空の果てには

功琉偉 つばさ

空の果てには

『空の果てには何があるんだろう。』

僕は何回かそんなことを考えた事がある。

もちろん誰かに伝えるわけでもなく一人で、だ。


そんなことは置いておき、そう考えたときにに思い浮かぶ節が2つある。

それは虹と水平線だ。


<虹について>

『虹の麓には宝箱がある』

なんて昔話を子供の頃に聞いたことがある。


それはアイルランドの昔話で、レプラコーンという妖精がは虹のふもとに壺に金貨をためこんでおり、レプラコーンに出会った人は、その金貨で大金持ちになれるといわれている。

それを聞いた僕は虹が出たときに思いっきり虹に向かって走った。

小さい体だったのであまり進むことはできず、すぐ疲れて諦めてしまった。

そんな日の空は雨上がりのまだくすんでいる空でやけに虹がきれいだったのを覚えている。


大きくなって(まだ大人ではないが)

虹は太陽光が空気中の水蒸気で屈折してできるものだと知り、宝物なんかないと知ったとき、その頃は夢が一つ消えたように感じた。


今でも虹を見ると虹と水平線がぶつかるところ、虹の麓に目をやってしまう。

もしかしたら本当に妖精がいて、宝物を持っているかも知れないと思って。






<水平線について>

『水平線が光る朝にあなたの希望が崩れ落ちて…』


とよくこの歌を耳にする。

水平線とは海と空との境として見える平らな線を表している。

水平線は見る人の高さによって距離が異なり、地上から約1.5メートルのところで約4.4キロメートルだ。これは地球が球体であるため、高ければ高いほどよく遠くが見える。


冒頭である有名な歌の一節を紹介したが、

僕のお気に入りの水平線は朝ではなく夕日が沈むときだ。

太陽がどんどん沈んでいく中、東側の空は黒に染まり西側の空にかけて

黒・紺・青・水色・紫・赤・オレンジ

といったふうにグラデーションとなっていく。

運が良ければ宵の明星・金星や月も見ることができ、たまに木星も見ることができる。

そんなすべてが合わさったような一つの芸術ができる。


雲が残っていても、雲は白と灰色、そして赤に染まり、また違う様子を生み出してくれる。


もちろん晴れているときは長く長く伸びていく影に太陽の低さを気付かされ、真っ赤に焦げていく町並みを見ることができる。


もし海へ行ったのなら水平線の彼方へと沈みゆく夕日をいつまでも見ていたい。

そういう点で考えればメロスは本当に羨ましい。

『メロスは激怒した。』

で有名な走れメロスではこんなシーンがある。

『路行く人を押しのけ、跳はねとばし、メロスは黒い風のように走った。野原で酒宴の、その宴席のまっただ中を駈け抜け、酒宴の人たちを仰天させ、犬を蹴けとばし、小川を飛び越え、少しずつ沈んでゆく太陽の、十倍も早く走った。』

とあった。


『少しずつ沈んでいく太陽の、十倍も早く走った。』

ということは夕日を追いかけてずっと水平線の彼方にある太陽を見ることができるのだ。

羨ましい限りだ。


僕のお気に入りは沈んでいく太陽がきらめく水平線だ。




結論としては空には果てがない。

なぜってここは球体の地球という惑星だからだ。

すべての空は繋がっており、

僕が今みている空と、世界の誰かが見ている空は姿は変わっていても、国が違っても同じだ。

空には果てがない。

空はすべて同じ。

そんな当たり前のことをこの世の中に伝えたいと僕は思っている。


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空の果てには 功琉偉 つばさ @Wing961

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