750MBの傷痕

チモ吉

750MBの傷痕

 なけなしの貯金を全て使い切ってしまった。

 遥か昔に始めた保険契約も全て解約して、口座から財布の中身まで全て使い切ってしまった。

 それでも買えたのは正規品でなく、スラムで売られているような粗悪品だったというのは、なんというか自分の人生の価値を表しているようだと男は笑った。


 笑うしかなかった。

 また、騙されたのだ。


 自宅に運び込まれた金属の箱。錆びかけた表面をつい最近塗装したとでもいうような風体のそれは、確かに自分が購入したものだ。


 取引相手の連絡先にはもう繋がらない。


 男の自宅は狭い。酷く狭い。小さな部屋が一つと小さなトイレ、そして小さな洗面台。それだけだ。キッチンも風呂もない。部屋の中にあるのも電源用のコンセントが一つと布団が一組だけ。枕元に置かれた茶色の古ぼけた財布がたった一つの窓から差し込む月明かりに照らされている。もっとも、財布の中身は僅かばかりの硬貨が数枚だけだったが。


 その小さな部屋の中央に鎮座する箱は、およそ人一人が入れるくらいの大きさである。箱は重く、男の力では動かすことが出来なかった。


 鍵を差し込んで箱を開く。


 中には、男の期待とは違った、しかし男の想像からはさほど離れていないものが眠るように横たえられていた。


 それは、人間のような機械だった。

 否、この説明ではそれを表すのに適していない。なぜならそれは、確かに人型の体を成してはいたが、もはや人とは似ても似つかぬ姿であったからだ。


 銀の髪、白い肌。その人間らしい様相を保てているのは頭部がやっとであった。かつては美しい外見であったのだろう、しかし今現在においてのそれは、全身の外装が剥げており配線や球体関節を外気へと晒す無残な姿になり果てていた。纏う衣服も汚れたワンピース、擦り切れや破れた痕跡もまた見て取れた。


 はて、と皮肉気に笑みつつ男は首を傾げる。

 売人の謳い文句は最新鋭の家事用オートマタであったはずだ。確かにこれは家事を代行させるためのロボットであり、また女性型であるのも間違ってはいないが、どこをどう見れば最新のものであると受け取ることが出来ようか。数世代、下手をすればそれ以上前の時代から取り残された成れの果てにしか見えない。


 スクラップ、あるいはジャンク。


 ため息を吐いても仕方がないと男はロボットの電源を入れる。一瞬だけ駆動音がした後、静寂。壊れているのかとも思ったが、その心配は杞憂に終わりただの充電切れであった。

 そう、充電切れである。永久エネルギー式の炉が個人所有を認められて久しいこの時代に、なんと純粋な電力で稼働するバッテリー式のオートマタ。一周まわって前衛的とも評されるような埃をかぶったその動力に男が気付くまで数分を要した。売人がこの仕様をあえて認識していたのであれば、嗚呼、彼の教養は存外深かったのかもしれない。


 背部に備え付けられたバッテリータンク、そこから伸びるコードをコンセントへと差し込んだ。


 しばらくして。


『――再起動します、しばらくお待ちください』


 ノイズの酷い音声がロボットから発せられた。

 そして、電子音と排熱用のファンの音だけが部屋に響き、ゆっくりとその目が開かれた。


『……アナタは。あぁ、そういうことですか。私はまた、売られたのですね』


 頭部のみが人間らしいと評したが、そうではなかった。それが体を起こしたことで銀の髪に隠れたその部分が露わとなった。金属骨格と無機質なレンズが覗く、出来の悪い骸骨標本だった。頬の上あたりから鼻、額の生え際にかけて大きく装甲がはげ落ちていた。骨格には陥没した痕跡が見られる。暴力的な行為がそこにあったであろうことは、想像に難くない。


『所有権の変更および支配権譲渡の手続きを行います、OSの初期化並び記憶領域の初期化を行っています――エラーが発生しました』


 比較的高度な人工知能が搭載されているらしいそれは、特に操作を行うことなく自動的にプログラムを起動させ、そしてエラーを吐いた。


『エラーが発生しました。エラーが発生しました。エラーが発生しま――プログラムに深刻なエラーを確認、再起動します』


 電源が落ち、再度それは起動する。


『……はじめまして、マスター。当機は家庭用家事代行アンドロイド、NM6800型です。これより当機の使用方法について簡単に説明します』


 男は再び笑ってしまった。

 その型番は男が生まれる前に新型エネルギー炉の開発の失敗によって倒産した会社のものであった。同型機をいくつもスクラップにして部品の回収を行ってきた彼には番号だけで理解できた。

 これは、本当にそういうものなのだと。


――――


『マスター。おかえりなさい』


『おはようございます、マスター。設定された時刻となりました』


『エラーが発生しました。エラーが発生しました』


『マスター。当機は人間のような食事を摂取する機能は搭載されていません。また当機は家事代行アンドロイドです、正しい用途以外での使用はお控えください』


『食事量の減少を確認。マスター、食事を増やされてはいかがでしょうか』


『マスター。当機は家事代行アンドロイドです。メモリの増設は不要です。また、自己責任における改造は当機の製品サポート対象外になります。ご注意ください』


『バッテリーパックの交換を確認』


『発行元の不明なプログラムを確認しました。このプログラムが変更を加えることを許可しますか』


『マスター。当機の表情エモーション機能は器械的損傷により機能していません』


『体重の減少を確認。医療機関への受診をおすすめします』


『当機は家事代行アンドロイドです。嗜好という判断基準は存在しません』


『マスターの負傷を確認。医療機関を受診することを強く推奨します』


『マスター。金銭の猶予がありません。無駄な出費は控えてください』


『マスター、当機は家事代行アンドロイドです』


『マスター、当機は家事代行アンドロイドです』


『マスター、当機は家事代行アンドロイドです』


『何故、家事を行えない当機を購入したのですか』


『何故、当機を廃棄しないのですか』


『何故』


『何故』


『――何故』


『バッテリーの低下を確認、これより低電力モードに移ります。可能であれば速やかな充電を推奨します』


『電力が不足しています。電力の供給が確認されない場合、一分後強制的にシャットダウンされます』


『シャットダウンしています、そのままお待ちください』


――――


 伽藍洞の部屋。

 特殊清掃員の彼は、狭く小さな部屋でそれを見つける。


 何度も修理された形跡のある、まるで見たことがないほどおんぼろの機械人形。

 今は珍しい、一部のレトロ好き界隈しかその存在を認知していない充電式の家事代行オートマタ。


 彼はそれを回収し、会社に処分の手続きが面倒だから捨ててこいと言われ、スラムの一画のゴミ山へと放り込んだ。

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