第18話 大船に乗ってスヤスヤお昼寝

 それから一週間後のことです。


 王都に、なぜか今まで話題にもならなかった旧ペトリ辺境伯領のことが、広く噂されるようになりました。ウェンダロスの侵略、ペトリ辺境伯家の奮闘、国王のペトリ辺境伯家の爵位剥奪、レーリチ公爵家ヴィンチェンツォの出兵。それらがまことしやかに、一般市民の情報源である新聞紙にも載るようになったのです。


 おそらくレーリチ公爵が何かしたのだろうと思いますが、おかげで私もレーリチ公爵に故郷やヴィンチェンツォが今どうなっているかを尋ねなくてよくなったため、大助かりです。


 今日も老執事のクォーツさんが、朝食前に新聞を何紙か持ってきてくれました。


「朝食と新聞をお持ちしました、ユリア様。どうぞこちらへ」

「ありがとうございます! 今日はどうなっているかしら?」


 私は新聞を片手に、食べやすいように毎日サンドイッチを朝食に指定して、もぐもぐしながら読みます。行儀はよくありませんが、早く状況を知りたくてクォーツさんに無理を言ってしまいました。クォーツさん、他の方には内緒でこっそりこうした手配をしてくれて、とても親切です。


「戦況はきわめて優勢、ウェンダロス側はレーリチ公爵軍の参戦を予期していなかったのだろう。その上、ウェンダロスの指揮官はレーリチ公爵軍が優先して叩いたため、総崩れになることも珍しくない、と」


 うーん、こういう自国側を褒め称えて、嬉しくなるような記事を書けば売り上げが上がると考えての情報は、私には必要ありません。知りたいのは、被害が出ていないかどうか、みんなが無事かどうかです。


 目を皿にして読んでみましたが、そういうことは紙面の端っこに少しだけ、被害数をちょろっと書いているだけです。数だけではなにも分かりません、人の命は数字ではないので——結局、今日も私が知りたいことすべては載っていませんでした。


「はあ、なにも分からないよりはずっとましですよね……じっと待たなきゃ」


 朝食を食べ終わるころには、新聞紙はすべて読み終えています。インクの付いた手を洗って、それからペネロペの襲来です。


「お義姉様! いい知らせが届きましてよ!」


 元気いっぱいなペネロペが、お茶とお菓子を運ぶメイドを従えてやってきます。


 すぐさま整えられたお茶会の席で、ペネロペは興奮して語りました。


「お父様に報告に来た人たちから聞き出したの! 旧ペトリ辺境伯家の人々は無事よ! それから領民の被害はまだすべて調査できているわけではないけれど、考えられていたよりもずっと少ないと思われるわ。直接数の多い侵略者と戦うよりも、領民を逃すために旧ペトリ辺境伯軍が全土で避難を優先したおかげね」


 ペネロペからのその知らせは、私が一番待ち望んだものでした。


「よかった……!」


 たまらず漏らした安堵の言葉に、ペネロペは「うん、よかったわ! 本当に!」と相槌を打ってくれました。


「でも、援軍がなかったら本当にウェンダロスに土地を丸ごと取られていたでしょうに、よくこの決断をなさったものね。頭の悪い指揮官はすぐ戦いたがるから使えない、ってお兄様が言っていた意味が分かるわ」


 ペネロペのその言葉は、私にとっては父や兄たちに対する最大級の賛辞です。父や兄たちは勝てるかどうかも分からない敵にぶつかるより、余力を残して領民を避難させ、おそらく熟知している山がちの土地を利用してうまくしのいでいたのでしょう。もしかすると、カレンド王国が援軍を出してくれる、と希望を持っていたのかもしれません。


 もし私がここに辿り着かず、レーリチ公爵家が出兵してくれなかったら——本当に、ペトリ辺境伯家も領地も領民も、その土地から、あるいはこの世から消え失せていたのです。考えるだけで恐ろしい結末です。


 ああ、それと、とペネロペがもう一つ、知らせを口にします。


「一週間もすれば、お兄様は戻ってくると思うわ。お父様が報告に帰ってくるよう手紙を出したそうだから、そこからが王宮、王城の貴族たちとの戦いになるでしょうね。旧ペトリ辺境伯領のレーリチ公爵領化、もうお父様は各所で根回しをしてらっしゃると思うけど、なかなか骨が折れると思うわ。お兄様ったら気軽に言うけれど、こういうところ丸投げなのよね!」


 ペネロペはぷんすかしつつも、手元ではガラスのティーカップに砂糖たっぷりのミルクティーを作っていました。毎日嗜好の変わるペネロペのお茶の調整は、メイドには任せられないのだとか。


 それはそうと。


「ねえお義姉様、お兄様とは結婚するのよね?」


 ペネロペが心配そうに尋ねてきました。


 私は、素直に「はい」とは言えません。


「どうなのでしょう」

「え!? まだ決めていないの!?」

「いえ、そういうわけではなくて……望まれればもちろん承諾しますけれど、私のような平民となった娘が公爵家の公子様と結婚するなんて、前例がないでしょうから、どうするのがいいのかと思って」


 どうにかはなるでしょうが、さてどうするのか。そういう事務的な、あるいは貴族の権威に関わる事柄となると、私はまったくと言っていいほどなにもできず、完全にノータッチです。ヴィンチェンツォとレーリチ公爵家に任せるしかなく、むしろ私の意思を表さないほうが都合がいいのではないか、と思うほどです。


 そこはペネロペもすぐに察してくれて、フォローしてくれました。


「うーん、まあ、懸念は分かるわ。でも大丈夫、お兄様、そういうことまったく気にしないし、なんなら自分も平民になるって言い出しかねないから」

「それはレーリチ公爵家にとって多大な損失では!?」

「そうね! 上手くレーリチ公爵家のたくさん持つ爵位の一つをもらって独立する、くらいが落としどころじゃないかしら。だから、お義姉様は気になさらなくていいの、なんとかなるわ! 大船に乗ってスヤスヤお昼寝していていいのよ!」


 テンション高めなペネロペの言葉を信じて、私は——大事な日を待ちます。


 ヴィンチェンツォが帰ってくる日、結婚をどうするかを決める日です。あ、お礼の品を用意しないと、なにがいいでしょう。

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