第5話 裸の王様
昼ギツネ課長に呼び出された。
新規営業先の開拓にもう一人の課長の部下と一緒に技術屋として引き出される。
出先はリアルタイムモニタを製造販売している会社だ。
昼ギツネ課長と一緒に応接間に通されて待つ。
向こうの営業がペラペラと絶え間なく喋る。
うちには色々な案件が年間1億円は飛び込んできて全部捨てているんです。
うちの社長は欲がないからとしきりに繰り返す。
その案件をこちらに流して仕事の上前をピン撥ねしようというので呼ばれたのだ。
会議中にドア脇に影が見えたと思ったら髪ボサボサでフケだらけ、よれよれの汚れたシャツを着た太った男が顔を出す。どこからどうみても不審者である。
まさかと思ったら向こうの営業が立ち上がって紹介した。
「うちの社長です」
外れだと思った。こんな姿で初見の相手の前に出るのはあまりにも社会常識が無さすぎる。社長ならば尚更である。相手は下請けと舐め切った態度が如実に現れている。
この社長はリアルタイムモニタを作って売り出して一人で会社を立ち上げたそうだ。だから自分は凄い技術者であり、だからこそこんな姿でも許される。そう考えているのだなと思った。
リアルタイムモニタというのは実は難しいソフトではない。アセンブラプログラミングをやってきたものならば実に難なく作ることができる。私自身、ゼミの課題の一部として技術雑誌インタフェースを一冊だけ読みながら作り上げたことがある。
多重実行レベル間操作とコンテキストの考え方さえ知っていれば簡単にできてしまう代物なのだ。
その程度の技術力で驕り高ぶったのがこの人物である。そう判断した。
それでも金を握っているのはこの人物だ。金の前には頭を下げざるを得ない。
社長が同席している間にも営業はしきりにウチの社長は欲がないからと繰り返している。お前バカだろうと思ったがもちろん口にはしない。
お試しということで簡単な仕事を貰った。AというマイコンのインタフェースをBというマイコンのインタフェースに書き換える仕事だ。
「正直うちの者にやらせれば二三日でできるのですがね、まあお試しということで一週間で五万円でお願いします」
もの自体は簡単だが、両マイコンの何百ページというマニュアルを二冊分読んで差分を抽出する必要がある。どちらのマイコンも扱っている向こうの作業者なら最初から内容を知っているから二三日だろう。他にだせば当然資料を新たに読み込むのでもっとかかる。
最低でも十五万円は取れるはずの仕事だ。五万円では赤字になる。
客と言うのは儲けさせてくれ初めて客だ。赤字にするようなのは客じゃなくて強盗と呼ぶ。
なんのことはない。この社長は欲が無いのではなく、金銭に関する常識がないのだ。
自分が損をするのではなく他に損をさせて平気なのを、欲がないとは良くぞ表現した。
だがこちらは弱い立場だ。昼ギツネ課長はいそいそとこれを受けた。
帰り道、昼ギツネ課長はこの赤字仕事をこちらに押し付けて来た。
「是非ね、この仕事を君に受けてもらいたいんだ」
なんてセリフだ。本当にろくでもないなこの人は。赤字仕事を受けておいてそれを他に回すなよ。
だがこちらはもっと弱い立場だ。渋々受ける。
家に帰って、決心した。二日分の人件費なら二日分しか働くまい。
二冊のマニュアルをパソコンで同時に開き並べると、脳を高速解析モードに滑り込ませる。
集中した。四百ページが目の前を流れていく。半日で作業は完了した。
このマイコンは型番が異なり容量などは違うが、基礎となる動作の部分は一切変化していない。
つまりはほとんど修正する必要がない。
窓口の人にお伺いのメールを出す。するとオタク社長からすかさず返信が来た。
CCもBCCにも入っていないから部下のメールアドレスを最初から見ているのだろう。普通はそこまではしない。
部下が失踪したときなどは当然覗くが普段から他人のプライバシーに関わるような真似は普通はしない。弊害しかないからだ。
自分の目の届かぬところで部下が勝手に動くのが嫌なのだ。自分一人の力で伸びて来たと考えている人間に有りがちな性格でもある。
提出するファイル調整の際にわざと要らぬ手を加える。
連続する関数の間はどれも二行空けているが、一か所だけ三行空けたのだ。
さて、あの社長はこれに気づいて文句を言ってくるかどうか。
その文句も嫌味なものかどうか。
嫌味なものだったらあの会社の仕事はやらない方がマシということになる。
提出後、さっそくクレームが来た。しかもわざわざBCCにして関係各員に周知する。
「ここが一行余分に空いています。あれほど見た目重視でお願いしますと言ったではないですか」
けっ! 思わず声が出た。やっぱりクズか。
ここを一行削ってくれと一言いえば話は通るし、必要な作業精度も相手に伝わる。わざわざ相手を責める必要はないのだ。それでもこういう言い方をする理由はただ一つ。
自分の膨らんだエゴを満足させるためだ。
昼ギツネ課長もこのメールを見て、ぶるった。関わったらヤバイと判断したのだ。
二度とこの会社には関わらなかったので払った労力は結局すべて無駄足に終わった。
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