第26話 走れメロス8

ー私は王の卑劣を憎んだ。けれども、今になってみると、私は王の言うままになっている。私は、おくれて行くだろう。王は、ひとり合点して私を笑い、そうして事も無く私を放免するだろう。

 -中略-

ああ、もういっそ、悪徳者として生き延びてやろうか。

 -中略-

正義だの、信実だの、愛だの、考えてみれば、くだらない。人を殺して自分が生きる。それが人間の定法ではなかったか。ああ、何もかも、ばかばかしい。私は、酷い裏切り者だ。どうとも、勝手にするがよい。やんぬる哉。ー


「メロス、もう自暴自棄になってるじゃん。」「メロスは心も体もボロボロなのよ。」


ーふと耳に、潺 々、水の流れる音が聞こえた。

 -中略-

その泉に吸い込まれるようにメロスは身をかがめた。水を両手で掬って、一くち飲んだ。ほうと長い溜息が出て、夢から覚めたような気がした。歩ける。行こう。肉体の疲労恢復と共に、わずかながら希望が生れた。ー


「水だけでそんなに変わるのかな?なんかやばい水なんじゃないか?」

「水が乾いた体を潤して、少し力が戻って精神的に回復した感じじゃないかしら?身体よりも心が回復した方が大きかったみたいね。強靭な精神力をもってるからこそね。」

「そっかー、すごいなメロスは。」


ー私の命なぞは、問題ではない。死んでお詫び、などと気のいい事は言って居られぬ。私は、信頼に報いなければならぬ。いまはただその一事だ。走れ!メロス。ー


「そうだ、走れメロス!お前のセリヌンティウスが待ってるんだ!」

「やっとあなたのセリヌンティウスじゃないことを分かってくれたのね。」


ー路行く人を押しのけ、跳ねとばし、メロスは黒い風のように走った。野原で酒宴の、その宴席のまっただ中を駆け抜け、酒宴の人たちを仰天させ、犬を蹴とばし、小川を飛び越え、少しずつ沈んでゆく太陽の、十倍も早く走った。ー


「いやさ、宴の中とか小川を飛び越えるのは良いけどさ。犬を蹴とばしちゃダメでしょ?」

「そうね、確かにそれは良くないわ。徳川綱吉の時代だったら処刑されてたわね。」


ー「ああ、メロス様。」うめくような声が、風と共に聞えた。

「誰だ。」メロスは走りながら尋ねた。

「フィロストラトスでございます。貴方のお友達のセリヌンティウス様の弟子でございます。」その若い石工も、メロスの後について走りながら叫んだ。「もう、駄目でございます。むだでございます。走るのは、やめて下さい。もう、あの方をお助けになることは出来ません。」

「いや、まだ陽は沈まぬ。」

 -中略-

「やめて下さい。走るのは、やめて下さい。いまはご自分のお命が大事です。あの方は、あなたを信じて居りました。刑場に引き出されても、平気でいました。王様が、さんざんあの方をからかっても、メロスは来ます、とだけ答え、強い信念を持ちつづけている様子でございました。」ー


「新しい人が出て来た!フィロストスラトスって言いにくいな!」

「スが一つ多いわ。」


ー「それだから、走るのだ。信じられているから走るのだ。間に合う、間に合わぬは問題ではないのだ。人の命も問題ではないのだ。私は、なんだか、もっと恐ろしくて大きいものの為に走っているのだ。ついて来い!フィロストラトス。」

 -中略-

陽は、ゆらゆら地平線に没し、まさに最後の一片の残光も、消えようとした時、メロスは疾風の如く刑場に突入した。間に合った。ー


「えっ、間に合ったの?絶対無理な感じだったじゃん!」

「信じてくれている人がいるから、間に合った。走りきれたのよ。メロスのセリヌンティウスがいたから。」


ー「待て。その人を殺してはならぬ。メロスが帰って来た。約束のとおり、いま、帰って来た。」

 -中略-

「私だ、刑吏!殺されるのは、私だ。メロスだ。彼を人質にした私は、ここにいる!」ー


「間に合って良かったなー。これで俺のセリヌンティウスは死なずに済んだ。」

「どさくさに紛れてセリヌンティウスを奪わないでちょうだい。」


ー「セリヌンティウス。」メロスは眼に涙を浮かべて言った。「私を殴れ。ちから一ぱいに頬を殴れ。私は、途中で一度、悪い夢を見た。君が若し私を殴ってくれなかったら、私は君と抱擁する資格さえないのだ。殴れ。」

セリヌンティウスは、すべてを察した様子で首肯き、刑場一ぱいに鳴り響くほど音高くメロスの右頬を殴った。殴ってから優しく微笑み。

「メロス、私を殴れ。同じくらいに音高く私の頬を殴れ。私はこの三日の間、たった一度だけ、ちらと君を疑った。生れて、はじめて君を疑った。君が私を殴ってくれなければ、私は君と抱擁できない。」

メロスは腕に唸りをつけてセリヌンティウスの頬を殴った。

「ありがとう、友よ。」二人同時に言い、ひしと抱き合い、それから嬉し泣きにおいおいと声を放って泣いた。ー


「え、ちょっと待って。セリヌンティウス優しすぎない?そりゃ疑うでしょ?借金のかたみたいにされたんだよ?」

「彼はメロスだからこそ決断したのよ。暴君の圧政に立ち向かう友のために。あなたにはそんな友達いないから分からないだろうけど。」


ー暴君ディオニスは、群衆の背後から二人の様を、まじまじと見つめていたが、やがて静かに二人に近づき、顔をあからめて、こう言った。

「おまえらの望みは叶ったぞ。おまえらは、わしの心に勝ったのだ。信実とは、決して空虚な妄想ではなかった。どうか、わしをも仲間に入れてくれまいか。どうか、わしの願いを聞き入れて、おまえらの仲間の一人にしほしい。」

どっと群衆の間に、歓声が起こった。

「万歳、王様万歳。」

ひとりの少女が、緋のマントをメロスに捧げた。メロスは、まごついた。佳き友は、気をきかせて教えてやった。

「メロス、君は、まっぱだかじゃないか。早くそのマントを着るがいい。この可愛い娘さんは、メロスの裸体を、皆に見られるのが、たまらなく口惜しいのだ。」

勇者はひどく赤面した。ー


「うわぁ、メロスのやつ、裸だったのか。恥ずかしい~。」

「あなたは何も理解していないみたいね。これはメロスが必死に走って来たことを表現すると共にしっかりと話の落ちを描いている、とても素晴らしいラストだわ。」


「でもこれで走れメロスを読めたぞ!来週のマラソン大会は優勝だ!」

「丑嶋先生は、メロスを読めと言ったんじゃないでしょう?メロスを読んで自分のセリヌンティウスを見つけろって言ってたんじゃなかった?手段が目的になっちゃってるわ。」

文目に指摘されると、桜児はそっかぁ、と落胆する。

しかし、ふと考えた桜児は、文目の手を取り「じゃあお前が俺のセリヌンティウスになってくれ!」

「えっ、えっ!?」

突然手を握られ、文目は明らかに動揺した。

「俺はお前の為に走る。そうすれば優勝だ!」


「2人ともこんにちは。悪いのだけれど、その手にしている本を読みたいのだけれど、良いかしら?」

声の方を見ると、2組の砂糖元さんがいた。

文目は希美とそんなに話したことないので、戸惑っていると桜児が答える。

「良いけど、さては砂糖元もマラソン大会に向けて準備しようってことか?」

希美は差し出された本を手に取りながら、まさかと言葉を投げつける。


文目は、桜児に握られていた手を、まじまじと見つめていた。

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