第24話 水道メーター2
とりあえず仕事にかかる。
マイコンの電力消費を落とすにはいくつかのテクニックがある。
一つは動作クロック数を極端に落とすこと。
これはパソコンなどの動作クロックアップのちょうど逆である。
試してみると六桁の液晶画面が水量カウントと共に驚くほどゆっくりと変化する。
動作クロック32Kヘルツはこれほどまでに遅いのかとたまげた。
これでも人間の脳の周波数16ヘルツに比べれば二千倍も速い。いかに人間の脳がその複雑さを使って周波数の遅さをカバーしているのかの良い例だ。
そこで方針を変えて水量カウンタが動いた瞬間にマイコンを目覚めさせて高速で動きまたすぐに眠らせる方式に切り替えた。
これはうまくいった。しかしクロックを動かしたり速度を変えたりと冷や汗ものの危ない操作が続く。内心はビクビクものである。一行でもコードや順序を間違えたらマイコンは暴走する。この辺りノウハウの塊なのである。
生成されたアセンブラを一つづつ手作業で計算して全体で消費している時間を算出する。これでも計算では二年で電池が尽きると出た。
他ではどうやっているのだろうと、他社のメータの電力消費を計算してみる。やはり二年しかもたない。最初の仕様の八年というのが見込みのない要求だったのだ。
八年というのは一切水道を使わないときの生存期間でたくさん使う場合は二年毎に電池を入れ替える必要がある。
このことを客先に説明して、了承を貰ってこの問題は解決した。
物がわかるお客さんであったのは幸運だった。客によっては無理を押し通し続ければ最後は相手が折れて無料で仕事をやってくれると勘違いしているようなのもいる。
だがこのシステムにはまだまだ多くの問題があり、この後に・・私は地獄を見る。
水道メータ用のマイコンは一般には発売されていない。この用途のためだけに開発された小型マイコンである。
そのため十年経っても新製品は出ない。
そしてそれに使うICE(Inner Cirsuit Emulator)というデバッグ用の機器も古いままとなる。
「これ、二百万円はしたんだよ」
そう言って古くてでかい機械を渡して来る。
問題はそのマイコンとつなぐためのコネクタだ。64本の金メッキのピンが立っている。
このピンが物凄く脆弱で折れやすいのだ。
これを対象のソケットにそっと載せる。コネクタのピンがソケットの穴にそれぞれ嵌っているかどうかを横から覗き込むようにして確かめる。ずらりと金色の足が並んでいるのだ。もの凄く確認しづらい。三度確かめてからコネクタをそっと指先で軽く叩くようにして押し込む。また目で検査してまたそっと軽く叩くように押し込む。
奮闘すること二分。ようやくきっちり嵌って電源を入れると動かない。
ソケットからコネクタを抜いてみると、あれほど注意したにも関わらずピンの一本が曲がっている。
曲がったのをペンチで慎重に伸ばし直すと、ポキリと折れる。
このピンは一度曲がると必ず折れると後で知った。そして極めて曲がりやすい。作業者を追いつめるために作ったような代物だ。
これの設計者がもし私の部下だったら、石を抱かせた上で丸々三日間徹夜で説教してやるものを。
幸いお客さんに報告すると換えのコネクタを送ってくれた。恐らくはこれで二十万円は消えたはずだ。
折れたコネクタを交換しようとすると止めネジが・・これ、0.3ミリ径のネジか?
どこにこれ用のドライバがあるの!?
本来はここまで特殊だとICEに同梱されているのだが古いICEなので今までの過程で備え付けのドライバはどこかにいってしまっている。きっと前の作業者が迂闊にも失ってしまったのだろう。原因が他の人でも割を食うのはこちらである。
蒼い顔で秋葉原の高架ガード下へ走る。
助けてドラエモン。
ここにはありとあらゆるジャンクに加えてあらゆる種類の電子工具が売っている。こここそが本当の秋葉原なのである。
幸運にも軒下に吊るしてある超ミニドライバを見つけることができた。日本全国を探してもここにしかないレア中のレアである。
今ではこういった店も絶滅寸前である。かって物作り王国だった日本の衰退がガード下に如実に現れている。
ようやくコネクタを交換し、その場で例の慎重作業を行ってソケットに納める。もう外すことはできないので。そのままガムテープで固定したまま自宅へ運ぶ。
こういった魂をすり減らす作業をするとき、自分はどうしてもっと楽な仕事を選ばなかったのかと嘆く。
選ばなかったのではない。
選べなかったのだ。
私の人生に豊富な選択肢が提供されたことはほとんどない。いつもいつも追いつめられてたった一つの命綱に飛びつくことの繰り返しだ。普通の人には少しはある幸運が私には一切ない。恐らく私は神に呪われている。いや、憎まれている。
やがて問題なくシステムは動き出したが、電話線への通信でまたもやトラブル。
電話線への接続テストは疑似電話交換機の働きをする三つのモジュールが行っている。マニュアルが失われていてこれの操作方法が分からないのだ。前の作業者がいい加減だと私が困る。
お客さんが十年前の記憶を頼りに色々指示を出してくれる。それをカット&トライで実行し正しい操作方法を見つける。
これら発見したすべては設計書に記録しておく。たいがいのシステムは作業者の手抜きで設計書はついていないが、私自身はきちんと設計書を書く。次にこれを保守する人が余分な苦労をしないようにだ。
心優しい人間はいつも損をする。
これは見積もりが甘かったと反省する。
上司に話をしてもう三か月だけ工数を貰う。要求には向こうの監査用部門まで立ちあった。
前にこのシステムを受けた会社が大失敗をしたので元請けの態度が物凄くきつい。騙されてなるものかとの相手担当者の執念がひしひしと伝わってくる。
結局こちらも赤字を出しながらシステムは完成した。
これで仕事を出してくれた会社に大きなパイプができた・・が意味がない。
次の製品開発はまた十年後になるからだ。そのときまでにはウチの会社は潰れているだろう。
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