第5話 ダムの子
仕事で、栃木県の西部を担当していた時の事です。
栃木県というのは、関東一都六県で最も面積が広い県ですが、同じ北関東の茨城県や群馬県と異なり、人口が県都宇都宮市に集中していて、第二の人口を持つ小山市でも16万、第三の栃木市でも15万に対し、宇都宮市だけが51万と言う極端なバランスになっております。
宇都宮市は県の東西南北どちらから行ってもほぼ中央に位置し、そこを中心に、県北、県西、県南、県西と区分され、県南の小山市から群馬県の高崎に至る一部を、両毛地区と読んでいます。
人口の偏りが大きいため、県内に13ある市でも、人口が10万人を超える市は6市のみ。面積が県全体の22%を占める日光市でも、7万人から8万人弱という人口です。
県の南部は関東平野が広がり、東京まで各駅停車でも1時間半程度で、東京駅、新宿駅、渋谷駅、池袋駅、上野駅、品川駅、横浜駅、大宮駅等、ほぼ始発ですので座席に座ったまま、乗り換えなしに直通で通勤通学出来る為、東京のベッドタウン化しております。通勤通学以外でも、買い物やレジャーも東京方面に行く人が多いので、あまり宇都宮市に私用で出かける方が少ないのが現状です。
県西の足利市まで行きますと、買い物は群馬県の高崎か前橋に行く方が多く、海のレジャーも、ほとんどの栃木県民は茨城県か千葉県に行くのですが、県西の方々は、関越を通って日本海側に行く方が多い様です。
逆に県北の方は、殆どが山間部となり、日光、奥日光温泉、那須高原、鬼怒川温泉、奥鬼怒温泉郷、塩原温泉、板室温泉等々多くの観光地となっており、日光の社寺は、古都奈良県の社寺が世界遺産に登録された翌年、平成11年に、日本では10番目の世界遺産に認定されました。国内外から年間季節を問わず沢山のお客様が訪れる国内有数の避暑地にもなっております。
また、北西部や西部はダムが多く、東京電力の水力発電等があり、その水源地周辺の自然環境の保護として、栃木県と群馬県と福島県、新潟県をまたがって環境省と東京電力等が協力して保護をしている地域の一つが、歌にもなった尾瀬国立公園です。
私は、丁度日光が世界遺産になった当時、仕事で県の西部を担当しておりました。西部の某市と打合せ、関連する施設の確認をする為、西北部に社用車で向かいました。
暦上は夏が終わって秋に向かう筈の9月中旬位でしたでしょうか。残暑が厳しく、気温は真夏と変わらず34度位はあったでしょう。
車のエアコンを全開にすると寒いのに、日が当たる腕や、椅子にもたれかかっている背中や尻はどうにも暑い。打ち合わせでお借りした資料と地図を元に山道を進みます。
13時過ぎなのに、誰にもすれ違う事のない、センターラインのない二車線のアスファルト道路。左側は時々数件集まっている集落、寺や小さな社、火の見櫓や、遥か以前に他界された男性歌手が殺虫剤を持っている看板のある、元商店らしき廃屋等々。
右手はどこまでも刈入れ直前の黄色く枯れた田圃の稲穂。道はゆっくりと大きなS字で遥か先まで続いておりました。なんとのんびりとした所なのだろう。等と思いつつ、時々道の脇に安置されている、交通安全祈願の地蔵像などを見る度、気を引き締めて運転をしておりました。
やがて目的地につき、仕事に専念して、さて帰るか。と顔をあげますと、その目的地の施設の前に、お地蔵様と案内表示板があり、✖️✖️ダム入口。3キロ。と書いてあります。時計をみると15時。西日になって来ましたが、まだ時間も早い。折角だし、ダムを見ておくってのも、仕事に関係するかもしれないな。と、施設を出て、山道を抜けると、直ぐに左手に綺麗なダム湖が見えてきました。ダムの脇にある駐車場へ車をとめ、少し夕方、赤くなり始めた光の中、ダムの端まで歩いてみるかと、左手に広がるダム湖と右手にダムの壁と遥か下に見える景色を見ながら、「人間は凄い物を作るものだなあ。」等と感動しながら歩いておりました。
ほぼ、ダムの3分1位進んだ時でしょうか。急激な頭痛が襲ってきたのです。子供の頃感じた、嫌な頭痛です。原因は分からないのですが子供の頃から、俗っぽい言い方をすれば、「怪奇体験」とでも言うのでしょうか。そういう物に遭遇すると、まるでアレルギー反応が出る体質の者がアレルゲンに触れたような、アナフィラキシーショックの様な事が起きるのです。ただ、何がアレルゲンなのか、検査のしようもありませんし、私も時々起きる体調不良であると割り切っておりました。秋の始まりで、天まで抜ける様な青空で、やや西日ですが、ガンガンとパワーを太陽は送って来ていますが、私の周りの空気は一変して物凄く重くなり、明るい景色なのに、暗い印象に変わり、ややオレンジ色に変わってきた西日に、何かドス黒い物が混じり始めた様に見えました。脈が乱れ、呼吸も辛くなり、凄まじい悪寒。
周りには誰も居ません。必死に車まで戻り、椅子を倒して、目を瞑り、しばらく深呼吸をしておりました。少し気分が戻り、背もたれをおこし、ハンドルを両手でかかえ、何気にダムの方を見てみました。すると、ダムの上から湖面へ。また湖面からダムへ。何か蚊遣りの様な、煙のような、はっきりとしない、7、80センチ位のモヤモヤとした物が上がってきたと思えば、また下に落ち、また上がってきては下に落ちることを繰り返している様に見えました。そのうち、そのモヤモヤとした物から、筆舌に尽くし難い悲しみと寂しさと、必死に助けを求める幼児の泣き声が聞こえてきた様に感じました。兎に角この場を離れなくては。と、必死で車を出し、ダムを離れるとだんだんと気分が回復し、無事に会社に戻る事が出来ました。
その日は、気分が完全に回復する事はなく、定時で帰宅し、早々に寝入ってしまいました。
翌日出社し、始業前に、地元から来ているパートさんに、昨日のダムについて聞いてみました。「え、あのダムですか。ご存知ないですか。数年前の事件。」
「何があったのですか?」
「お隣の群馬県で、警察に追われていた男が、途中でエンジンがかかってた自動車を盗んで、ダムに逃げたんです。でもその自動車に4歳と2歳にならない子が後ろで寝ているのに気づかなくて、ダムで2人に気づいて2人をダムに落とした事件があったんですよ。上のお姉ちゃんは助かったんだけど、可哀想に下の男の子が溺死してしまったんです。今思い出しても涙が出て来る。」と。
そうだったのか。あの辛さは、私が子供の頃感じたのと違って、助けて!っと言う幼い子の声だったのか。いや、そんな事はない。そういう事を簡単に断定出来る訳ないじゃないか。と思いつつも、1歳数ヶ月で無念にも旅立ってしまった子が不憫でならず、次の休日にダムに向かいました。
やはりダム迄は近づく勇気が出ない為、ダム湖へ向かう道の入口にあったお地蔵様に献花して、不憫な子の冥福を祈ったのでした。 了
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