明治三十五(1902)年 とある病夫の話
布団に寝そべり見飽きた天井を眺める。木目が連なるのを見て、あれは馬に似ている、あれは松の木だ、握り飯だ、などと考えるのはとうの昔に止めた。何とはなしに鴨居に目をやるが、そこに変化などあるはずもなく。開け放たれた障子の外では憎たらしいほどに晴れた夏空が広がっていた。まっ白な雲のなんと健康的なことだろう。そこに燕の一匹でも横切れば多少の楽しみもあるが、滅多に通ることはない。青く澄んだ晴天は痛みを
それでも調子の良いときは本に親しみ、文筆家の真似事をしていた。生きた証を刻みつけるように、俺自身の脳髄を叩きつけるように、筆を走らせた。書かずにはいられない衝動が俺を突き動かし操る。もっとも、起き上がることすら難しい今となってはその気力も消え失せてしまった。何も成せず、何者にもなれぬまま、死ぬまでの暇つぶしにすぎない日々が無情に過ぎ去る。
無情な時間は、俺だけに訪れるのではない。
風一つ吹かない
これは愛ではない。慈悲だ。
それが心地良くもあり、心苦しくもあった。
彼女は一人でも生きてゆける。俺以外の誰かと寄り添い、対等な関係を築き幸福な人生を歩むこともできる。しかし、かといって、俺に自ら命を絶つ勇気はなく、この世とこの身体に執着し生きながらえている。およそ慈悲とはかけ離れた存在だ。執着は苦しみを産む。
天命を迎えるその日まで無意味な暇つぶしは続く。病巣の痛みと薬剤の苦味だけが俺に“
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。