第4話 プロレスでやる意味はあるよ
入団してしばらくしたら、鈴木忠治は大江戸プロレスの社長からきっぱりと言われた。
「お前はプロレスに向いてないな、まったく」
その理由は明確だった。
「背が低い、顔が良くない、華がない。そしてなにより、お客を楽しませるって心がない」
プロレスはエンターテイメント。格闘技じゃあない。
そこんところはわかっていても、鈴木忠治は眼の前の相手をぶっ倒すというのが第一義だった。大人になれないクソガキだった。
強くなりたかった。勝ちたかった。
なのに、プロレスなんてもんに入ってしまった。
プロレスの華やかさに心惹かれてしまったから。
だが、そんな忠治にこそ向いている仕事があると言われた。
「プロレスは舐められたらしまいなんだ。暴れてこい」
命じられた仕事は、総合や打撃の大会に出て勝ってくること。
華やかさはなくていい、泥臭く、みっともなくていい。
プロレスラーが闘えるということを証明することだった。
一回戦、密着してからの顎を撃ち抜くショートアッパーで決着した。
ケージのフェンスに押し付けていたので逃げ場はなかった。ボディもしこたま打ち込んでいたのでガードが下がっていたところを狙い打った。
続けて二回戦。
相手は忠治を懐に入らせないように蹴りを多用していたが、頻繁に蹴り続けていたのでタイミングが掴めた。
2R目でミドルキックをキャッチし、床に引きずり倒して拳を降らせた。逃げようとしても本職がレスラー、技は鈍らせていない。最後はセコンドがタオルを投げ込んでTKO。
ドラゴンマンも危なげなく二回戦を突破し、決勝はこの二人になった。
最初の頃は騒々しかった控え室も、決勝の前には静かなものになった。
たった二人、鈴木とセコンドの大久保しかいない。元々ドラゴンマンは控室に入ってこない。面倒事を避けるために、隔離されているのだ。
「大久保さん、あんたから見てどうです」
鈴木が聞くと、大久保はため息混じりに言った。
「わからん。正直、いまでも本当に強いのか疑ってる。賄賂をもらってたっていうほうが信じるさ」
「俺はもらってないですよ」
「ああ。でも、一つわかったことがある。直感で、理屈じゃないが……」
「なんです?」
大久保は頬にある傷跡を指でなぞって答えた。
「あいつは、ファイターじゃない」
ファイターじゃない。
精神的なものなのか、あるいは、その技術の話なのか。
大久保は前者だと言った。
「ボクサーもレスラーも武術家も、どうしても消せないものがある。勝利が見えたときの熱だ。やつにはそれがない」
「同意します。隠すのが上手いやつはいますが、あいつには最初からそんなものがない。痛めつけることに罪悪感すら持っている」
「だから頭も極力打たない。一億デスマッチで頭をやられた藤堂三郎は、それだけ強かったってことだ。ありゃ世界も狙えるぜ」
なんとも残酷なことだ。
闘ってる相手に気遣われるなんて、この世界で生きてる男にしたら最も屈辱的な仕打ちである。
「まともにやれば絶対勝てないが、どうする。策はあるか?」
「あります。ずるですけど、一つだけ」
「なんだ?」
忠治は堂々と口にした。
「気合と根性です」
◯
決勝戦。
観客たちの多くは忠治を応援していた。
彼のファンというわけではない。ネットで大口叩いている坂崎紫瀾とその子分に赤っ恥をかかせてやってほしい。そんなくだらないものだ。
六角形のケージの中、ほんの一メートルほどの距離で対峙して、忠治はぞっとした。
眼の前のドラゴンマン・坂本龍馬という男には、闘志というものがない。
闘いの恐怖も、緊張も、なにもなかった。
その可愛らしい素顔はこんなところでもおどおどしている。場馴れしていないなんてレベルではない。
この場では、それは弱さに映るだろう。
ただ、忠治はその弱さを曝け出せていることに、怖さを感じた。
(存在していいのかよ、こんなやつ……)
できるなら、このままゴングが鳴らないでほしいとさえ思った。
当然、そんなことにはならない。
無慈悲にもゴングは鳴り、試合は始まった。
「やるか――」
忠治は構えを取らず、無防備に歩き始めた。
中央にまで進むと、右手を差し出す。
龍馬はきょとんとしていたが、すぐに同じように歩いてきて、忠治の手を握った。
フェアプレイをしようの握手――、ではない。
「握ってくれると信じてたぜ」
「そうしなきゃあいけないのが辛いところです」
「すまんな」
謝りながら、忠治はドラゴンマンに拳を振るった。
龍馬は逃げない。手を離すこともせず、その拳を受けた。
そうして、龍馬も忠治に殴り返した。
殴って、殴られて、殴って、殴られた。
絶対に、握ったその手は外さなかった。
徹底して殴り合った。スリッピングアウェーもない。
観客は湧き上がった。
大興奮だった。
こういうところにくる観客たちは玄人ぶって技がどうだなんだと言うが、本当に求めているものはこういう単純めいたもの。
足を止めての殴り合い。
男と男、魂のぶつかり合いだ。
(なんてな――。全然そんなんじゃない。ずるだよ、ずる)
忠治の心にちょっぴりの罪悪感があった。
龍馬は土佐海援隊のプロレスラー。しかも、エース。花形。地域おこしの要にまでされている。
彼は勝つだけではいけない。
かっこよく華やかに、人の心を爆発させるエンタメをやらなくてはいけない。
仮にこの忠治の握手を拒否してしまえば、彼のファンはがっかりする。それは絶対に避けなくてはいけない。
言ってしまえば――、
(プロレスを仕掛けられたら応じるしかない。それがお前の弱点、だ、が――)
限界がさきにきたのは忠治のほうだった。
身長は彼のほうが低いが、体重は彼のほうがある。そのぶんパンチの威力もあるはずだった。
(だがよ、ここまで打撃の感触がないってのは予想外だ。どういう技を使ってるのか、衝撃を殺してやがる。だったら、)
忠治は掴んでいた手を引き、ドラゴンマンの懐に入った。
そうして、投げた。
一本背負い。
ここからすぐ寝技につなげたかったが、ドラゴンマンのほうが早い。すぐに起き上がってしまう。
だから、タックルをする。
レスリング仕込みのもので、打撃系を主にやってる選手なら反応できない。
しかし、忠治の手はスカってしまい、頭を脇に抱えられてしまった。
さらに、ズボンを掴まれる。
(おい、まさか!)
プロレスラーならこのあとなにをされるかわかる
彼の身体は無理くり持ち上げられていき――逆さまになった。
(ブレーンバスター……。しかも、この感じは……)
龍馬は、忠治を脳天から床に振り落とした。
垂直落下式ブレーンバスター。
危険な技であるが、すぐさま忠治は立ち上がった。
地鳴りのような歓声が響く。
忠治のタフネスを称える声が溢れていた。
(んなわけあるか。俺の首は鉄じゃないんだよ。あんなのかまされたら鉄でもひしゃげるよ。全部、眼の前の男の演出だ)
龍馬は忠治を床に叩き落とす瞬間に彼の首を庇っていた。
おかげでダメージはない。
「ははっ」
忠治は笑った。
拳を握りしめ、大ぶりで殴りかかった。
素人でもなかなかしないテレフォンパンチ。こんなのアマチュアでも軽く避けるのだが、龍馬はしっかり腕でガードした。
次は龍馬が拳を振りかぶった。
忠治はしっかりとガードするが、フェンスに弾き飛ばされてしまう。
(強い、強すぎる。肉体じゃ勝てない。勝てないが――)
忠治はすぐさま龍馬のもとに戻って右のローキックを放った。
龍馬も右のローキックを返す。
そして始まるローキックの応酬。
忠治は奥歯を噛み締め、笑って、蹴る。蹴られまくって蹴りまくる。
格闘技じゃ絶対勝てない。
だからプロレスで挑んだ。
ブックのない、気合と根性をぶつけるプロレス。
絶対折れない、絶対曲がらない、絶対先に倒れない。
「わははははは!! 楽しいなあ!! 楽しいなあドラゴンマン!!」
忠治は大声で叫んだ。そうでもないと意識が遠のいてしまう。
痛い。洒落にならない。
太ももの分厚い肉で受けているのに、焼きごてを押し当てられるように痛い。痛みで汗が止まらない。寒さすら覚えている。
それでも倒れない。
技術とパワーで負けても、気合と根性じゃあ負けない。
それがプロレス。
それが忠治が惚れ込んだプロレス。
だが、龍馬は楽しそうに笑っている。
彼にも相当なダメージは入っているはずなのに。
なぜなら――、
「やっぱプロレスはこうでなくっちゃね!」
彼もプロレスラー。
美しい顔、高い技術だけではない。気合と根性でお客を楽しませるエンターテイナーなのだ。
「マジでいくよ、気合い入れろ!」
ローキックが放たれる。
宣言通り、威力は段違いだった。
忠治の身体が車で跳ねられたみたいに回転し、背中から落ちた。
天井のライトに眩しさを感じながら、忠治はそれでも立とうとする。
打たれた足はパンパンに腫れ上がっていて、感覚はない。ケージのフェンスに指をかけ、ドブネズミの気持ちで這い上がった。
「ナメんなコラァ! ぜんっぜん、効いちゃいねえぞ! おら、こい、こいよおら!」
片足で立って、フェンスにもたれて、声を張り上げる。
「俺は、俺は、プロレスラーなんだよ! プロレスラーを、そんな手抜きでぶっ倒せるとでも思ってんのか! かかってこい、このクソボケが!」
「いいね。なら、いくよ」
龍馬が大きく腕を振りかぶった。
血管が切れそうなほどに拳を握りしめている。
くる――。
今日、初めての本気がくる。
手加減した状態でここまでボコボコにしてきた男の、本気のパンチがくる。
「気合と根性じゃあ、負けない!」
先に忠治は龍馬に向かって飛びかかった。
体重を乗せて、その綺麗な顔面に向かって拳を振り下ろした。
同時に、龍馬からも拳が放たれた。
弾けるような音とともに、彼の身体がぶっとんだ。
(強すぎる。強すぎるが……、ああ、しかし……)
忠治は悔しさもあったが、爽やかな気持ちが胸に広がっていた。
(……プロレス、させてくれてありがとよ………)
忠治は夢に落ちるように気絶した。
◯
大江戸プロレス主催『SHINGEKI』はドラゴンマン・坂本龍馬の優勝で幕を下ろした。
観客が去り、スタッフも撤収して空っぽになったイベントホールで、壮年の腹の出た男、大久保がつるっぱげの大男と対峙していた。
坂崎紫瀾である。一応、セコンドとしてここにやってきていた。
大久保は葉巻をふかしながら質問をした。
「ドラゴンマン、坂本龍馬ってのはなにもんだ?」
「秘密っすよ。ミステリアスってのは魅力っすからね」
「先輩の言うことが聞けねえってのか?」
「聞けませぇん」
紫蘭は舌を出して戯けた。
「……そんな軽々と言うやつはいねぇか。じゃあ、そうだな。なんでプロレスなんだ」
「なんでとは?」
「あいつにやらせるなら他の格闘技でもなんでもいいだろ。あの顔と強さだ。なにをやらせても数億くらいぽんっと稼ぐぞ」
紫蘭は小さく笑って首を振った。
「それじゃダメなんすよ。ボクシングでもあいつは成功しますが、そしたらボクサー坂本龍馬が生まれるだけ。結局、その界隈だけに収まってしまう。もっと、もっと深く広い世界をあいつには飲み込んでほしいんです」
大久保の鼻から紫煙がたっぷりと吹き出る。
「だから、プロレスか。プロレスは、どんなものにも応じる」
「そう。ボクシングも、レスリングも、相撲だってね。山奥の秘境で継承されてきた一子相伝の暗殺術なんてのもオッケーだ」
「だがよ、そりゃ演出だろうが。本物の現役ボクサーに本物のボクシングをさせちゃあならねえ」
そこで生まれるのは残虐ショーだ。
とても金を取れるものではない。
だが、そこに立つのが坂本龍馬であれば、話は変わる。
「あいつは、飲み込みますよ。ボクサーに対して寝転んで闘うなんてこともしない。ボクシングで立ち向かって、勝つ」
「実証しやがったからなあんにゃろ……」
藤堂三郎の試合は大久保も見た。
彼は荒削りだが超一流の才能を持っていた。後半になると落ち着きを取り戻し、世界トップクラスのボクシングを見せていた。
それを、龍馬はさくっと倒した。
だが、
「坂崎よ、どこまでいく」
「どこまでとは?」
「ドラゴンマンが負けたら、そこでおしまいだぞ」
紫蘭は親指をあげた。
「死ぬまでやるっすよ」
「どういう関係なんだよお前ら」
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