第2話 昼ギツネ馬脚を現す

 ほくほくと時間だけが進んで行った。


 最初の会話以外何も進まない。時間だけが過ぎて行く。

 時は金なり、と言うがその通りだ。この場合の金は自分の懐。暇になったら色々と個人的にやりたいことがあったのだが、すぐ先に大きな仕事が控えていると簡単に着手するわけにはいかない。だから無為に時間を過ごす他ない。

 積読(つんどく)にしておいた本を片端から読み、作りかけのものを作ってしまい、見たいものを見る。実に落ち着かない。


 N課長などはこの話を聞くと「毎日が休みで天国じゃないか」とお気楽に笑ってくれる。

 有給休暇ならば天国だろう。だが無給休暇は地獄だ。


 ここでフリーランスが日々をどう感じているのか説明しておこう。

 遠くの方に首吊りロープがぶら下がっている。貯金通帳に十分な金額がある内はそれは遠くで小さく揺れているだけだ。金額が減って来るとロープは近寄って来る。そしていつの間にか自分の顔の横でロープが揺れている。

 文字通りこんな感じだ。

 堪らない。無給休暇はメンタルがごりごりと削られる。



 だが長い待機期間もやがては尽きる。ついに昼ギツネ課長から連絡が来た。

 その第一声はこうだ。

「強力なライバル出現です!」


 なぬ? 一体、何を言っているのだと目が点になった。


 どうやら客先が他の会社にも見積もり依頼を出したらしい。そこが六カ月でできますよと回答したらしい。

「そういうわけで一カ月六十万で六カ月でお願いします。すぐに回答すればこちらに仕事を回すそうですから」

 何とも雲行きが怪しくなってきた。一カ月六十ということは元の会社の支払いは月八十万円で二十五パーセントを昼ギツネ課長がピンはねってところだろう。仕事はそのまま丸投げでサポートもどうせしないのだから、毎月20万円がまったくのタダ取りというわけだ。


 しかしそれにしても最初の話から比べると四分の一と言うのはちょっとひどすぎる。さらにはどこの会社かは知らないけれども見積もりを取らされた会社もひどいことをされたものだ。

 ソフトの見積もりというのは、商社なんかがやる機材の見積もりとは内容が大きく異なり、設計作業を中に含んでいる。だいたい見積もりを作るためには設計を実際に三分の一は進めないとできないと言われている。

 つまり見積もりだけ取らされて仕事は最初から出す気が無いのは強盗に等しい行いだ。いや、これは比喩ではなく実際に強盗に会ったぐらいのお金が一回の見積もりで飛ぶのである。見積もりに一週間かかった場合は二十万円近くが宙に消える。それは全部見積もりを依頼された会社が被ることになる。


「今すぐOKと言えば、仕事は取れそうです。回答を急いでください」

 昼ギツネ課長がしつこく喚く。

 いや、その前に仕事の内容を教えてくださいよ。二千万円ならまあ大概の個人の仕事はその範囲に収まる。しかし三百六十万円では、仕事の内容によっては大赤字になってしまう。そんな羽目になって泣くのは昼ギツネじゃない。この私だ。

「まず仕様をください。工数を測りますから」

 次の日も昼ギツネの喚き声メールが届く。こちらも仕事の仕様書を要求する。


 まったくの平行線だ。資料一つ外に出てこないのはどうしてだ。

 今になって考えると、もしかして依頼元の会社が見積もりを他に出したという話自体が嘘なのかもしれない。他に見積もりを出す以上、見積もり用の資料は存在しているということだからこれを出すのには何の問題もない。それが出てこないのは明らかにおかしい。

 こう考えると、最初に提示した金額も相手を逃がさないための囮の餌という気がしてくる。箱の蓋を開けてみたら、中に詰まっているのはたくさんの地雷だったということも十分にあり得る。


 次の日もその次の日も同じ光景が繰り返された。

 昼ギツネ課長は何としても資料を出さずに電話口で喚くばかり。この人には他人の言葉を聞く気はないようだ。いや、もしかしたら私の言葉だけ聞く気がないのかもしれない。この人間は押し込めば何とかしてくれるだろうと甘え切っているのだ。

 話が進まずどうにもならないので、ついにこちらから断った。


 この昼ギツネ、駄目だわ。何が美味しい仕事の一つもだ。間抜けめ。


 ため息が出た。一円のお金にもならず時間だけが過ぎていった。蓄えが少しばかりあったから良いようなものの、そうでなければ修羅場だ。

 貯金通帳を見つめながら考えた。

 それより何より今しかできないことをやろう。


 よし、決断の時だ。

 小説を書こう。

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