第3話
体全身に、紙の匂いが襲ってくる。やはり落ち着く匂いだった。
そこは図書館であった。学園外の図書館と比べると小さいが、それでも十分な大きさがそこにはあった。
彼は歩く。そして気になる本を見つけ、読む。
ここは彼の時間の潰し場所だった。静かで、興味がある物が沢山あって、穏やかな場所。
今更ながら彼は不良生徒である。それは自他ともに認めているだろう。
学園側から彼に良い印象はないし、彼から学園側にも良い印象はない。なんとも負の循環、ウロボロスか。
だがここに非があるとすれば、間違いなく彼は国だと叫ぶだろう。
色々と、彼は調べた。運が良いことにこの学園の図書館にもあらゆる本があった。だからこそこの国の歴史を知る事ができた。
どうやら、この国の歴史には明らかに異常な奴らが現れている。一人だけ伝説の逸話から飛び出てきたかの如く、イカレた強さを持つイカレ野郎だったり、たった一人で色々な分野を発展させたイカレ野郎だったり。
虚言や誇張だと判断すれば、終わる話だ。だけども彼はそうだと、到底思えなかった。なぜならそれは彼自身も、そのイカレ側だったからだ。
彼には別世界の記憶があった。この世界とは明確に違うが、大まかには同じ世界だった。機械化が進み、知識が豊富に溢れている世界でもあった。
その知識があるからだろか。
歴史に現れる異常な奴らが、まるで別世界の記憶でもあるのではないかと疑ってしまう。実際に天才もいるのだろう。だが、それにしては不鮮明な部分が多い奴らが多い。
由緒正しき家系も存在せず、今まで山籠もりしてました、ちょっと俗世の事気になって…来ちゃったテヘペロとでも言わんばかりに突然、現れたのだ。
恐らく、この義務教育とかいう無駄に先進的な教育システムを作ったのはどうせそのイカレポンチだろ。ふざけやがっ……こほん。なんと腹立たしいことか。
初めての時は驚いたものだ。
周辺をみても機械っぽい機械なんて存在していなかった。だというのに、文明水準が極まる所まで至っていないにも関わらず、他の国と関わっている様子を感じさせず、民主主義という訳でもないのに、突然現れた義務教育。
ここは獣人の国だ。その本質は獣そのもの。弱肉強食。そこだけは変わっていない。……いや、人間社会もそうだったか。
それでも獣人の国だ。その側面は一層強いはずだ。たとえ人間としての側を持っていたとしても……
そこまで考えたところで、彼は疑問に思った。
そういえば、普通の人間を見た事がないと。
数か月前まではあまり先を見通せない貧困生活をしていた。だからこそ最低限、尚且つ周囲の事しか知らないが、学園生活においてもただの一度も人間という者を見た事も聞いた事もないことに今、気が付いた。
彼は今読んでいる本を閉じた。
彼は探す。より深い歴史が書かれた本を、それに類似する物を。どうして今まで気が付けなかったのかと、何かに怒鳴りつけながら探し回る。
結局、お昼休みが終わるまでに見つけることはできなかった。
午後の授業も終わった。
彼は誰よりも早く、そして珍しく急ぎながら教室を出て行った。視線を感じながらも、彼は気にしない。そのまま図書館へと向かった。
そして寮の門限が近づくその限界まで図書館に居た。
寮に帰ると、そのままシャワーを浴びる。風呂には入らず、水を浴びるだけに留める。そして適当なジャーキーを齧り、寝る。
これが彼の一日だった。その日は、少々イレギュラーがあったが普段と大差ない。朝風呂に入り、飯を食べ、本を読み、更に寝る。
それを、この2月程続けていた。
・・・・
そこから1週と5日経った午後の日。彼は息をはぁーーっと吐き出し、椅子に倒れ込んだ。その傍らには多くの古びた書物が積み重なれていた。
彼は探した。探しに探した。
けども何一つとして、成果を得られなかった。
彼は速読には自信があった。必要な要点だけに目を通し、言葉を補い一秒に数ページという速さで、人間について書いてある可能性があるタイトルである本達を片っ端から読み進みていた。
だけども見つけられなかった。
情報をまとめるならばこうだろうか。
そもそも戦争に関するデータがあまりなかった。規模的には紛争と開拓はあった。だが、その中間である大規模な争いがなかった。
海を渡ったその先に、獣人がいるらしい。そして、その海の中にも獣人がいるらしい。関係性は良好で、交易もしているらしい。
世界地図があった。全てが埋まっているようで、通じない交易路。空白を感じた場所には獣の支配力が強く、避けているらしい。メルカトル図法で示された分かりやすい地図であった。
もし、ここに示されている事が全て真実であるならば、人間がいる可能性がある場所は獣に支配下しかなかった。
だが強大な獣というのは誠だと思われた。
色々と探していると、彼の目の前には伝記が現れた。何処の凄い人が凄いことをした。こんな事をした。仲良くなった。悪くなった。
そういったことが書かれているのが伝記であった。
昔の伝記は逸話が多い。
それも戦いに関することが多い。
山ほどの大きさな蛇を噛み殺した、攻めて来る群れを一人で撃退した、空を飛ぶ鷹を地面に引き摺り落し叩き潰した。
どれもこれも、自らの力を誇示する物ばかり。
そして前世ではありえないような獣達の数々が、今現在存在す、新聞から見ることができ、本当だということが解る。
だがある時から、それが無くなったのだ。最後に記されていたのはこう、悪魔を砕き伏せ、大地の安寧を手に入れた。
その一言が記された伝記以降は、武力ではなく知力を誇示する物へと変わっていた。
悪魔。
言葉にするならば簡単だ。人を誘惑する存在、悪を象徴する超越的存在。
それを、イカレ野郎が出した言葉と判断するならば簡単に終わる。だがそうでないとすればなんだ。本当に獣人が悪魔と叫ぶ物が現れたのか。
悪魔についての書物も、悪魔について言及されている書物も現状では確認することはできなかった。
宗教こそあるが、前世に比べたら緩く優しい内容だ。伝記にも神々が何かを授けたなどと人知を超える存在は、その悪魔以外では一文字すら書かれていなかった。
わからない事が多すぎる。
彼は尻尾を動かし、膝上に持ってくる。優しく撫で、メンタルを回復させる。
「はぁーーーー……」
瞳を閉じ、もふもふな尻尾を撫で続ける。
多大なる労力を使った。多大なる時間も使った。そしてよくわからない情報を沢山得た。
強いて言うのならば、人間が存在する可能性は限りなく低いとだけわかっただけで、それ以外の収穫はあまりなかった。
これ以上の情報を得るならば教員に聞く、くらいだろうか。だがそれには信頼度が必要だ。……めんどくさい。
彼は諦めた。知りたいことは知った。それでいいと、結論付けた。
まだ寮の門限には早い。だが疲れた。そして腹も減った。今日はこれで帰ろうと思いながらも、彼は静かに尻尾を撫でる。
そうしていると、声が聞こえてきた。
「古い本を読むんだね」
急な出来事であっても彼は慌てない。静かに尻尾を撫で続ける。
距離は2歩ほどだろうか。それだけの距離で、それはこちらを見ていた。
「アルル、シルクァ、パルト、ポトルル、レベーダ……」
次々と、彼の傍らに置かれた伝記の主人公達の名を読み上げていく。左から右へと、ゆっくりと歩きながら読み続ける。
「……タケル、ユウト、シマムラ、リッカ、タナカ、ミナト、…随分と多い、
面白いの?」
「ちょっと気になる事があっただけ。つまらない内容だよ」
ゆっくりと瞳を開ける。そして声がする方へ視界を向けた。
そこには鳥類のような豊満な毛…、梟のような外見を持つ雌がこちらを見下ろしていた。
雀色の短い髪に、その指先までもが羽のような腕。頭部には鳥の毛のような、獣の耳のような、小さな翼のような亜麻色の羽毛がゆったりと動いていた。
青と黒と白の学園色に染まっており、随分とゆったりとした印象を持たせるローブのような服に身を包んでいた。
「ふーーん」
そう呟きながらも梟のような外見を持つ雌は、積み重ねられた本を興味深そうに眺めていた。
遂には、一番上に置かれていた本を手に取った。彼の指先よりも幾分も大きな羽で器用に掴み取る。不思議な光景だと、彼をジーっとそれを見つめていた。
梟のような外見を持つ雌がパラパラと数ページめくると、静かに本を閉じた。そして元の場所に戻していった。
「何が気になったの?」
視線が彼に向く。彼は瞬きをし、天井へと視線を向けた。
彼は考えていた。彼女であれば何か知っているのではないかと。
見た感じ、この図書館には彼以上に入り浸っているように見えた。前世の感が、梟の穏やかさと落ち着いた図書館を結びつける。
この数ヶ月と数日程度では知りえない情報を、彼女が知っているのではないかと彼は思った。だからこそ、彼はしばらくの間の後、口を開いた。
「悪魔って何?」
「……悪魔?」
彼女の表情が戸惑うように揺ぐ。しばらく考えた様子を見せると、彼女は口を開いた。
「心無き物、だったかな」
直ぐさま彼は口を開く。
「どんな本に書かれていた?」
「童話。その悪魔がどうしたの?」
つまり創作物か。少し残念だが獣人が悪魔に対しどのように感じているか、どのように捉えているのかを知るには十分だろう。
「いや、ちょっと気になっただけだよ。ありがとう」
その言葉を最後に、彼は動き出した。
ほくそ笑む
新たな情報を得た。これで次の予定が決まったと、静かにほくそ笑む。尻尾を微かに揺れた。その所為か、彼が椅子から立ち上がる際は大きく尻尾が揺れた。
彼は梟の雌を放って、一人静かに机に積まれた沢山の書物を2回に分けて運んでいく。
だが彼女がそれを気にする様子はあまりなかった。
ただその場に佇んでいた。その2回の往復を終始見届け、彼の心に困惑を残し、ひっそりと冷や汗をかかせていた。
彼が居なくなってもなお、彼女はそこに居た。比較的大きなその御目目を開き、瞬きせずぼんやりと何処かを眺めていた。
「……悪魔」
聞きなれないはずの言葉がその場には聞こえてきた。
それを合図のように、梟の雌は動き出した。目指すのは図書館の出口などではなく、図書館の何処か。
その歩みに迷いはなく、梟とは思えぬ機敏さで本棚の隙間へと消えて行った。
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