第5話 ゴースト・オブ・カラテマン
土佐海援隊はプロレス団体であるが、それ一本でやっているわけじゃあない。
高知市の繁華街にて、居酒屋も経営している。
高知らしくカツオも置いてるがメインは肉。牛豚鶏、羊やジビエも出している。アメリカ仕込のバーベキューもやっていた。
開店当初はどたばたしていたが、いまでは安定している。
スタッフは練習生や現役レスラーだったりするので、酔っ払っていようが騒ぎを起こすものはいやしない。女性も安心して一人飲みできると評判だ。
ゴールデンウィークが過ぎた夕暮れ時、一人の男が店にいた。塩の焼き鳥を肴にして熱燗をちびりちびりと飲んでいる。
「レスラーの店ってからには舐めてたが、いい店だ。肉も酒も旨い」
彼は大きかった。
肩幅も腰も広く、一見すると力士のようだった。座っているのに天井に頭がつきそうなほどに背も高い。
七三に分けた髪は白髪だ。
年を取っていた。目尻にシワが深く刻まれていて、頬もコケている。還暦などとっくに越えているだろう。
服はゆったりとしたシャツの上にジャケットを羽織っている。綿のズボンにスニーカーと、動きやすい格好をしていた。
「ごちそうさん」
男は金を払い、店を出た。
田舎の町だがまだ夜でもない。仕事や学校から帰っていくものたちで商店街も賑わっていた。そのなかをずんずん大きな老人が進んでいく。ひどく目立っていた。
行き先は高知城、その手前。
丸の内緑地という広場だ。ここも春には花見客がいっぱいだが、この時期には人気もなくすっかり寂しいものとなっている。
以前は木々が生い茂っていたが、リニューアルで半分ほど伐採されて見晴らしが良くなっている。
芝生が広がっており、高知城の天守閣も見上げることができる。
そこに、絵描きがいた。色褪せたジャージにスニーカーを履いている。
彼は暗がりの中で天守閣を見上げて描いている。
持ち運びできるライトでキャンバスを照らし、絵の具は使わず鉛筆だけを使っていた。
ドラゴンマン・坂本龍馬だった。
美麗な男だ。
明るい栗毛の先端がくるっと巻いている様は可愛らしささえある。
絵を描いているいまは試合の時よりもその青い瞳を鋭くさせていて、こういう姿をこそ配信に乗せたらファンが余計につくだろう。
その彼に、巨漢の老人は声をかけた。
「お兄ちゃん、ちょっといいかい」
「なんです?」
龍馬は鉛筆を置いて振り向いた。
彼は物怖じしなかった。明らかにカタギではない人間を前に、道に迷った老人を相手にするのと同じ調子だった。
その反応に、老人は嬉しそうに笑った。
「確認させてくれ。お兄ちゃんだろ、ドラゴンマンってのは」
「そうですよ。どうかしましたか? デスマッチや試合に関しては、社長に聞いて下さいよ」
「ああ、わかってる。ちょっと、話を聞いてくれ。とある爺さんの話でな。俺のことじゃあないぞ」
紙巻きタバコをふかして、彼は言った。
「昔々、その爺さんはお話を作った。自分がどんだけすごいか、どんだけ鍛えたかってな。つまりはホラ話だが、その爺さんは信じさせるくらいに強かった。
で、その爺さんも年を取って、いまじゃあ施設に入ってる。ボケが進んで、記憶もあやふやになってる。正気の時間も少なくなってきたんだが……」
「だが……?」
「ある映像を見て、若くなった」
龍馬がはてと首を傾げた。
「若くなったって、なんです?」
「まあ比喩よ、比喩。正確に言えば、ついに正気を失ったってところかな。爺さん、青春時代を思い出したかのように日々稽古に励み、もりもり飯を食って、いまにも山ごもりしそうになってんだ」
「その映像ってのが、僕の試合だったりします?」
老人はタバコを落とした。
足で踏んで火を消した。芝生が焦げる。
「そうよ。ドラゴンマン・坂本龍馬、お兄ちゃんの試合を見て、100歳になる理心会館の創始者、土方源三郎が狂気に至った。で――」
パンっと老人は手を合わせた。
「ほんっとごめん。お兄ちゃん、死んでくれ」
そのとき、坂本龍馬の背後から影が飛び出てきた。
◯
土方才助。土方源三郎の三男である。今年で六十五歳になる。
二人の兄も才覚に恵まれたが、彼は規格外だった。その日本人離れした体格でもって空手の代表としてあちらこちらで大暴れして、理天会館の拡大に貢献した。
現在も師範である。地方や海外にも出張してと、精力的に活動を継続していた。
そのため、彼は土佐海援隊なんて言う弱小プロレス団体のことなど全く知らなかった。なんなら一生知ることもなかっただろう。
はじめに聞いたのは、父が稽古を始めたということだった。
そりゃいいことだなと思った。身体が弱り、食も細くなり、認知症も患ってぼんやりしていた父が少しでも元気になったというのは嬉しかった。
しかし、お付きの看護師がひどく困惑していた様子だったので予定を切り上げ、見舞いに行った。
そこで才助が目にしたのは、100歳を迎える父が巻藁に拳を打つ姿だった。
枯れ枝のように朽ちていくだけだった男が目をギラギラと輝かせて正拳中段突きを繰り返す。
拳を保護するグローブもなく、素手だ。指の皮膚が削り落ちて、血が滴り落ちていた。
「やめろ親父。なにを、なにをしている」
「誰だ! 稽古の邪魔だ!」
もう半世紀は聞いたことのない怒号だった。
反射的に才助の肉体が萎縮し、止まってしまう。
源三郎はふんっと鼻を鳴らし、正拳突きを再開する。
その姿は若々しい活力に溢れていた。身体は細く、体中の皮膚がたれていて、頭には白髪が数本残っているだけの『死体になる5秒前』であるが、中身はかつての暴力を極めた男そのものだった。
源三郎に変化が訪れた切っ掛けは、テレビを見たからだった。
見たい番組があるとかではない。朦朧としている源三郎は、テレビから流れてくる映像を刺激として受け取っている。誰がなにを言っているのかなんて理解できやしない。
それが、一億争奪デスマッチなんてものを見てから変わってしまった。
夕方に地方でこんなことがありましたなんてつまらないニュースで、弱小プロレス団体がボクサーと試合をしたなんて話題だ。
そのたった5分の、正確にはさらに短く編集された試合を見たときから、変わったという。
意識がハッキリして、三食ガッツリ食べて、稽古も始めた。風呂にだって自分で入るようになって、おむつもいらなくなった。
ただし、人格は過去に戻っている。
今の彼は引退したジジイではなく、決闘に向けて鍛錬を積み重ねる若武者だった。
「待ってろ、待ってろよ、海舟!」
聞いたことがない名前だった。
しかし、いまの彼が言っている海舟というのが、ドラゴンマン・坂本龍馬のことを指しているのは明白だった。
ここで、才助には選択肢が生まれた。
一つ、そんなやつはいない、人違いだと諭す。
二つ、ドラゴンマン・坂本龍馬をその海舟だと言って決闘をさせる。
まず前者は即座に却下した。
いまの土方源三郎は正気ではないが、活力だけはみなぎっている。たとえ人違いだと言い聞かせたところで、大人しくなるとは思えない。一人飛び出してしまいかねなかった。
ならば、後者。決闘をさせるのか。
これも勘弁してほしかった。
100歳を超えて体が弱っているとはいえ、狂気を宿したいまの源三郎と闘うのは才助でさえ恐れを抱く。勢いのままに殺人にまでエスカレートしかねない。
となると、第三の選択肢を才助は取るしかなかった。
――――暗殺。
◯
「まさか、本当に殺すつもりだったわけじゃあない。ボコボコにして、親父をがっかりさせたかった。そうすれば、また寝たきりの老人に戻るかもしれない」
故に、土方才助は自ら坂本龍馬の元に出向き、彼の注意を引き、仲間に背後から奇襲をさせた。
ところが、その作戦は失敗した。
奇襲は頭への蹴りだった。
これはしっかりと入っていた。
龍馬は手で防ぐことも避けることもできなかった。
ところが、予想を超えた動きを見せた。
彼はその蹴りを受けて、くるりと回転した。
側宙をするような動き。
その勢いで襲撃者を逆に蹴り飛ばしてしまった。
こんなのはまったく想定していなかった。
龍馬は自分の頭をなでている。
「びっくりしたなあ」
彼に怪我はない。ダメージもない。埃がついただけ。
逆に、襲撃したほうがコメカミに蹴りを受けて動けなくなっていた。
じっと龍馬が足元に倒れている人物に目を向ける。
「女の子じゃん。しまったな、見えなかったから加減できなかったや。おじいさん、なんでこんな子にさせたの?」
「俺の孫娘だ。現役で空手をやってて、口が固くて、身内でってなると、少なくてな」
「そっ。で、どうすんです、おじいさん」
「…………」
才助はジャケットを脱ぎ捨てた。
還暦を超えた老人のはずが、その肉体は筋肉でパンパンに膨らんでいた。
ボディビルダーかというくらいだったが、ゆるく握った拳と右足を前に出した立ち姿と、素人ですら老練な空手家だと察せてしまう雰囲気があった。
そこに、龍馬はスタスタと足を進めた。
構えはなく、警戒も見せない。
五月の夜、さらさらと流れる涼しい風が吹くなかを気持ちよく散歩をする。雅な雰囲気すらあった。
さりとて、才助も経験の長い武術家。
迷わず、龍馬に向かって刻み突きを打った。
一息に踏み込んで拳を突く基本的な技だ。達人になると相手が意識できないほどの速さになる。
それを龍馬はかわした。
かわしただけでなく、才助のみぞおちに拳を寸止めしていた。
「一本」
「うちは直接打撃制だ、お兄ちゃん。きちんと当てろ」
「――押忍」
才助のみぞおちを重い衝撃が貫いた。
寸止めの状態から放った打撃。そんなものに、しっかり体重が乗っている。
才助は尻餅をつき、龍馬を見上げた。
「どこでそんな空手を習った」
「秘密です。じゃ、用事があるときは社長のほうにお願いしますよ」
龍馬は、それだけしか言わなかった。
道具を抱えて、才助たちを置いて広場から去っていった。
それ以上はなにもない。彼にとってはチンピラに絡まれたのと大差なかったのだろう。
残された才助はタバコをふかし、笑った。
「残酷で清々しい男だ。佐那、お前はどう思った」
むくりと、さっきまで倒れていた影が起き上がった。
黒いジャージを着た女。小柄だ。60キロもないだろう。長い黒髪をポニーテールにして、ゆらゆら揺れていた。
ダメージはまだ抜けていないのか足元がふらついているが、意識はハッキリしている。
目に涙をため、ギリギリと奥歯を噛み締めていた。
怒り、悔しさ、情けなさで元の顔立ちがわからないほど歪んでいた。
「なんで追わないんですかおじいちゃん……!」
「なんで、か」
「まだ、まだあそこに、呑気に歩いてる。いまから追って、まだ、闘える」
「こんな暗がりならともかく、明るい繁華街に入ったら無理だな」
才助は起き上がり、今にも倒れそうな孫娘を支えた。
「佐那、ありゃ俺達とは違う枠で生きている。関わろうとするのは間違ってた」
「……あんな、コケにされて、平気でいられません! こんなの我慢できません!」
才助は思わず笑みをこぼしてしまう。
「なにを笑っているんですか!」
「いや、すまんすまん。バカにしたわけじゃない。そうだな。コケにされてしまったんだよな、俺達は」
才助は自身の老いを自覚した。
完膚なきまでに敗北したのならいい。敵であると見なされなかった。それに屈辱だと怒りを燃やすことなど、彼にはもうできなくなっていた。父のように正気を失ってしまわない限り、そんな熱は持てないだろう。
少し、羨ましかった。
「佐那、お前の気持ちは理解できるが、しばらく手出しはするな」
「放っておけっていうんですか!?」
「いや、終わらせるだけだ。結局、やることは一つしかなかった。余計なことをする必要はなかったんだ」
坂本龍馬を闇討ちしたのは、父をボケ老人に戻して穏やかに過ごさせるためだ。
しかし、坂本龍馬がああまで強いというのなら、なにも問題はない。
『殺す』のはまずいが『殺される』のならなにも問題はない。
それは、介錯だ。
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