第4話 出会いをあなたへ
砂漠の直上を彗星が走っていた。
その彗星は、光の尾を引きながらサソリに向かってまっすぐと走り、その頭部に直撃したところで、爆散して消えた。
嗚呼、俺のスマホよ……って、そんなことこと言っている場合ではない。
サソリは頭部を失って、明らかに活動を停止している。
なんだったんだ今のは……
今の俺がやったんだよな……
砂丘の影に身を隠した俺は、おそらく俺がやったのであろう、そのあまりに現実離れした出来事に、自分自身でドン引きしながら、自らの右手を見つめる。
普通に考えれば、俺にあんなことができるわけがない。俺の肩がそこまで強くないことは、野球人生九年間の補欠生活の話を持ち出すまでもなくお察しだ。いや、仮にレギュラーだったとしても、例えプロ野球選手だったとしても、あんなことができる者はいないだろうことは明らかだ。
まるで厨二的な何かに目覚めたような、あるいは、地球外生命体が俺の右手に寄生したような、そんな異常な力だった。
砂丘の影からサソリの方を見れば、ピクリとも動かなくなったサソリの横で、行商人風の人物が腰を抜かしたまま、何が起こったのか理解できずに呆然としている。
俺はそのまましばらく隠れたまま様子を見つつ、行商人が行動を開始する頃合いを見計らって、姿を現すことにした。
「おーい、大丈夫かー?」
砂丘の上から手を降ってみると、行商人も手を振り返してくる。
赤い髪をした少女だった。
「デ、デモンファットテールに襲われてしまって……」
俺が少女のもとへと駆けつけると、赤毛の少女はそう言って、頭部の無くなったサソリに目をやった。
こいつ、デモンファットテールというのか。
「急に飛んで来た光のおかげで助かったんです。あ、もしかして、助けてくれたのはあなたですか?」
「いや、大きな音が聞こえたから様子を見に来ただけだよ」
正直、あれを自分がほんとにやったのか、半信半疑だ。
自分自身でもドン引きしたのだから、きっと他の人もそうだろう。この砂海の中でようやく会えた人にそう思われてしまうのは、俺としては都合が良くない。そう判断しての答えだった。
「それより、手伝うよ」
俺の視線の先には、横倒しになった馬車がある。ワンボックス車ぐらいあるそれを少女一人で起こすのは無理だろう。
少女がびっくりするぐらいの美少女だったこともあって、いい格好をしようと思わずそう言ってしまったが、普通に考えれば、俺が手伝ったところでどうにかできるようなサイズではない。
ところが——である。
「すごい力……」
ですよねー。
明らかにおかしいですよね、この力。
頑張っているポーズだけでもと、倒れた馬車を持ち上げてみると、驚くほどすんなりと馬車を起こすことに成功してしまった。
またしても自分で自分にドン引きだ。そして目の前の少女も。
ついさっきの『ドン引きされないように』という俺の判断はいったい何だったのか……
「ありがとうございます。あの、私はナルといいます。お名前をお聞きしてもよろしいですか?」
ナルと名乗った少女は、そう言って俺に名を尋ねる。
高校生ぐらいだろうか。燃えるような真っ赤な髪と少しのソバカスがチャームポイントの美少女だ。
「明だ。暗井明」
何気なくそう答えると、それを聞いたナルが慌ててその場に跪く。
「し、失礼いたしました。貴族様とは知らず……」
「え? 急にどうしたんだ? ってか、俺のどこに貴族的要素が?」
「家名を名乗られましたので……」
「あ、いや、今のなし。アキラだ。ただのアキラ。よろしく。そんなことより、怪我はないか?」
とりあえず適当に誤魔化して、無理やり話題を変えてみる。
「おかげさまで、私に怪我はありません。でも……」
ナルの視線の先では、ラクダの形をした大きな生き物が一頭死んでいる。
「残念ですけど仕方がありません。命があっただけでも良しとしないと。ただ、積荷の半分はここに置いていかないと……」
生き残ったラクダ的な生き物一頭だけでは、この大きな馬車を曳いて行くのは無理なのだろう。
彼女は「置いていく」と言ったが、現実的には「捨てていく」と同義だろう。
「手伝ってあげたいのは山々なんだけど……」
このわけのわからない状況に救いを求めてここまで走ってきたはずだったのだが、目の前の字状況を見て、そんな考えは吹き飛んでしまった。
この少女をここに置き去りにすることには心が痛まないわけではないが、そろそろ現実に戻るお時間だ。
だいたい部屋を出てからおかしなことだらけだ。おかしなことを挙げていけばキリがない。
始まりからして、部屋を出たら砂漠っていうだけで十分におかしい。それに、あんなにでかいサソリは見たことも聞いたこともない。そもそも陸生の外骨格の生物がこんなにも巨大化できるわけがない。確か、今のところ確認されている陸生昆虫の中で史上最大とされるメガネウラでも一メートルもなかったはずだ。
そして目の前の少女。現実離れした可愛さはさておき、絵具の赤でそのまま染めたような赤色の髪の毛というのもやはり不自然だ。
細かいことを言えば、『苗字があれば貴族』という何とも古めかしい考え方だってそうだ。
そして最も違和感を感じるのは、俺自身の変化。俺にあんな力があるわけはない。
要するにここは地球じゃない。
そして『地球じゃない』なんてことはありえない。
つまり、これはやっぱり夢か幻覚の類だ。
問題はどうやったらこの夢が覚めるのかということなんだが、とりあえずそれは部屋に戻ってから考えよう。
そして、無事に現実に戻れたら、その足で精神科のドアを叩こう。いくら何でも、こんな幻覚を見るなんてヤバすぎる。
「本当にごめんな」
早くこの悪い夢から抜け出したい。その一心で、たった一言だけ短い詫びを入れた俺は、もうほとんど消えかかっている足跡を頼りに、元来た場所を目指して駆け出したのだった。
●
「距離的にはこれぐらいのはずなんだけどなあ」
ナルと別れた俺は、ドアがあったはずの場所に戻ってきていた。しかし、そこにあったはずのドアがいくら探しても見当たらない。
「もう少し先だったかな」
周囲を見回しながらしばらく走ってみるが、やはりドアはどこにもない。
「もうちょっとこっちだったかな」
方角を微修正しながら走り回るが、どこへ行っても見覚えのある光景ばかりだ。
要は、砂、砂、砂——砂しかない。
自分の部屋に戻りさえすれば何とかなるだろう——根拠もなくそう思っていた時期が俺にもありました。しかし、その根拠のない自信の根拠となっていた扉がどこにもない。
そして今、俺は、自らの幻覚が生んだものと思われる異世界で一人ぼっち。
砂漠の真ん中で、水無し、食糧無し。ついでに言えば、職無し、彼女無し。まとめると、夢も希望も無し。
なんというか、これって、詰んでるよね?
砂上に両手、両膝をついて項垂れる。それだけでは飽き足らず、仰向けになって天を仰ぐ。
ああ、なんかどっと疲れが押し寄せてきた。
このまま意識を失えば、戻れたりするのだろうか。たぶん、いや、きっとそうだ。そういうことにしよう。
もう、疲れたよ。なんだか、とても眠いんだ……
そうして俺は目を瞑る。もうどうにでもなれってんだ……
そんな俺の顔の上を影が覆った。
「あのう、どうされたんですか?」
ナルだ。
さっきからうろちょろと走り回る俺を心配して、様子を見に来てくれたようだ。
ああ、女神様……
見渡す限りの砂海の真ん中で、それもおそらくは異世界で、寄る辺のない俺には、彼女こそが煌く一筋の蜘蛛の糸に思えた。
自分よりも年下の、それも一度は見捨てた少女を頼るのは男として、あるいは人としていかがなものかという批判もあろうが、溺れる者は藁をも掴むものだ。
彼女を藁というのは、些かどころか、大いに失礼というものだが。
「やっぱり、荷運び手伝わせてもらえないかな、なんて……」
俺は恥も外聞もなく、寝転んだまま見上げた彼女の顔に向かって、ぎごちなく笑った。
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