第19話 待たせた、ユリア

 私がレーリチ公爵家のふかふかキングサイズベッドに慣れてきた、とある早朝。


 朝日が差し込み、明るくなった室内で、そろそろ起きなくちゃ——目をこすりながら、上体を起こしたちょうどそのときです。


「今! 帰った!」

「ひええ!?」


 問答無用で私の寝室の扉を思いっきり開けて、ヴィンチェンツォが帰ってきました。


 衝撃の帰宅に私はベッドからすっ転び、心臓がバクバクしてゼーハー荒い息を落ち着けようと必死でしたが、やってきた老執事クォーツさんのおかげで、ヴィンチェンツォは私の寝室から即座に追い出されました。


 とりあえず、私はすみやかに服や髪の支度を整えて、外でクォーツさんに説教されているヴィンチェンツォのもとへ向かいます。どうやら、ヴィンチェンツォだけでなく、レーリチ公爵家の人々は公爵邸に勤めて四十年となるクォーツさんには頭が上がらないようです。


 あ、そうです、忘れるところでした。


 私はドレッサーに置いていた、二つの指輪を右手に握りしめます。ヴィンチェンツォとお揃いです。レーリチ公爵家に出入りしている宝飾職人を呼んでもらい、手元に残っていた生活費を使って、お礼代わりと言いますか、ちょっとした婚約指輪を作ってもらったのです。まあ、その……宝飾職人曰く「銀を伸ばして作るより、鉄で作ったほうがあの坊ちゃんは頑丈で喜ぶんじゃないか」とさえ言われましたので、私もそれに賛成してじゃあそれで、となったのですが、おかげで制作費が安く済んでしまいました。廃棄予定の宝石屑を散りばめよう、いやそれなら暇をしている細工職人に好きなように模様を入れさせよう、などなど宝飾職人が色々と提案した結果、鉄と無数の宝石に彩られた、ちょっと幅のある特徴的な指輪が二つできた次第です。


 ちなみに、出来上がった品を見たペネロペの感想はこうです。


「これ、あれよね? もっと作って全部の指にはめて、人を殴るときに使うのでしょう? 頑丈だし宝石が当たると痛そうだし、お兄様にぴったりだわ!」


 はしゃぐペネロペを前に、それは私もつける婚約指輪です、とは言えませんでした。


 だめですかね、この指輪? だめかなぁ……?


 それはさておいて、廊下に出ると、ヴィンチェンツォが直立不動でクォーツさんのお叱りを受けていました。


「いいですか、ヴィンチェンツォ様。淑女の部屋にノックもなしで入るものではなく、ましてや婚約者の寝室に襲撃するなど、言語道断です。少しは紳士としての振る舞いを身につけていただきたい」

「しかしここは家だから」

「だからなんです? ユリア様を淑女扱いしないとおっしゃるのなら、婚約などやめておしまいなさい。ユリア様をお幸せにする気がないのなら、あなたが甲斐性なしであることの証明にしかなりえません」

「悪かった、そこまで言わなくても」

「ではなにを言うべきか、お分かりですね?」

「謝る以外に?」

「女性の寝姿を見ておいてなにも感じなかったと?」

「うん、それより戦勝報告を」

「ヴィンチェンツォ様、時と場所をお考えなさい。そして今一度結婚についてきちんとお教えしなくてはなりませんな」

「待った、できれば簡潔に済ませてほしい!」

「そうおっしゃるから十年ほど前に簡潔に済ませた結果、すっかりお忘れでしょう」

「そういえばそうだったな……」

「いい機会です。王城でマナー講師をなさっているマダム・レティシアに頼みましょう」

「叔母上はやめてくれ、話が長いんだあの人は」

「あなたが理解しないから話が長くなるのですよ、ヴィンチェンツォ様」


 ——なんか、あれですね。ヴィンチェンツォ、聞いていると頭が痛くなってくることばかり言っていますね? クォーツさんの苦労が偲ばれます。


 出会ったときの『野蛮人バルバリカ』公子の凛々しさは鳴りを潜め、すっかりイタズラ小僧になってしまったヴィンチェンツォは、目ざとく扉の隙間から覗き見る私を見つけ、指差します。


「それよりクォーツ、後ろでユリアが待っているから、説教はまた今度にしてくれ」


 そう言うやいなや、ヴィンチェンツォは身を乗り出してやってきて、扉の隙間から私の空いている左手を握り、引っ張り出します。


「わ、わわっ!?」

「待たせた、ユリア。書斎で話をしよう」


 やれやれとため息を吐くクォーツさんが、一歩身を引きます。


「どうぞ、淑女を待たせるものではありませんからな」

「そうだろう、そうだろう。ほら、ユリア、来い!」


 私の左手を握ったまま、ヴィンチェンツォは早足で廊下を進んでいきます。私は一生懸命、そのあとをついていきました。


 右手の指輪をいつ渡そう、と考えているうちに書斎に辿り着いてしまい、私は結局まだ言い出せずに本棚用の踏み台に座って、待ちきれないとばかりに戦勝報告を話しはじめるヴィンチェンツォの言葉に耳を傾けるのです。

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