第3話 隧道の女

 私の生まれ育った栃木県は、有名な川を3つあげますと、那須町から県の北東部を流れる那珂川。奥日光から県の中央を抜けて利根川に合流していく鬼怒川。群馬県と栃木県の界から埼玉県境を西南部から利根川に流れる渡瀬川があります。その3つの河川からは関東平野を網目の様に、沢山の支流が流れています。伝説や伝奇を残す川もあり、また、地上に出たり地下に流れたりと、水が大変豊かな県なのです。

 地下を流れる川の一つは、私の産まれ育った町にもありました。実家の近くに病院があり、病院の脇から地上に出ます。小さな小川となり、病院の南側にあった牧場の敷地を流れ、町を北から南に抜けて隣村との堺にある森林の中で、また地下に入り、森から1キロ位離れた田圃の脇から泉の様に地上に現れ、また、小川となって流れて行きます。

 私は、その小川を渡り、小学校へ通っていたのでした。


 あれは小学校5年生の時でした。夏休みも間近となり、仲の良い友人の大豆生田(おおまみゅうだ)君と、夏休みの計画を相談しておりました。 

「夏休みは、何か凄い事しようぜ。」と、冒険大好き大豆生田君が私を誘います。私も冒険が大好きだったので、「じゃ、さ。マメ、自転車で何処か行く?」(オオマミュウダは長いので、同級生や教師も、マメとか、オオマメと呼んでいました。)

「いやそれはさ。疲れるだけだよ。そんなに冒険っぽい所もないし。それよりやってみたい事があるんだ。ただ危険だし、見つかったら相当怒られるかもしれないけど。」

「何?前に話ていた、アレやる気?」

マメは、ニヤリ。と笑って、「やろうぜ。ちゃんと準備してさ。」と言いました。

 アレ。とは、隧道を探検する事でした。隧道とは、小学校に来る前に地上に出て来る小川が、病院の脇から地下に入って、町の地下を通っているであろう小川の事で、出口は直径2メートル位のコンクリート製ヒューム菅になっております。どこまで地下を通っているのか、どこから流れてくるのか、子供達には謎でした。

 ただ、当然地下の川に入る事は大変危険で、昔、中に入った子供が、急な大雨で増水して溺死体となって、外に流されてきた事件があったと聞かされており、入口は金網で塞がれておりました。


 マメが言いました。「俺さ。隧道の出口に家が近いだろ。で、前に、宿題の絵を書いてた時に思いついてさ。風呂に水たっぷりいれて、風呂水が緑色になる入浴剤あるじゃん。あれ、家族が居ない時に風呂水一杯にして、一缶全部いれたら、すげー緑の濃いのになってさ。で、風呂の栓を抜いて、隧道の出口で待ってたんだけど、緑色の水が出て来なかったんだよ。」

「だから?」

「だからさ。あれは俺んちの下水じゃないって事。」

「だから?」

「頭悪いなお前。いいか。この町は上下水道局があるんだ。婆ちゃんが、上下水道代が高いと言っていたから、下水も町の下水道を使っている筈だけど、風呂水が隧道に流れて来なかったって事は、隧道は下水道じゃないって事じゃね。」

と、正しいのか間違いなのかもよくわからないけど、何となく説得力のある推理に同意しました。

「で、何だよ?」

「わかんねーかな。下水じゃないって事は、そんなに汚くないから、入っても大丈夫なんじゃないか?」

 今思うと、子供の強引な無知は恐ろしい物で、「なる程。じゃ、危なくないか。」と、同意した私も、かなりの愚か者でした。


 そして、念願の夏休みがやって来ました。


学校からは、家族の人と一緒か、きちんとした用事が無ければ、朝のラジオ体操から帰ったら、午前10時までは、遊びに出かけてはいけない。という、謎の決まりをつけられましたが、そんな決まりを作らなくても、テレビは夏休み子供スペシャルで、古いアメリカのアニメ、怪獣王ターガンとか、キングコング、親指トム、スーパースリー等をやっておりましたし、最後はジャイアントロボの再放送まで見ると10時30分になってしまいます。

 お昼ごはんに帰らないと、婆ちゃんに叱られるので、隧道探検の決行は13時という事になりました。マメの家で探検の装備を確認。懐中電灯2つづつ。高校生の兄貴が持っていた乾電池式のランタンも用意。長靴、虫除けスプレー、軍手。

「こんなんでいいんじゃない?」と、マメに言ったところ、

「いや、武器がない。」と言います。

「なんで武器がいるの?」

「俺、テレビでみたんだ。アメリカの排水管の中にワニがいて、人を襲うの。ワニはいないかもしれないけど、やばい奴が居たら戦わなくちゃ。」

 ちょっと怖くなりましたが、それもそうだ。と思いました。

「でも武器なんて持ってないよ。」

と、言ったら、マメが「俺はこれだ。」と、文房具店で売っていた肥後守と言う鉛筆削り用の小型のナイフを見せました。じゃあ、私はどうしよう。と思っていたら、「お前の武器、これ貸してやるよ。」と、マメの家の道具箱から取り出した金槌を渡してくれました。

「よし。準備万端。行くぞ!」と、マメの入れた気合いで、マメの家の裏側から、急斜面て小川になっている土手を下まで降りると隧道の入口です。入口を閉鎖している塵が沢山ついた金網までやって来ました。下を流れる水は長靴の踵程度に減って、ここ1週間、全く雨が降らず、畑も牧場もスプリンクラーで水を撒いている様な年でした。夏のギラギラとした太陽に晒されて、増水した時に付いたであろう埃と、アオミドロの様な水性の植物がカラカラに干からびて、金網とヒューム管の壁に張り付いておりました。


 マメと二人で、金網に張り付き、力任せに引っ張ると、メリメリ!と、音がして金網が捲れてきます。あ、やばい!と、一度土手の上に上がり、近所に誰も居ない事を確認して、また、土手を滑り降り、金網を力任せに一気に引き剥がすと、あっけなく金網は外れてしまいました。懐中電灯で中を照らしても、ただ奥に光が消えて行くだけで、何も見えません。金網を外した時に舞いがった埃がもうもうとしています。「よし、行くぞ!」と二人で顔を見合わせ、隧道の中に入って行きました。

 蝙蝠とかいるのかな?とも思っておりましたが、それらしき動物もいません。壁にゲジが走り抜けたり、水の上にアメンボの様な物がいるだけでした。どのくらい進んだでしょうか。多分大きく左に曲がっているのでしょう。もう入口からの光も届かない所まで来ていました。でも、懐中電灯の光が暗闇に消えるのではなく、奥の方の壁の様な物に遮られる事に気づいた私達は、とりあえずあそこまで行ってみよう。と、二人でいつのまにか手をつないで、恐々歩いて行きました。

 すると、そこは行き止まりの壁ではなく、Tの字になっている突き当たりでした。左右ともにゆったりとした傾斜で上に上がって行くようでした。「どっちにする?」とマメが聞いて来ました。私は頭の中で、今、地上だとどの辺だろう。と考えておりました。

「多分、左に行ったら病院の下を通っているんじゃないかな。右に行くと小学校の方だね。」

「じゃ右に行こう。学校の下にこんな秘密基地みたいのがあるって分かったら、おもしれーじゃん。」「だな。」と、意見もまとまり、右に進みましたが、右はだんだんと天井が下がり、かなり狭くなってきました。その分、水かさも増え、長靴の中にも水は入ってくるし、屈まないと頭がぶつかる程天井も低くなってきました。

「腰、痛くてもう限界。戻ろうぜ。」

「そうだな。ただUターン出来ないからバックして、さっきの所まで戻るしかないな。」で、二人で、痛い腰を伸ばしながら、やっとT字の所まで戻り、思い切り背伸びをして、「どうする?左行く?」とマメに聞きました。でも、疲れ切ったマメは、もう帰る事を同意している様でした。


 その時です。左側の闇の中に何かが動いたのです。ハッとして、二人同時に懐中電灯を向けたら、一瞬、何だか分かりませんでしたが、よく見ると、だらし無く汚れた浴衣を着て、肋骨が浮き出た胸をはだけ、ボサボサに伸びた髪の毛の長い女の人が、10メートル位先の真っ暗な中に立っていて、眩しそうにする訳でもなく、髪の毛の隙間から覗く血走った様な目で、懐中電灯で照らす私達をじっと見ているのです。え?何?と思った瞬間、その女の人が、「ケタケタケタ!」と大声で笑ったのです。もう後は何が何だか分かりません。走り、転び、頭から水を被り、何とか遠くに出口の光が見えて来た頃には、懐中電灯もランタンも、肥後守も金槌も無くし、びしょびしょの泥だらけとなって外に飛び出しました。それでも恐怖は収まらず、マメの家に飛び込んで、マメの部屋で二人で震えておりました。


「こらー!悪ガキ共!何だこの泥だらけの玄関も廊下も!」マメのお袋さんが、大変な剣幕で部屋に入って来ましたが、泥だらけで、真っ青になって震えている私達を見て、「何してた?」と、聞いてきました。

 あまりに怖かったせいか、二人で素直に全てを話しながら泣き出してしまいました。そこに、農作業を終えたマメのお爺さんが入ってきました。話を聞いたお爺さんは、大変険しい顔になり、「ちょっと出かけてくる。」と言って出て行きました。散々にマメのお袋さんに叱られ、電話で私の家にも連絡され、家から迎えに来たお袋と婆ちゃんにも滅茶苦茶叱られ、とんでもない夏休みの始まりとなってしまったのでした。


 後で聞いたのですが、マメのお爺さんは、定年まで、町の上下水道の技師をしていて、隧道にも詳しかったとの事。あの隧道は右にいくと人が通れないサイズの菅となり、ずっと地中を通って農業用の水路に数キロ先で合流する事。左側は入口の口径のまま地下を数キロ進んで、町の西側を流れる一級河川の支流になるが、普段は関で止められている事。なので、中に人が入っている事はあり得ない事。あの事件の後、直ぐに町の上下水道局と警察に連絡して、中を確認したが、人らしき者はいなかった事。確認後直ぐに、隧道の入口を完全に入れない様に工事をした事等が分かりました。大人達も友達も皆、夏の日の幻か恐怖による幻覚幻聴だろう。と言う事になってしまいました。


 ただ、隧道を塞ぐ工事の時に中を清掃した所、かなり古い浴衣が堆積した塵の中から出てきたそうです。  了

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