王妃と王太子

王妃は困っていた。

それはもう大変困っていた。

オリゼーは非常に優秀な娘であったのだ。

仕事を増やしても文句を言わず片付け、彼女が言った我侭と言うほどでもない我侭があるとしたら。

入学の時期だけは、友人との付き合いや社交を優先したい、という可愛らしい申し出だけだった。

それは将来この国の王妃になる立場として考えれば、必要な時間でもある。

王妃も快諾して、その期間は一切の仕事を自分で行ったのだが。

今はそれが、王妃の仕事に加えて王太子妃の仕事の分増している。

常々息子のレンダーには、オリゼーを大事にするようにと事ある毎に言い聞かせてきた。

なのに、男爵令嬢なんかにうつつを抜かして。

王妃はその噂を耳にしてから、オリゼーには不満はないかと尋ねてみたのだが、答えは何時も同じだった。


「レンダー様は、入学して新しい環境に馴染もうとされております。その中で少しだけ浮ついた気持ちになるのも致し方ない事かと存じております」


嫉妬とは程遠い穏やかな笑顔で言われてしまえば、まあ男爵令嬢では相手にはならないか、と王妃も安心したものだった。

例え王子との婚約を破棄したかったとしても、決定的な事が起こっていない状態で、公爵令嬢からの破棄は難しい。

貴族とは違い、噂程度では瑕疵にはならないのだ。

だから、安心しきっていた。

寧ろ敵は、男爵令嬢じゃなく、実の息子だったとは。


中庭で嫌いだと罵り、婚約解消する、などと宣言すれば、それはもう既成事実である。

周囲の貴族達が居ない場所ならまだ取り繕える可能性はあったが、大勢がそれを知っているのだ。


「何故、婚約解消をする、などと申したのです、たわけ者」

「それは……!……アリスが正妃になっても、優秀な側妃を迎えればいいと……」


何度も叱責したが、最初は強気で言い返していたレンダーも勢いを失くしていた。

妃教育を行うとして、王子妃教育を試しに行おうとしてみれば、その手前の淑女教育ですら音を上げたのである。

しかも、たった1時間で。

学園の成績を取り寄せてみれば、レンダーと変わらないか、それよりも落ちる。

とても執務の手伝いなど出来そうにもないし、何なら今と同じくらいの仕事量が王妃に降りかかる算段だ。

優秀な側妃……基、今はもう正妃候補が逃げ出したので、正妃として迎えるとしても人材はいない。

粗方国内外の貴族と婚約している令嬢ばかりで、無理を通せばロージーの様に国外逃亡するだろう。

「いざとなったら、修道院か国外逃亡!」

そう年若い令嬢の間では言われているらしい。


「その側妃どころか正妃も逃げ出して、お前はどうするのです。優秀な王太子妃を蔑ろにして、男爵令嬢に熱を上げる王太子など、誰も見向きはしないでしょう」


王妃とて人脈はある。

その伝手を辿って打診してみたものの、全て空振りに終わった。

仕事が出来ず、浮気はする王子である。

当たり前だろう。

家格の低い者からすれば、娘では勤まらないと拒否をされる。

それも常識的な回答だ。


「王子の妻というのは、名誉な事でしょう……」

「その名誉の上に泥を塗りたくったのはお前ですよ。そなたに待っているのは廃嫡。せめてデリックがいれば、ああ、本当にそなたは余計な事しかせぬ」


王妃は手元にあった紅茶をレンダーに浴びせた。

あつっあつっと悶えている息子の頭をさらに茶器で叩きたい衝動を何とか抑えて、空になった茶器を受け皿の上に乗せる。


「……正妃だといえば、考え直して貰えるのでは……シャルロッテとか……」


ローザンヌ公爵を怒らせた一件は、側妃として望んだのが悪かったのかもしれない、とばかりにレンダーが言う。

王妃は氷点下に冷えた目をレンダーに向けた。


「わたくしだって、大国のオーレンスの優秀な王子の正妃と、わが国の仕事が出来ない浮気をする王子の正妃を選べと言われたら、喜んで大国に嫁ぐでしょうね。お前が優秀だとしても分が悪いのだから、今のお前では比べるまでもないわ」


ムッと口を噤んでも、レンダーは言い返せなかった。

更に王妃は続ける。


「それにローザンヌ公は馬鹿ではない。もう既にシャルロッテはオーレンスに向かっている」

「……な、そ、それではどうしたら……」

「もうどうしようもない。そなたは廃嫡されて、その、アリスという男爵令嬢の元に婿入りとなるでしょう。お前は男爵としてこの先ずっと生きていくのですよ」


レンダーは改めて現実的な将来を突きつけられて、顔が真っ青になった。


「そ、そうだ。オリゼーをまた正妃に…」

「会ってすら貰えぬのに何を言っているのです。門前払いされに行く位なら執務を片付けなさい。それにお前の頭から抜け落ちているようですが、その正妃すら嫌だからオリゼーはそなたとの婚約の解消を望んだのですよ」


そんな…男爵なんて貴族としては底辺だ……。

男爵になんかなりたくない……!


「男爵なんて、嫌です母上…何とかして下さい……」

「まだデリックに王座を継がせれば首の皮一枚繋がったものの…お前がその最後の希望を自分で奪ったのですよ。この国に今いない以上、デリックを擁立する事は出来ないでしょう。それに、シルヴェストルが戻ってくるのだから、尚更、陛下はお前に厳しい処断をするしかないのです」


はあ、と王妃は溜息を吐く。

自分が虐げ、追い出した第三王子の帰還だ。

だが、それを阻止したとして、手元に居るのは臣下の離反と嫌悪の対象になった王子では最悪王子ごと処刑される未来さえある。


「……シルヴェストルさえ、いなければ……?」


それはとっくに王妃さえ考えた。

だが、シルヴェストルの居場所すら王妃には報されていない。

子供の時ならばいざ知らず、既に王たる器を見せていたシルヴェストルは賢く強いだけでなく、得体の知れないところがある。


「お前が男爵として暮らすよりも、処刑が望みなら、試してみると良いわ」


どちらにしてももう終わりなのだ。

例えば万が一、シルヴェストルが亡くなったとしても、デリックを呼び戻せなければレンダーしか残らない。

そうすれば身の破滅だ。


「生きていたいのなら、大人しく男爵になりなさい。お前がオリゼーを手放した時に、一緒に未来を手放したのよ」


オリゼー。

彼女さえ、いれば。


レンダーはそう思うものの、彼女を手に入れる術が見つからなかった。

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