第4話
その日、彼は街に居た。
学園が存在す、中央区。その比較的商売者が集まる場所へと彼は向かっていた。
つい1日前に図書館での出来事があり、週末となった本日は、珍しく上記の通りだった。
なぜ、その日、その場所にいるのかというと、時間は少々巻き戻る。
図書館での件が終わり、他に行く場所もない彼は寮へと歩き進めていた。そんな時、小さな腹の音が鳴った。
彼は腹が減っていた。長時間かつ長期間、本気で頭を使っていた。その蓄積あってか、腹が減っていた。当然の事だった。
彼は疲れていた。久しぶりに脳を酷使ししていた。貪欲なまでに腹が減る。
両手でお腹を押さえ、先ほどとは打って変わり、尻尾をだらんと垂らしてながら歩いていると、彼は思い出した。
そろそろジャーキーの在庫が無くなりそうだという事に。そして明日は週末、学校がなく、何もない休みの日だった。
彼は腹が減っている。そして明日は休み。備蓄のジャーキーシリーズは残り少ない。そこから導き出される答えは、残りのジャーキーシリーズを全て食べてしまおう、だった。
彼は動き出した。
ジャーキーが入った袋を取り出し、お気に入りの時計塔の上で貪り齧る。
これは記念だ、祝いだ、祝宴だ、と普段の数倍以上ものジャーキーを食す。本能の赴くままに、ジャーキーを貪り食べる。あっという間に袋は空になった。
だが後悔はなかった。
久方ぶりにお腹は満足していた。
その満足感に浸りながら、残された喉の渇きも満たすべく彼は動き出した。
そうして時間は過ぎ去り、本日の朝日と共に、彼は再び動き出したのだ。珍しく隠し置いている財布を取り出し、意気揚々と街へと出かけた。
だが、彼のその、比較的喜ばしい表情が崩れるのは早かった。
過去に一度、彼は地形を把握する為に出かけたことがあった。だからこそ迷う事は無かった。一直線へと食糧調達へと出かけていた。
今までは、良心的な価格、まとめ買い割り、更にはお友達価格という三種の神器に、ジャーキーは素晴らしい保存性を兼ね揃えがあったため、彼がもとより住んでいた場所で大量にお買い求めていたジャーキーをこの2か月間食べていた。
だがここは中央区。彼が元居た南区とは違い、都会であり、街の中心部であった。
物価高い。
奇しくも当然の事ながら、彼では推測どころか想定すらできなかった事だった。だが、たった一つの事柄だけで、全ての計算が狂った。最悪だった。いくら悔やんでも悔やみきれない。
もとより、後先を考えず昼を抜いて朝晩と食べると2年と3月ほどは持つという計算であった。たとえその全てが、味気のなく、同じものであったとしても。朝と晩というのを晩のみにし、4年間余裕だぜと計算していたとしても。
だが違った。ただでさえ栄養バランスのおかしい計算が前提から崩されたのだ。
物価差は1.2倍ほど。そのお陰で脳内計算では2年も持たない事が発覚し、4年間全然余裕じゃなかったぜ、だった。
食に関しては既に限界に等し。これ以上、切り崩せないというのに、足らないと申すのだ。何処かを削ろうにも、削れそうな場所は既に、全て切り捨てた。
これ以上切り崩すと言うならば、何を切り崩せばよいのだろうか。普段の様子でも削れと言うのだろうか。
この獣人の体は、普段から激しい移動を行っているおかげで、消費エネルギーは多いと思われる。慎ましい二足歩行に、跳躍の禁止、歩くことを絶対とし、一日中ぽけーっとしていればこの空腹も和らぐと言うのだろうか。
だが、たとえそうであったとしても、彼はそれをやる気は毛頭なかった。試す気すらもない。
別に種の存続の為に生きているのではない。繁栄の為でも衰微させる為でもない。何も意味はない。ただ日々の密かな幸せを享受する。
そのために生きてきた。
今、それが侵されようとしているのだ。僅かしかない幸せが僅かにも無くなろうとしているのだ。
こうなればなりふり構う理由はない。蛇おじさんとの約束も一定以上守り続ける必要もなくなる。
今、彼が行う事は、下見だ。
最後の審判であり、本当に最後のラインを超えるか超えないかが選ばれる夏休みのバイト申請週間(仮)。
その長期休暇中のバイト先を探す。バイトとは言えずとも、お小遣いか賄いでも出てくれるのであれば、この4年間は大丈夫と言えるようになる。
だけど逆に言えば、それらが見つけらえなければ完全なる詰みである。
彼は探す、屋根の上から隅から隅まで隈なく探す。前世より培った経験と読唇術、更には今世の観察眼と洞察力を用い、探しまくる。
そうして2日と探した。
結果、幾つかの候補が見つかった。更にいくらか怪しい組織のようなものも見つけたので、最後の手段に強盗という可能性が生まれたことを報告しよう。
「はぁ……」
彼は溜息と共に魂を吐き出す。図書館で椅子にもたれ掛かり、いつものようにモフモフな尻尾を撫でていた。
休日は終わり平日が始まる。
彼は梟の雌に教わった通り、童話を探し、3日ほど図書館に入り浸っていた。その間、疲労感に耐え、空腹に耐え、何かに耐えていた。
ただ今休憩中。
少なくとも、この図書館にある童話というジャンルは読み終えた。
前世に存在する有名どころがあったので、恐らく彼と同じ世界を前世に持つ者が過去に居たのであろう。
悪魔、という存在も数少ないが発見した。童話における役割は悪い魔女のような感じであり、一種の絶対悪であった。つまるところ、得られた情報は特になし。彼の想像通りであった。
「……腹が…減った…」
ただ今休憩中。
その根本的に存在するのは、今彼が言った通り。お腹が減って力が出ないよ~~であった。
確かに、つい5日前、確かに大量のジャーキーシリーズを買った。
良心的ではない価格で、まとめ買い割り、お友達のお友達のお友達価格、予約3割先払い方式という1種の神器と2種の道具で可能な限り安くしてもらった。
その中の一貫で、1週間後に物を受け取るという話になったのだ。だからこそ、彼は腹が減っていた。ジャーキー無き今、昼食のみで生き残っていた。自分でもよく頑張ったと褒めてやりたい。
だが、さすがに無理があった。一日中の過半数程は腹が減ったと本能が言っている。
減った減った減った、と今でさえ文字に集中できず、本を読むどころか絵を見るという行為が出来ていなかった。今日は無理そうだと、目の前には書物が4つだけ無造作に詰まれていた。
それぐらいには目の前の事に集中できない。
減った減った減った、と脳死で考えていると脳が焼けてくる。寝すぎなのか、腹の空き過ぎなのかわからないが、睡魔を感じない。
辛い。
その言葉が脳に浮かび上がってから、決めるのは早かった。尻尾を撫でる手を止め、数刻の忍びを忘れ、約束なんぞ知らん、と決意する。
このままだと、寝込みそのままThe endだという予感があった。後2日と半日も待てない。俺の本能が保てないと言っている。
「……行くか」
そう、覚悟を決めてからは早かった。飢えがそのまま行動力へと直結する。
彼は立ち上がり、出る。
図書館を出、学園の端の端の森の奥へ動く。そして服を脱いだ。
すっぽんぽんであり、裸だ。だが恥ずかしがることは無い。もし誰かに見られたら恥ずかしがるだろうが、飢えで尖りきった嗅覚には、周囲に獲物はいないと言っていた。そう、わかっていた。
服をペイペイと草むらに隠し、軽く軟骨を動かす。そして目を閉じる。
心を本能に近づける事により、精神が2つに分かれる。感覚が狂い、体が狂う。名状しがたい感覚が体を支配し、妙な浮遊感が彼を襲った。
しばしの静寂。のんびりと彼が瞳を開くと、視界が広く、微妙に高くなっていることに気が付く。下を向けば、毛むくじゃらな前足が見え、己が4足歩行になっていることを認識する。
彼は雄々しくも気高い獣へと変容していた。全身毛むくじゃら、4足歩行に元に比べれば長い鼻。胴と同じほどに細く、長く伸びた豊満な尻尾。
正しく、真の獣。
前世で見た4足歩行の獣に瓜二つな姿であった。
だけども、彼が知っている獣よりも何倍もの大きい。爪も牙も足も毛も全てが大きい。
違うのは大きさだけではない。今まで以上に常識を逸した身体能力すらをも保持していた。まるで万能感に等しい心の昂ぶりすら感じる。
だが今は、それ以上の飢えが彼を襲う。大らかな心の部分が消える。だが焦りが生まれる訳ではなかった。常在戦場とはこのことかと考える。
彼は真上へ跳ぶ。
赤い夕陽に照らされ、髪色と同じ黒い毛を揺らしながら空を目指す。
白い雲を細長い鼻で突き去り、空虚に滞留す。数瞬、その景色に目を奪われながら、秒が刻む頃にはその4足で空を翔けて行く。
中央区の末端にある、高い、高い外壁を視界に入れることもなく、彼は久しぶりに、夜の野外へと足を踏み入れた。
まるで鳥のように、4足の脚を持つそれは地上を進むよりも何倍も速く、空を翔けて行った。
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