第3話 異世界をあなたへ
「何だ、これ?」
ドアを開けると、砂漠だった。
自分でも何を言っているのかよくわからない。
俺は急いでドアを閉め、それからもう一度ゆっくりと開く。
肺に染みる砂の匂い——
肌を刺す熱気——
静けさの中を走る熱風の音——
見渡す限りに砂、砂、砂、砂——
どう見ても砂漠です。本当にありがとうございました。
そして俺はそっとドアを閉じた。
きっと疲れているんだろう。昨日、いろいろあったからな。認めたくはないが、精神錯乱状態にあるのかもしれない。
そうであるならば、ドタキャンになってしまってばあちゃんには悪いが、今日のバイトはお休みだ。どのみち、こんな状態の俺が行っても邪魔になるだけかもしれないしな。
そう思ってスマホを取り出してみたが、そこに映し出されるのは、無情にも『圏外』の文字。
しょうがない。やや礼を欠くが、メッセージで連絡だ。
そう思ってノートパソコンのメッセージアプリを起動するが、そこには『インターネットに接続されていません』の文句。
大規模な通信障害でも起こっているのかな? かな?
おもむろにテレビの電源を入れるが、うんともすんとも言わない。
何となく嫌な予感がして、部屋中の電化製品を起動させて回るが、電子レンジも、エアコンも、ドライヤーも何一つ反応しない。まるで、この部屋だけが外界から隔離されてしまったかのようだ。
なるほど、なるほど。そういうことか。
「やっぱり病んじゃったんだな、俺」
そう理解して、俺はベッドに横たわり、布団を頭から被る。
ジリジリジリジリジリジリジリジリジリ——
「暑くて、眠れねーんだよ!!」
怒りとともに窓を開け、怒鳴り散らす。
窓を開けたその先は、砂漠だった——
「まじか……」
俺はここに至ってようやく事の重大性に気がついた。
もしもここが、本当に砂漠であるならば、それは相当にヤバい事態だ。
もしこれが、錯乱した精神が見せる幻覚ならば、それは相当にヤバい事態だ。
どっちに転んでも相当ヤバい、救いようのないほどに……
どうしたものか——
もう彼此二時間近くは、時計の長針と短針の追いかけっこを眺めているが、この間に、外の景色が変わる様子も、俺の精神異常が回復する様子もない。
「よし、外に出るか!」
このままいつまでもここにいたところで埒が明かない。どうせイカれてるなら、いっそ外に出てみよう。そう思ったのだ。
「アキラ、行きます!」
そう宣言して、俺は再び玄関に向かった。
そして、大きく深呼吸をしてから、あわよくばドアの向こうにくそったれな日常が戻っていることを願いつつ、ドアノブをゆっくりと回す。
そうして開かれたドアの先は、相も変わらず砂漠だった。
しかし、今度の俺はそのまま外に一歩踏み出すことにした。
焼けた砂の熱が、履き古したスニーカーを通して伝わってきた。太陽が容赦無く照りつけ、部屋にいたときと比べ物にならないぐらい暑い。
「そういや、砂漠は初めてだな」
大学の四年間でいくつかの国を回ったが、ここまでガチの砂漠は初めてだ。サハラ砂漠だろうか、ゴビ砂漠だろうか、それとも異世界だったりして。
ちょっとした冗談のつもりだったが、周辺の調査を始めた俺は、あながちそれも冗談ではすまない話なのかもしれないとすぐさま考えを改めることになった。
突然だけど、『どこでも行けるドア』って知ってるかい?
近未来からやってくるタヌキ型ロボットの秘密道具の一つだ。
ちょうど今、それが俺の目の前にある。
砂漠の只中に扉が一つだけポツンと立っていて、正面から見たときにだけ、その内側に俺の部屋が見える。
もっとも、砂漠以外のどこへも連れて行ってくれないというのが難点ではあるが……
「もう少し進んでみるか」
砂漠と俺——三流映画のタイトルのようなシチュエーションに少し慣れてきた俺は、あれこれ調べてみた挙句に結局何の手がかりも得ることができなかった『どこでも行けるドア』に見切りをつけて、周囲の探索を進めてみることにした。
何しろ見渡す限り砂なのだ。空を見上げれば、雲ひとつない青空にまあるい太陽が一つあるだけ。いっそ清々しさを覚えるほどに、本当に砂しかない。
人は、体重の約二十パーセントの水分を失うと死ぬといわれているが、それはあくまで最終的に死ぬときの話であって、それ以前に体重の十パーセントの水分を失えば、痙攣などの症状が出てくるらしい。
普通に考えて、誰かが救急車を手配してくれるわけではないのだから、この環境下でその状態になってしまえば、その時点で完全にアウトだ。砂漠に出てきてからおよそ三十分。ここまで流れ続けた滝のような汗を考えると、俺の余命はもう幾許もないのかもしれない。
さて、どうしたものか。
選択肢としては二つ。一つはこのままここで待機すること。そして、もう一つは、ここを諦めて移動すること。
遭難時のセオリーとしては、多分その場に待機なのだろうが、遭難救助隊的な誰かが都合よく助けに来てくれるなんてことはとても考えれない。だからと言って、ここを離れるのもまた難しい。非現実的なこの空間にあって、唯一の現実的な世界として俺の部屋がここにあるのだから。
「なんだろう?」
進むべきか、留まるべきか、思案に暮れていた俺の視線の先に、何か光るものが見えた。
それと同時に悲鳴が聞こえた。少し遠いが、それは確かに悲鳴だった。
そう確信した瞬間、俺は悲鳴の聞こえた方に駆け出していた。
悲鳴の主を悲鳴の原因から解放しなければならない、という正義感やヒロイズムからでは、もちろんない。例えそれが悲鳴であっても、それがこの現状を打破してくれる何かかもしれないという希望からだ。
砂に足を取られなが全速力で三分、砂海の中でいまいち距離感がわからないが、およそ一キロメートル弱といったところだろうか。
悲鳴のもとにたどり着いた俺は、おそらくは悲鳴の原因であろうソレを見て、言葉を失った。
サソリ——確かに、形はサソリなのだが、俺が知っているそれとは、明らかに違う。
二階建てバスを超える大きさのサソリがそこにいた。
誰がどう見てもおかしなサイズ感だ。少なくとも、これまでに知られているサソリの中では一番大きいし、おそらくは、現存する陸生生物の中で最も大きいはずだ。
新種発見の大偉業だ! と喜べるほど、俺は肝も座ってなければ、頭もおめでたくはない。だから、普通に恐怖した。怖くて怖くて堪らなくなった。
こんな生き物がいるこの世界に——
そして、このまま砂漠を彷徨っていれば、いずれ俺はこいつに食われるのだろうという死の予感に——
「きゃああぁ!」
再び悲鳴が響く。大サソリに気をとられていたが、悲鳴の主はどうやらまだ無事らしい。
しかし、大サソリは、大鋏を振りかぶり、今にもそれを悲鳴の主に叩きつけんとしている。
もはや悲鳴の主の命は風前の灯火と言っていい。
どうしよう——
どうしようもこうしようも、あんなに馬鹿でかいサソリをどうにかしようなんて、とても無理だ。見ず知らずの人のために、自分の命を賭けるなんてことは、俺にはどうしても——
頭ではそう考えていた。しかし、俺の体はそうではなかった。
猫を助けるため、命の危険を顧みず、ダンプトラックの前に飛び出していく。
時として、そんな計算や道理を超えた行動を起こすのが人間というもので、どうやら俺も人間らしく人間だったらしい。
気づいたときには、すでにワインドアップからの投球モーションに入っていた。
右手には、買ったばかりのスマートフォン。
それ、投げちゃうのね……
俺の中の冷静な部分が損失額を弾き出そうとしているが、しかし、こうなってしまっては仕方がない。投げるのであれば思いっきり投げつけてやるしかない。
ただ、スマホをぶつけたところで、大サソリをどうにかできるとはとても思えない。それに正直、ぶつけるどころか、届くかどうかすら怪しい。しかし、気を引くことができればそれで御の字だ。
その隙に、悲鳴の主は逃げて、俺もこの場から退散する。
そうと決まれば、やるしかない。野球歴9年スタメン出場なしの実力をとくと見よ!
そうして俺は、サソリに向かって渾身のストレートを投げ込んだ。
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