アリスとマーティン、そして親の密約

アリスは学園へと王宮の馬車で送ってもらった。

まだ朝早い内だったけれど、授業はもうとっくに始まっている。

だが、学園にくればマーティンに会う事も出来るだろう。

一昨日は一緒に居たのだから。

オリゼーが正妃の誘いをしてくれてから、5日が経った。


「あんなに厳しいなんて思わないよねぇ……」


ただ立つ、座るといった動作だけなのに、姿勢が悪いだの見栄えが悪いだの、扇であちこち打たれたのだ。

後には残っていないが、痛かった。

アリスは痛い事は嫌いなのである。


授業の合間に、目当てのマーティンが中庭に走り込んできて、何時もの場所にいるアリスを見つけると、笑顔を浮かべて走り寄ってきた。


「あの…城は、どうだった?」

「うん。大きくて豪華で綺麗だったよ」


にこにこと屈託無く笑うアリスに、うまくいったんだ、と安心したようにマーティンは隣に腰掛けた。

父親の命令を果たせなかったマーティンは、全ての持ち物を売り払われている。

そんな事では勿論、商会に与えた打撃は拭えない。

だから、アリスを王妃にして、アリスに取り立ててもらうのだと父を説得した。

父は猜疑心の混じった目で見てきたが、これ以上失くすものはないのだから、と猶予を貰ったのだ。

そして、いなくなった取り巻きの中でマーティンだけが、アリスの側に居た。


「アリスは、王妃になれるんだね?」

「そういう話だったけどぉ、やめたの。私、マーティンと結婚したい」

「は?」


意味が分からない。

目の前の少女は、可憐な見た目の、ちょっと抜けた所のある美少女は、何を言ってるのだろう?

マーティンは何も言えないまま、ぱくぱくと酸欠の魚のように口を開け閉めする。

彼女は男爵令嬢で。

教育をうけさえすれば王妃になれるというのに、それを蹴ったと、平然と笑っているのだ。

得体の知れない化け物のように思えて、鼓動が耳の奥でガンガンと早鐘を打つ。


「な、なん…何で?」

「だって、厳しいんだもの。私には無理だよぉ。でもマーティンはお金持ちだから、いいでしょぉ?」


何も良くなんてない。

元はと言えば、アリスが原因で……全てを喪ったのに。


「……も、……違う。…金持ちじゃなくなった……」


搾り出すようにそれだけいうと、アリスは不思議そうに首を傾げる。


「商人てぇ、お金を稼げる仕事でしょぉ?また頑張ればいいんじゃない?マーティンなら出来るよぉ」


出来る事と出来ない事がある。

それを、目の前の少女は分かっていない。

かつては、自分も分かっていなかった。

物を買って売るだけなら、小銭は稼げるだろう。

手堅い商品があれば、少しくらい裕福になる事は可能だ。

でもその手段も才能も、マーティンにはない。

今まで父の教育を受けて、哀れんでいた兄達とは違うのだ。

彼らは既に商人として外国に拠点を移している。

貴族相手でなくても、商売人としてきちんと実績を積み、人脈を培ってきたからだ。

立場に胡坐をかいて、楽をして、目先の事だけを追いかけていたマーティンとは違う。


「……出来ない、もう出来ないんだよ」


ふらり、と立ち上がると、マーティンはこれからの事を考えながら家へと向かった。

今は使用人と同じ部屋で寝泊りして、下っ端の仕事もしている。

母は、再び落ちた生活に耐え切れずに、マーティンを見る度に罵ってきた。

学園に通うことは許されたが、今更新しい友人など出来る筈もない。

もう奴隷として売る位しか価値はない、とそう父にも言われていた。

このままでは何れ、売られてしまうのだろう。


とぼとぼと家に帰ると、父が暫くぶりに笑顔で出迎えた。


「いやぁ、よくやった、マーティン」

「………え?」


ほくほくとした顔で、父は優しくマーティンの肩を抱く。

何が起こっているのか、マーティンには全く分からなかった。


「お前の学友の、オクレール公爵家の令息がいるだろう?……彼の話し相手にお前が選ばれたんだよ」

「え?……話し相手?……」


令嬢でもないのに?と首を傾げるが、にこにこと機嫌の良い父親を見て、迂闊な事は言えずに頷く。

うんうん、と父親が背中をぽんぽんと叩いた。


「一週間もしたら旅に出る事になるから、良い物を食べて楽に過ごしなさい。学園にはもう行く必要はない。旅は大変だからな、怪我をしたらいけないから、家にいるんだぞ?」


売られるのか?と一瞬思ったが、カミーユはこの国の公爵家の令息だ。

一介の商人が公爵家の令息を売るとは考えられない。

何処か外国へ行くのに、話し相手が欲しいのかもしれない、と思ってマーティンは納得した。


●●●



オクレール公爵は、アリス・ピロウ男爵令嬢が王妃教育を終えられるのか、興味が惹かれて王城へと訪れていたのだ。

最終的に惨い結果となったが、国王と王子の会話に出てきた「マーティン」という人物の名前に、心当たりがあった。

思わず宰相のヘルハイド侯爵と目線を交し合う。

息子を篭絡された者同士なのである。


「男爵家に殿下を押し付けたいところだが、マーティンとはマクラウド商会の息子だろう」

「落ちぶれたとはいえ、評判の悪い男爵令嬢に婿入りしても、彼らには旨味はあるまい」


だが、にまりとオクレール公爵は微笑む。


「マクラウド商会へいい商談を持って行ってくる。なあに、殿下の婿入り先は男爵令嬢で決まりだ。マーティンとやらは遠方に旅に出るだろう」


オクレール公爵の息子の一人、美貌の令息カミーユ。

頭の弱いカミーユが認識している通り、カミーユは美しい。

その美しさゆえに、彼を望む者は確かに居る。

山に囲まれた小国だが、峡谷に厳重な守りを持たせる事で国土を維持して、周囲の山々から発掘される希少な宝石で潤う国があった。

代々女王が治めるその国の、現在の女王から王配の一人にと望まれていたのだ。

婚約もしていたし、流石に息子を売るのは躊躇われていたのだが、今回の件で漸く踏ん切りがついたのである。

莫大な支度金も貰えるし、多少の瑕疵には目を瞑るだろうが、念の為女王へは早馬を立てていた。

だが、そこまでカミーユを輸送する手段がなく、先方から迎えが来るとして、一ヶ月は先になってしまう。

国を出す事に決めたのだから、醜聞を抑える為にもなるべく早く手を切りたい。

そこでもし、マクラウド商会に先駆けて移送して貰えるのならば願ってもないことなのである。

貢物が一人から二人に増えた所で、女王が困る事はないだろう。


「と、言う訳なんだが、どうだ?」

「それは願ってもないお話ですな」


興奮したようにトニー・マクラウドは顔を紅潮させた。

公爵家からの依頼である。

無事完遂すれば、良い縁を築けるかもしれない。

それどころか、かの国の女王に取り入れば、希少な宝石を販売できる可能性すら浮かんだのである。


「其の方には、我が息子の輸送と世話を頼みたい。私は女王への紹介状を用意するのでな。なあに、輸送費についても、お前の方で如何様にも女王へ請求するがいいよ」

「は、はい!そのように!……これは良いお話を頂きまして。マーティンもここで燻っているよりも、余程幸せになれましょう。本当に、本当に感謝申し上げます」


トニーは涙さえ浮かべながら、それはペコペコと頭を下げる。

ただの奴隷として売るよりも、破格の申し出なのだ。


「一応、我が公爵家から護衛を10人程都合しよう。紹介状にもマーティンの事は書いておく」

「それはそれは、何から何まで有り難いお申し出でございます」

「ふむ。同じ被害者であり加害者として、私からローザンヌ公に取り成しも考えておこう。まずは、無事に戻って参る事だ」


切っ掛けは婚約だとしても、トニーは真面目に仕え続けて来た。

その十年あまりが息子の所為で無に帰したのである。

公爵の言葉に、トニーは滂沱の涙を禁じえなかった。

何も言えなくなったまま頭を下げるトニーの肩に、ぽん、と手を置いて公爵は商会を出て行った。

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