて行きました。
しかし不思議な事に、我が家は直線の道の脇にあり、カーブもなければ、大きな交差点もありません。あるのは、我が家と他数件の家に入る為の小さな路地。普通に運転していて、ぶつかる様な場所ではないのです。
しかも、また、その夜の空気が酒と血が混じった生臭い臭いが満ちて、また、ズズッ、ズズッという音が道路から聞こえておりました。
祖父母や両親、ご近所の大人達は、皆、「あの運転手は酔っ払い運転だろう。」と話していました。翌日、警察官と事故を起こした人の家族の方が、事故の状況の説明や、我が家への謝罪に訪れました。その話によると、飲酒運転ではなかった事。霧雨で見えにくかった時に、我が家の近くで道路に人が倒れている様に見えて、ハンドルを切り損なった事。スピードを出し過ぎていたとの事でしたが、道路に倒れていた人等おらず、野良犬野良猫でも見たのか勘違いだろう。という事になったそうです。
その後、事故を起こした側の弁償で塀を業者が直し、やがて秋となりました。日没も早くなり、夜も過ごしやすくなって来た頃です。
秋は晴天の日は気持ち良いのですが、一度雨が降ると、長雨になる事があり、二日雨が続いて、鬱陶しい夜でした。
夕方に雨は上がったのですが、湿度が高く、じっとりとした夜の空気で、窓も開けず、家族でテレビを見ておりましたら、台所から戻ってきた祖母が「今夜辺り気をつけた方がいいよ。また、外が生臭い酒混じりの匂いがしている。」と言うのです。祖父も両親も、「また婆ちゃんの霊感か。」等とからかっていた、丁度その時です。
また、ドッカーン!と衝突音。「おい!嘘だろ!」と、祖父と父が先頭になって家を飛び出しました。
全く同じ。直したばかりの我が家の塀が、また粉々に壊れ、大きな庭石に車のフロント部分が乗り上げていました。今度は、壊れた車の部品なのか、何か大量に飛び散り、我が家の台所の窓ガラスも割れ、キッチンドアにも、何か刺さっておりました。祖母がキッチンにもう少し長くいたら、巻き込まれる可能性があるほどの事故です。
今度は、運転手は若い男性で、今では見かけませんが前輪一輪で後ろがトラックになっている、オート三輪と呼ばれた車で突っ込んで来たのです。前が一輪なのでおそらく軽かったのか、完全に運転席が潰れ、沢山散らばった部品は潰れた運転席の部品の様です。
祖母の言っていた通り、酒混じりの生臭い臭いが充満し、また、道路から、ズズッ、ズズッと言う音が聞こえてきます。運転手は救急車で運ばれましたが、死亡確認だけだったようです。
その後、我が家は塀を直す時に、祖父母の判断で、事故が起きた北東の角に、交通安全祈願の観音像を祭り、無事故を祈りました。
その御利益かどうかは分かりませんが、その後、事故が起きる事は無くなったのですが、初めて我が家を訪れた方は、その観音像を見て、ご家族でどなたか御不幸でもございましたか?と聞かれる事も度々ありました。
あれから半世紀。実家はそのまま残っておりますが、幸い事故は起きていない様です。ただ、私は実家を離れた今でも、時々雨の夜や蒸し暑い夜に、あの匂いを空気の中に感じたり、夜道を歩いていて、ズズッ、ズズッという音を聞く事が稀にあります。すると必ず数分後には、救急車が走っていく音を聞くようになっているのです。 了
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