第2話

 彼の起床は早い。日の出より早く目覚める。目覚めてしまうのだ。


 恐らくは獣としての性だと思うが、それを裏付ける証拠はない。だが彼にはどうでも良かった。


 彼は本能の如く、動き出した。部屋の窓を開け、壁をよじ登り屋根の上へと昇る。そして朝日を見る。これは幼き頃から行っている日課の一つだった。


 そこは寮だ。学園が運営する寮。当然の如く、彼はなんだかんだとあったらしく、無料で住むことができている。


 だが同時に、学園に隔離されていた。彼は学園がある中央区から出る事は禁止だと頭のお堅い役人から言い渡されている。

 そんな馬鹿な話があるかと、当時は思っていたが実にその通りだった。疑問に思った彼は他の生徒に聞いてみたのだ。その疑問は間違いではないということがわかった。他の生徒はそんな事はないと言ったのだ。おのれ頭のお堅い役人め。


 これは失踪防止なのかなんなのか、それとも頭のお堅い役人の情操教育なのか。理由は知らないが、良い風には感じ取れない約束になった。


 しばらくボーっと屋根の上から景色を眺めると、彼は再び動き出した。


 まず部屋に戻る。そこは二人一組の部屋で、当然彼の部屋にも相方がいる。だが普通の学生ではない生活をしている彼とは馬が合わず、話し合う事も、顔を合わせることも、2ヵ月たった現在でさえほとんどなかった。


 彼は静かに行動する。荷物から制服と下着やらなんやらを取り出し、部屋の扉から外へ出て行った。


 そして向かうのは風呂場だった。


 寮生共同で使う場所であり、それはとても大きな大きな風呂。


 そんな風呂が朝一番であれば、たった一人で使える。きっと、数少ない学園の良い所だろう。


 ささっと体を洗い、タオルを頭に敷いてさっそく入浴だ。


 朝だというのに温かい湯が貼ってる。最高としか言いようがないだろう。


 湯の中の尻尾が海藻のように揺れ、湯に少しの波を作る。耳が気持ちよさそうにぺたんと倒れ、自然と目が細まる。


 そうして至福のひとときを過ごす。


 次に行動を起こすのは、彼の耳に足音という名の雑音が入り込み、だらけきった頬が引き締まる瞬間だった。


 僅か数分程度の短な楽園。だけども彼はそれを惜しむことない。むしろいち早く、風呂場の外を目指した。

 尻尾を軽く絞り取り、脱衣所に出る。そして体の水分を拭く。


 そうしていると、新たな風呂場の使用者が現れる。


「お、今日もいるのか早いな」


 そう、適当な一言を喋ると彼も服を脱ぎだす。それは立派な鬣を持つライオンの獣人だった。ただの獣人ではない。今では珍しく皮膚に毛を生やし、その顔つきさえ獣そのものの先祖返りな獣人だった。 


 彼とは良く会う。同じ朝風呂を嗜む仲だ。

 だけど先ほどのように一言も会話もしない。一方にコミュニケーションを拒否してるだけだが、それで成り立つ程度には無難な関係。互いに名前も知らなければ学年も知らない。恐らく初級生ではないだろう、その程度の認識だった。


 毛の水分まで極力拭きとり、制服に着替えた彼は自室に戻る。そしてパジャマを元の場所に戻した後、部屋の窓から寮を出て行った。


 静かに、だけども素早く動く。


 日が出始めたばかりで周囲に薄暗い印象を抱きながらも、道を迷うことなく突き進んでいく。そして教室に侵入する。


 本来であれば戸締りがされており入れないのだが、天井に近く、後ろ側にある窓の鍵は開けておいてある。なので問題なかった


 ひっそりと教室に入り込み、ロッカーの中からブラシを取り出す。そしてロッカーを静かに閉めると、彼は先ほどの窓から教室を出て行った。


 目的はこのブラシ一つだけだ。ブラシたった一つの為だけに危険を冒す。だが、それだけ日々の動きが効率化される。かの親愛なる友人たちも言っていた。バレなきゃ犯罪じゃない、と。

 

 教室を後にすると、彼は学園中央付近にある時計塔の更に上へ昇った。


 時計塔の上にはルークのように平らな屋上があった。人目に付くどころか、登れる階段すらない、閉ざされた屋上。


 そこは彼のお気に入りの場所だった。


 我が物顔で、適当な場所に腰かけ自分の尻尾を掴む。少し濡れているが、許容範囲内だった。さっそくブラシをかけていく。


 丁寧に、ゆっくりとブラッシングしていく。


 これも彼の日課であった。最初に行ったのはいつだったか、もはや覚えてはいない。だけどブラッシングが最高だという事は覚えていた。毎日欠かさず行っているので、毛並みも最高級だという自信も彼にはあった。


 やはり屋上という高い場所にあるお陰か、風がびゅーびゅーと吹く。そのおかげで、濡れていたはずの尻尾は本来の渇きを取り戻し、ふさふさになっていた。


 それに満足した彼は後ろに倒れる。


 自分の尻尾をまるで我が子のように優しく撫でながら瞼を閉じる。


 この時計塔は時計の針と、時計台の中にある鐘の音で周囲に時刻を示す役目がある。そう、この場所は、学校が始まる時刻になると、自動的に教えてくれるのだ。


 それが彼がこの場所を好む、更なる理由であった。


 しばしの間、休息を取る。誰にも邪魔されず独りぼっちの環境。最強に落ち着ける要因がそこにはあった。



 鐘の音が鳴ると、彼も登校を始める。時計台の屋上から下をジーっと観察し、最もバレにくいと思った方向を探す。


 彼は彼以外にこの場所を利用する生徒見た事がない。だが同時に、この時計台の屋上の侵入を禁ずるルールがない事を知っていた。

 だけども、これを見られたら叱られるような予感が彼にはあった。叱られるのは嫌いだ。そんなどうでもいいことで拘束されたくなかった。


 今日一番の集中力を使い、周囲をじっくりと観察する。


 そして一瞬の隙を見計らって落下するのだ。


 そこからは普通の生徒だ。登校用のバックこそ持っていないが、その立ち振る舞いは学園の生徒に他ならない。


 ブラシをロッカーに仕舞う。必要な教材を机の中に入れ、不要な教材はロッカーに仕舞う。そして机に突っ伏す。


 後は時間が過ぎるのを、ただただ待ち続けるのであった。



 それなりに時間が過ぎ、彼の鼻には美味しそうな匂いを漂わせていた。目を見開き、周囲を観察すれば、弁当を開く姿が見える。


 彼は知った。今がお昼時だと。


 時計を見ても、始まったばかり。

 彼は意気揚々と立ち上がる。そして食堂へと向かった。


 さっそく、彼は適当な大盛りを頼む。当然、無料だ。だから大盛りを頼む。


 頼んだ物が来た瞬間、彼は空いている席を探し、迅速に座った。


「いただきます」


 この騒がしい食堂に消え入りそうなほど小さな声であるが、しっかりと感謝をした後、スプーンを掴んだ。


 この食堂において、大盛りを頼むことは普通である。むしろ大盛り以外を頼む方が小数派だ。


 だからだろうか。いやそうでなくても彼は思う。なぜ超デラックスビッグ盛りはないのか?と。


 小盛りとは分量が少なめな盛りである。並盛りとは分量が少なすぎず多すぎずの盛りである。ならば必然的に大盛りとは分量が多すぎる盛りのはずだ。


 だがなぜだ。周囲を見てみよ。大盛りを頼む生徒が過半数を超えている。これは可笑しいのではないだろか?


 言葉通りの意味であるならば並盛りを頼む生徒が4割を占めていなければならないはずだ。だというのに、大盛りが7割以上を占めている。これは異常なのではないだろか。


 供給が正しく行われていないのではないだろか?


 これを正すには、少々盛りに現在を小盛りを割り当て、小盛りに並盛り、並盛りに大盛り、大盛りに大々盛り、を割り当てるべきではないのだろうか。

 

 彼は思う。生徒は皆、育ち盛りだ。だからこそこの量では満足しきれない生徒がいるのではないだろうか。少なくともここに居る。


 どうせなら持ち帰って晩御飯に出来るほどの量があれば、俺は食費問題に悩まず4年間を過ごせるというのに。


 全くもって遺憾である。


 恐らく頭のお堅い役人がいれば、きっとコスト削減などとほざくだろう。


 全くもって遺憾である。


「ごちそさま」


 独りのご飯は早い。喋る人などおらず、無駄な事をする必要もなく、素早く効率的に終わらせる。


 彼は立ち上がった。皿を片付け、歩き始めた。


 ここは学園、4年という長い期間を過ごす場所である。当然、人は多い。人が居ない場所を探す方が難しい。


 だが彼は知っていた。彼であっても落ち着ける場所がこの学園にもあるのだと。


 彼は歩く。一直線に歩く。


 目的の場所は近い。

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