第32話 悪因悪果2

『大きな』執事は電車に乗り込む。

電車内はちょうど帰宅ラッシュの時間帯だからか、座席は全て埋まっている。

しかし、この時のためのマタニティマークだ。

『大きな』執事はリュックサックにつけたマタニティマークを見せびらかすように座席の前をよろよろと移動する。


しかし、先日の幸子のように席を譲ってくれる人は現れない。

マタニティマークも知らない人もいるし、他人の持ち物に見を向ける人も多くない。

そもそも皆がスマホを見ていて、『大きな』執事のことなんて見もしない。

そもそもはたから見ればただの太った男だ。多くの人は妊婦さんかもと思うことも無い。


しかし現在はジェンダー問題に世間の興味が多く注がれている。

ファッション等もジェンダーレスになっているこの世の中では、男性か女性か見た目での判断に悩む人もいるだろう。

『大きな』執事はマタニティマークを信じて、気づいてくれる人を探した。


うっ。嗚咽が滲み出る。

先ほど食べたラーメンセットが『大きな』執事の腹の中で暴れている。

『大きな』執事は、とにかく座りたいその一心で格さんのようにマタニティマークを掲げる。

すると、その思いが伝わったのか、「あの、大丈夫ですか?良かったら座りますか?」


声の主を見ると、中学生のグループの一人が声をかけてくれた。

「アリガトウゴザイマス。」

『大きな』執事は裏声で感謝の意を伝える。

譲られた席に腰を掛けた『大きな』執事は、安心感で気持ちが緩んだのか、腹痛が襲ってきた。

「ううぅ、、。」


ー三十路川、三十路川ー

電車が三十路川駅に到着した。

『大きな』執事は手すりを掴んで立ち上がり、電車を降りる。

「うぐっ、」

立ち上がった影響からか、大きな衝撃が『大きな』執事の腹部を襲う。


「大丈夫ですか!?」

先程席を譲ってくれた女子中学生が、マタニティマークをつけた『大きな』執事を心配してまた声をかける。

「イヤ、ダイジョウブデス。ううぅぅ、いたた、、。」

『大きな』執事は痛みでその場に蹲ってしまう。


「つばさ!救急車呼んで!なんかお腹が痛いみたい!」

「うん、分かった!」

つばさと呼ばれた、おそらく同じ学校の女生徒は、とりあえず『大きな』執事のことを腰掛けられるところまで運ぶ。

その際につばさは、『大きな』執事のリュックサックにマタニティマークが付いているのを確認した。

女子学生の方は、お水持ってくる!と言ってその場を離れる。

つばさはにわかには信じがたいが、これは陣痛なのかもしれないと考え、電話をかける。

「もしもし救急です。マタニティマークを付けた妊婦さんがお腹が痛くなって倒れてるんです。たぶん陣痛なんじゃないかと。はい、そうです。お願いします!」

「ちが、うぎゅぅ。」


『大きな』執事はあまりの痛さにこれが陣痛ではなく、ただの腹痛であると弁明できない。

もはやこの痛みが陣痛なのではないかと思ってしまうほどの痛みが襲ってくる。


ポーピーポーピーポー

三十路川駅に救急車が到着した。

「こっちですー!」

「あなたが電話してくれた方ですか?子供が生まれそうな妊婦さんというのはどちらですか?」

つばさはそう言われると、


「この人、妊婦さんで陣痛が始まったみたいなんです。とても苦しそうで、お腹の大きさからしてもう生まれるんじゃないかって!」

駆けつけた救急隊員に、状況を伝えるつばさ。

「えっ、この人が妊婦さん?」

俄には信じがたい様子の救急隊員に、つばさはリュックサックに付けられたマタニティマークを見せる。


マタニティマークを見せられた隊員は、この人は妊婦だ、と自分にいい聞かせてタンカを呼ぶ。

もう否定する気力もない『大きな』妊婦は、仰向けにされていた。

「よし、一旦タンカに乗せるぞ!せーの!うっ、」

大人2人がかりでもビクともしない。

隊員が苦戦しているのを見て、つばさは助力しようとする。


「ゆい!私たちも手伝おう!」

ゆいと言われた、最初に『大きな』執事に席を譲ってくれた、女子学生も『大きな』妊婦をタンカに乗せるのを手伝う。

結局周りにいたスーツ姿の男性も含めた6人がかりでなんとかタンカに乗せ、駅の前に停められた救急車に運び込まれる。

「こっちです、横の扉を開けるので、そこを通ってください!」


駅の係員の人も手伝いながら、大人数で運ばれる。

なんとか救急車に運び込まれた『大きな』妊婦は、運び込まれる際の揺れで腹部の痛みがさらに増した。

「うびゅうっ!」

妊婦と言われた隊員は、医師にマタニティマークを見せて、これは陣痛だと伝える。

そう言われた医師は、まさか、どう見ても妊婦には見えないがとりあえず局部を確認するためにズボンを脱がす。

しかし、その大きな腹部が邪魔をして局部が確認ができない。だが明らかに女性の体ではない。

「ぎゅびゅうっ!」

「先生!もう時間がありません!開腹するしかないんじゃないですか?」

「いや、でも」

確かにこの救急車は手術室がある。

「先生!」

「分かりました。麻酔をして、開腹手術をします。すぐに準備して。」


はい!、と隊員2人が準備に走る。

医師は『大きな』妊婦を寝かせると、麻酔の針を腹部に刺そうとする。

しかし、お腹が硬すぎて針が刺さらない。

何度試行しても刺さることがないので、腹を決めてそのまま開腹を試みる。

しかし、メスも表面が切れるだけで中に入らない。

「えいっ!」

医師は手術中に発する言葉ではない掛け声でメスに力を入れる。


スッ

切れた!と思った瞬間、

「イタタっ!」

切れ込みを入れられた『大きな』妊婦は、飛び起きた。

そして、トイレトイレ!と救急車からも飛び出て、駅中のトイレに駆け込む。


開腹を試みた医師は隊員と顔を見合わせ、呆気に取られていた。

しかし、このまま放っておくわけにはいかない、と1人の救急隊員が『大きな』執事の後を追う。

そこで隊員が見た光景は、腹部を押さえながら男子トイレに駆け込んでいく妊婦の姿であった。



「でも良くマタニティマークに気づいたね、ゆい。」

「マタニティマーク?なにそれ?」

「えっ、妊婦さんだから席譲ったんじゃないの?」

マタニティマークに気付いて席を譲ったものだと思っていたつばさは、なんで譲ったのかを聞いた。

「だってとても辛そうにしていたから、大きいから立ってるのも辛そうだし。」


マタニティマーク、関係なかった。

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